「少女戦士伝シオン」松岡茉優チャン出演映画
※いつも引用させてもらってる「eiga.com」に記載がなかったため、別サイトを
急遽、使うことに。。。
急遽、使うことに。。。
Movie Walker 少女戦士伝シオン
→ 『■ストーリー:風の時代といわれた遙か未来の世界。国を統治していた十二の部族は、12年に一度大族長を決めるための武冠陰陽試合を開催していた。その試合は各族長から選ばれた12名の戦士が己の命をかけて「六賢の塔」に入り、六賢の宝物を見つけ出し、それを一番先に奉納することを競うというものだった。争い合う12名の少女戦士たちは、それぞれ心の奥底に私意を秘めていた。そして遂に試合が始まる……。/■スタッフ:/監督 瀧澤正治 /プロデューサー 瀧澤正治 /脚本 椎名勲、瀧澤正治 /撮影 平林寛信 /VFXディレクター 千葉政紀 /ビジュアル・デザイナー 林隼也 /衣装デザイン 山口さとみ /主題歌 声楽グループ まつぼっくり児童合唱 /録音技師 辻井一郎、沼田和夫) /スチールカメラマン 小川岳人 /音響効果 鈴木隆弘 /語り部 重松愛子 /キャスティング 福岡康裕 /チーフ助監督 川鍋淳子 /照明 守利賢一 、藤森玄一郎 、田部誠 /プランニング 長谷川尚紀 、木嶋啓二 /VFXアドバイザー 國米修市 /サウンドデザイン 岩波昌志 /メイクアーチスト ASAMI /CGIスーパーバイザー 石井雄一 /剣術指南 松浦健城 、 佐藤健司
/■キャスト /子の国 シオン 谷内里早 /亥の国 バキラ 安倍エレナ /戌の国 カリン 松岡茉優 /末の国 ヒマワリ 北出菜穂 /辰の国 アヤメ 山田さくや /酉の国 カエデ 河口舞華 /丑の国 アンズ 黒須優菜 /巳の国 ザクロ 金すよん /卯の国 モクレン 山本憂奈 /寅の国 アイリス 江原美優 /午の国 アザミ 武田梨奈 /申の国 スミレ 加藤朝貴 /影の人物・卯の族長(声)おのさなえ /影の人物 重松愛子 /影の人物・アザミの母(声) 永長正美 /影の人物・バキラの母(声) 道明寺まり /影の人物・寅の族長(声) 原田遥 /影の人物・アイリスの母(声) 安河内理恵 /アイリスの父 瀧澤正治 /お婆様 野口すみえ』
※中学生の女の子たちが、セーラームーンもどきのお芝居をしている自主製作映画、と思って観るしか・・・。
→ 『■ストーリー:風の時代といわれた遙か未来の世界。国を統治していた十二の部族は、12年に一度大族長を決めるための武冠陰陽試合を開催していた。その試合は各族長から選ばれた12名の戦士が己の命をかけて「六賢の塔」に入り、六賢の宝物を見つけ出し、それを一番先に奉納することを競うというものだった。争い合う12名の少女戦士たちは、それぞれ心の奥底に私意を秘めていた。そして遂に試合が始まる……。/■スタッフ:/監督 瀧澤正治 /プロデューサー 瀧澤正治 /脚本 椎名勲、瀧澤正治 /撮影 平林寛信 /VFXディレクター 千葉政紀 /ビジュアル・デザイナー 林隼也 /衣装デザイン 山口さとみ /主題歌 声楽グループ まつぼっくり児童合唱 /録音技師 辻井一郎、沼田和夫) /スチールカメラマン 小川岳人 /音響効果 鈴木隆弘 /語り部 重松愛子 /キャスティング 福岡康裕 /チーフ助監督 川鍋淳子 /照明 守利賢一 、藤森玄一郎 、田部誠 /プランニング 長谷川尚紀 、木嶋啓二 /VFXアドバイザー 國米修市 /サウンドデザイン 岩波昌志 /メイクアーチスト ASAMI /CGIスーパーバイザー 石井雄一 /剣術指南 松浦健城 、 佐藤健司
/■キャスト /子の国 シオン 谷内里早 /亥の国 バキラ 安倍エレナ /戌の国 カリン 松岡茉優 /末の国 ヒマワリ 北出菜穂 /辰の国 アヤメ 山田さくや /酉の国 カエデ 河口舞華 /丑の国 アンズ 黒須優菜 /巳の国 ザクロ 金すよん /卯の国 モクレン 山本憂奈 /寅の国 アイリス 江原美優 /午の国 アザミ 武田梨奈 /申の国 スミレ 加藤朝貴 /影の人物・卯の族長(声)おのさなえ /影の人物 重松愛子 /影の人物・アザミの母(声) 永長正美 /影の人物・バキラの母(声) 道明寺まり /影の人物・寅の族長(声) 原田遥 /影の人物・アイリスの母(声) 安河内理恵 /アイリスの父 瀧澤正治 /お婆様 野口すみえ』
※中学生の女の子たちが、セーラームーンもどきのお芝居をしている自主製作映画、と思って観るしか・・・。
◎ウィキペディアも調べてみたーーー
ウィキ 谷内里早
→ 『谷内 里早(たにうち りさ、1993年12月11日 - )は、日本のファッションモデル、女優。東京都出身。俳優・国広富之の次女。2008年1月号より、ローティン向けファッション雑誌「ピチレモン」(学研)に登場。2010年10月号で卒業した。』
※トミーの娘さんだったのネン~♪
ウィキ 谷内里早
→ 『谷内 里早(たにうち りさ、1993年12月11日 - )は、日本のファッションモデル、女優。東京都出身。俳優・国広富之の次女。2008年1月号より、ローティン向けファッション雑誌「ピチレモン」(学研)に登場。2010年10月号で卒業した。』
※トミーの娘さんだったのネン~♪
eiga.com ニュース 松岡茉優、旧友・武田梨奈の登場に大号泣!
