ナイトスクープ 画竜軒の回が神回!!

◎「探偵ナイトスクープ」の8月24日放送分の1本目「思い出のラーメンを母に」
が神回だったので、未見の方にお薦めしたい!Tverで観られるのは8/31まで!!

Tver 探偵!ナイトスクープ 余命宣告された母に思い出の味を食べさせてあげたい!!
『■『思い出のラーメンを母に』:子供の頃、母は月に何度か、近くのラーメン屋に連れて行ってくれた。本当に美味しく、母とゆっくり会話ができる幸せな時間だったが、その店は今はもうない。今年、癌が見つかり余命1年と宣告された母に、思い出のラーメンを食べさせてあげたい。担当: 真栄田賢探偵』

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※秘書はさすがの女子アナ!見事なハガキ紹介で、名作の予感ひしひし。。。


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※ラーメン屋の大将から、陶芸家へ・・・。芸術家気質のお人のようですな。

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※大将のインスタより。

YOUTUBEにあがってた動画も貼らせてもらおうーーー。
●探偵 ナイトスクープ 2018年8月24日


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※子供のころ常連客だったファンが、ボストンでラーメン屋をしていて
 弟子のお店の厨房を快く貸してくれたり、

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※かつての食材屋さんを回ったら、みんなが協力してくれたり、
 ラーメン関連の仕事に携わってる方々は、誰もがスープの如く
 温かい心を持ってはるのでしょうかーーー?

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※職人気質の大将。恰好イイです。

◎大将がブログで画竜軒のことを書いてはる・・・
登稔(とうじん)のこんなんできたんや 2011/02/04 幻のラーメン 画竜軒
『昭和56年4月ー平成2年9月まで、ぼくは大阪で「画竜軒」(がりょうけん)という名でラーメン専門店を商っていた。8人も座れば満員の小さなお店。最初はお昼間の営業だったが、徐々に深夜営業に変わっていった。通称「コッチジャン」。エスニックブームや激辛ブームの前に、もう、辛いラーメンで人気が出ていた。主に若い子に人気があって、大学生や暴走族のあんちゃんがよく来ていた。  
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昨夜 その頃のファンからメールがあった。当時大学生で仲間3人組で深夜、毎週通っていたという。検索でこのブログに出会ったとかで えらく感激した内容だった。もう20年ー30年も前のことだ。その頃一緒に通っていた仲間と呑んだときには、いまだに忘れられない「幻のラーメン」だとか、生涯でNO1だとか、もう一度食べたいとか語っていると言うことが書いてあった。感激!あの10年間は無駄ではなかったのだ。。。こんなメールは以前に3件ほどあった。ネットってすごいです。いまでもラーメンは家で作って食っているのですが、材料がそろわず、また、条件も違って当時の味にはなってません。だから僕にとっても「画竜軒」のラーメンは、幻のラーメンです・・・。』

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※真栄田探偵はこの依頼に適任でしたね~~~。

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※朝から深夜まで働いて子供たちを養ってきた、というバックグラウンドを
知っていると、目からコチジャンが流れて仕方ない。。。

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※大将、泣く

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※するとこの二人も当然、、こうなる・・・。

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※西田局長、抜け目ないデスねーー。

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※映画化ということになれば、大将の奥さんのこの名台詞が
フィーチャーされること必至でしょうなーー♪
タイトルは『きっと魔法がかかる!』(『きっとうまくいく』のノリで是非!)

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※そういうことがあって、大将は最初断ったんだなと、これ見て解る。
でも奥さんは自分のことはいいから「行っといで!」と背中を押した。
今回の収録に登場したすべての優しき人たちに幸あれ!!




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日8月28日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『涙とともにパンを食べたものでなければ 人生の味はわからない。』
出展:「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」(岩波書店
発言者:ヨハン・ゲーテ (ドイツの詩人 小説家 1749年8月28日~1832年3月22日)
『解説:世界三大文豪とはシェイクスピア、ダンテ、ゲーテだ。異論はあるだろうが、それだけゲーテは偉大であり、名作が並ぶ。名言も多いが、紹介した言葉はもっとも有名なもののひとつ。涙を流すことなくして何が人生ぞ。貧困、敗北、苦痛、人生は思うままにはならないものだ。しかしその時、人としての価値が決まる。挫折して何を得て、何を次につなげていくのか、いま涙しているあなたにゲーテの言葉を贈る。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


いつも遠くへばかり行こうとするのか。見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。幸福はいつも目の前にあるのだ。