→ 『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2015のオープニングセレモニーが(2015年)2月19日、夕張市内で開催。ゲスト、審査員らが登壇するなか、「ニューウェーブアワード」に輝いた松岡茉優は、友人の武田梨奈からの祝福に号泣した。/1990年に創設された同映画祭。途中、夕張市の財政破綻で開催が危ぶまれた年もあったが、有志の手で支えられ、今年で25周年を迎えた。昨年新設された「ニューウェーブアワード」に輝いたのは、増田セバスチャン、中村蒼、松岡。中村は「もうすぐこの仕事を始めて9年になりますが、こういった賞は初めて。この仕事をしていると、ネガティブになったり他人が羨ましくなったりすることがあるけど、こうして賞をいただくとやってきたことが間違いじゃなかったと自信につながります」と喜びを口にした。
そして松岡の授賞のプレゼンターは、昨年の受賞者で、開会式冒頭でプロジェクションマッピングの映像に合わせた華麗なアクションパフォーマンスを披露した武田が務めた。2人は「少女戦士伝シオン」で共演して以来の友人。松岡は顔をクシャクシャにして武田の元に駆け寄り、抱き合った。武田の手を握り、涙を流しながら出会った頃を振り返り、「2人ともヒマでグダグダしていました。いまこうやって梨奈は忙しくなって、私もこんな賞をいただけて幸せです!」と語り、大粒の涙を流した。武田も松岡の言葉にもらい泣きした。さらに、夕張の熱い歓迎に対しても「なんでみなさん、こんなに優しくしてくれるんですか? 寒いのに沿道でずっと手を振ってくださって。この仕事を12年やっていて、初めての賞がこの賞で幸せです! 新しい風を吹かせる人に必ずなります。映画が大好きなみなさんに「映画が好きでよかった」と言ってもらえる作品に絶対に出ます!俳優を一生続けます」と飛躍を誓った。』
→ 『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2015のオープニングセレモニーが(2015年)2月19日、夕張市内で開催。ゲスト、審査員らが登壇するなか、「ニューウェーブアワード」に輝いた松岡茉優は、友人の武田梨奈からの祝福に号泣した。/1990年に創設された同映画祭。途中、夕張市の財政破綻で開催が危ぶまれた年もあったが、有志の手で支えられ、今年で25周年を迎えた。昨年新設された「ニューウェーブアワード」に輝いたのは、増田セバスチャン、中村蒼、松岡。中村は「もうすぐこの仕事を始めて9年になりますが、こういった賞は初めて。この仕事をしていると、ネガティブになったり他人が羨ましくなったりすることがあるけど、こうして賞をいただくとやってきたことが間違いじゃなかったと自信につながります」と喜びを口にした。
そして松岡の授賞のプレゼンターは、昨年の受賞者で、開会式冒頭でプロジェクションマッピングの映像に合わせた華麗なアクションパフォーマンスを披露した武田が務めた。2人は「少女戦士伝シオン」で共演して以来の友人。松岡は顔をクシャクシャにして武田の元に駆け寄り、抱き合った。武田の手を握り、涙を流しながら出会った頃を振り返り、「2人ともヒマでグダグダしていました。いまこうやって梨奈は忙しくなって、私もこんな賞をいただけて幸せです!」と語り、大粒の涙を流した。武田も松岡の言葉にもらい泣きした。さらに、夕張の熱い歓迎に対しても「なんでみなさん、こんなに優しくしてくれるんですか? 寒いのに沿道でずっと手を振ってくださって。この仕事を12年やっていて、初めての賞がこの賞で幸せです! 新しい風を吹かせる人に必ずなります。映画が大好きなみなさんに「映画が好きでよかった」と言ってもらえる作品に絶対に出ます!俳優を一生続けます」と飛躍を誓った。』
※まだこの頃は「ハイキック!」のイメージはなかったんかなぁー。
実にあっさりと殺されちゃう。武田梨奈ファンの視聴者はビックリする
こと必至だ。まだ知名度のあった武田梨奈より、他の若手アイドル
を売り出したかったという事情なんじゃないかしらん?(勝手な妄想)
※茉優チャンの演じたカリンは、明るいドジっ子といったイメージの
キャラで、唯一リアルな存在感を醸し出していた(他が全部ダイコン
で、始めたての演劇部員の集まり~?みたいなクオリティだったから
余計)。
※とにかく全体的に画面が暗すぎて鬱陶しかった・・・。CGをそれ