才能は静けさの中でつくられ、性格は世の荒波の中でつくられる。

学術においても、実際は人は何も知ることはできない。つねに実践が必要である。

どんな場合にも口論なんぞする気になるな。賢い人でも無知な者と争うと、無知に陥ってしまう。

批評に対して自分を防衛することはできない。これをものとせずに行動すべきである。そうすれば、次第に批評も気にならなくなる。

※ラスト2つは、ネット上で誹謗中傷を繰り返している人たち、匿名で
面白半分に炎上させて喜んでいる輩に聞かせたい一言ですな。

●映画『ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』予告編


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Amazon.co.jp 超人ゲーテの人生論 単行本 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (著), 適菜収 (著, 編集)
『■内容紹介:言葉のエネルギーが、あなたの人生を豊かにする。人脈・お金・出世・恋愛・あらゆる関係――すべては「親和力」にかかっている! リスボンの大地震七年戦争アメリカ独立革命フランス革命、ナポレオンの英雄時代と没落など、波乱と激動の時代を生き抜いた賢人ゲーテの言葉は、現代人の心に、深く入ってきます。芸術家として、科学者として、政治家として、さまざまな方面でブレのない才能を発揮し続けたゲーテ。彼の残した珠玉の言葉は、人とのつきあい方、お金とのつきあい方、モノとのつきあい方など、現代を生き抜くためのさまざまな知恵を、あなたに与えてくれます。
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/■登録情報:/単行本 248ページ /出版社 SBクリエイティブ/言語 日本語 /発売日 2012/9/26 /梱包サイズ: 19.7 x 13.8 x 3 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:シュライバー 5つ星のうち5.0 「力強く、人生を見つめ直すことが出来ます。」2012年10月11日・・・ゲーテの言葉が88編、収められています。右ページに言葉、左ページに解説です。見開きで1つのテーマが分かるので、とても読みやすい。最初は「何か、当たり前の言葉が並ぶなぁ・・・」と思いながら読みましたが、そのうち「フッ」と心を捉える言葉に出会います。そして、積み重なった言葉は総体となって、山が盛り上がっていくような力強さを感じさせます。人間関係、愛、お金、社会、モノ、家族、人生、色々な点からまとめられていますが、一貫して感じるのは、人間を冷静に見る目です。私がフッと気づいたのは、26番目の言葉。矛盾を許す 〜仕事は真面目さと厳格さを要求するが、生活はわがままを要求する。仕事は純粋な結果を求めるが、生活にはしばしば矛盾が必要不可欠。それどころか、矛盾は愛すべきもの、楽しい気持ちにさせてくれるものである。良い本に巡りあいました。感謝です。』

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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“人の長所を傷つけないだけの公平眼は養成しなければならん(『書簡』明治39年1月19日より)”

【1904年8月28日の漱石】挿画家として教え子から弟を推薦される

今から112年前の今日、すなわち明治37年(1904)8月28日、漱石は、熊本の第五高等学校時代の教え子である橋口貢からの手紙を読んでいた。昨日、漱石が橋口貢に宛てて出した手紙の返事であった。

漱石の手紙の用件は、雑誌『ホトトギス』に掲載する挿絵のことだった。数日前、漱石が同誌の編集発行人たる高浜虚子と会って話をしていると、今度『ホトトギス』の誌面を刷新して、ある部分に、廻り灯籠のような影法師の行列の挿絵を入れたいので、漱石に描いてくれないかと言い出した。漱石も絵は嫌いではないし、自筆の絵葉書などはよく遊びで描いていたが、いきなり雑誌に掲載するとなると自信がない。そこで思い浮かんだのが、絵心のある橋口貢の顔。

漱石はこの頃、橋口貢としきりに自筆絵葉書のやりとりをしていた。門下生の野間真綱宛ての手紙の中にも《橋口はしばしば絵葉書をくれる。中々うまいもので、僕の御手際では到底競争が出来ん》と綴るほどで、その技量を高く評価していたのである。気心も知れていた。それは、橋口貢あての葉書に書いた漱石のこんな文面からも伝わってくる。

《昨日君のところへ絵葉書を出したところ、小童誤って切手を貼せず定めし御迷惑の事と存じ候。しかし御覧の通りの名画故切手くらいの事は御勘弁ありたし。十銭で名画を得たり時鳥(ほととぎす)》(明治37年7月25日付)

この前日、漱石は子供か誰かに頼んで自筆絵葉書を送った。その際、うっかり切手を貼らずに投函してしまった。それをユーモアをまじえて謝罪しながら、《十銭で名画を得たり時鳥》の一句をも添えた。その意は、通常なら切手代金は1銭5厘、料金未納でたとえ10銭ほどとられたとしても、それで僕の描いた名画を入手できたのだからよいではありませんか、といったところ。この葉書には、橋口貢も思わずにやりとさせられただろう。

挿絵の描き手を求める虚子に、漱石は手元にあった橋口貢の描いた駱駝の絵を見せた。すると、虚子は、「これはいい。ひとつこの人に頼んでもらえませんか」と言う。そこで漱石は、橋口貢へ一筆したため、《君の駱駝に感服したものと見える、一つかいてやりませんか》と依頼してみたのだった。貢は、返信の手紙で、「東京美術学校の画学生である末弟の清の方が相応しいと思う」と推薦してきた。言われてみればその通りかもしれない。漱石は清の絵も何度か見せてもらったことがあった。

漱石は早速、返書への返書を書いた。《御返事ありがたく候。御舎弟でも無論よろしく候。書いてやって下されば高浜は大に喜ぶべく候》/このあと、橋口清は五葉と号し、『ホトトギス』の挿絵で活躍。続いて漱石の『吾輩は猫である』の装幀も手がけた。そこから、多くの作家の本の装幀をし、さらには美人画木版画でも注目されていくことになる。人の縁や運命とは不思議なものであるが、それだけ漱石の周囲に及ぼす影響力の大なることを示すエピソードでもあろう。

細かすぎて伝わらない関連動画など

「弟」「推薦」で動画検索してみました!!)

●弟と「彗星ハネムーン」歌ったらこうなる


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●「まむしの兄弟 刑務所暮し四年半」予告編


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ジョニーAのつぶやき:あ、あと「兄弟」といえばこの兄弟の歌にも触れておきたいナッ、と。↓


筋肉少女帯 青ヒゲの兄弟の店 Vo 橘高・本城Ver