らしく見せるためには致し方なかったのだろうか(当時の技術的に)。
HEUREUSE 谷内里早、松岡茉優、北出菜穂 『少女戦士伝シオン』舞台あいさつに出席
→ 『(2010年)8/20~21、『少女戦士伝シオン』が渋谷シアターTSUTAYAにてレイトショー上映されます。舞台あいさつは以下のとおりです。「少女戦士伝シオン」舞台あいさつ 8/20(金) 渋谷シアターTSUTAYAにて 18:00~開場 18:40~舞台挨拶 19:00~上映』
→ 『(2010年)8/20~21、『少女戦士伝シオン』が渋谷シアターTSUTAYAにてレイトショー上映されます。舞台あいさつは以下のとおりです。「少女戦士伝シオン」舞台あいさつ 8/20(金) 渋谷シアターTSUTAYAにて 18:00~開場 18:40~舞台挨拶 19:00~上映』
※生き生きしてた。そのお宝、ずっと持ち歩いてくれたら、画面ももっと
明るくなったろうに…(って、そういう問題?)
最後はなんだか戦士カリンがどうなったのか、うやむやで終わってしまった。劇中では主役の子が勝利を掴んだわけだが、芸能界という名の格闘大会で、実質勝利を得たのは、松岡さんでしょうねぇ~~~♪(武田さんは若干B級路線だし~~~w)
●これは、ソノ・シオン・・・
『至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるものなり/世に材なきことを憂えず、その材を用いざるを患う。』 |
出展:? |
発言者:吉田松陰 思想家 教育者 1830年9月20日~1859年11月21日 |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp 吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) 古川薫 (著)
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):志高く維新を先駆した炎の思想家吉田松陰が安政の大獄に連座し、牢獄で執筆した『留魂録』。愛弟子へ切々と訴えかける最後の訓戒で、死に直面した人間が悟り得た死生観を書き記した格調高い遺書文学の傑作を味読・精読する。/■登録情報:/文庫 224ページ /出版社 講談社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4061595652 ISBN-13: 978-4061595651 /発売日 2002/9/10 /梱包サイズ 14.6 x 10.6 x 0.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:きつねやきそば 5つ星のうち4.0 「現代にも生きる“自分の生き方”を考える一冊」2016年5月1日・・・大河ドラマ「花燃ゆ」で、留魂録の存在を知りました。人の生涯を「四季」になぞらえ、自分の蒔いた種を次の世代に託す考え、大いに共感しました。頻繁に目を通すわけではありませんが、心が行き詰まったときにふと見開く一冊です。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):志高く維新を先駆した炎の思想家吉田松陰が安政の大獄に連座し、牢獄で執筆した『留魂録』。愛弟子へ切々と訴えかける最後の訓戒で、死に直面した人間が悟り得た死生観を書き記した格調高い遺書文学の傑作を味読・精読する。/■登録情報:/文庫 224ページ /出版社 講談社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4061595652 ISBN-13: 978-4061595651 /発売日 2002/9/10 /梱包サイズ 14.6 x 10.6 x 0.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:きつねやきそば 5つ星のうち4.0 「現代にも生きる“自分の生き方”を考える一冊」2016年5月1日・・・大河ドラマ「花燃ゆ」で、留魂録の存在を知りました。人の生涯を「四季」になぞらえ、自分の蒔いた種を次の世代に託す考え、大いに共感しました。頻繁に目を通すわけではありませんが、心が行き詰まったときにふと見開く一冊です。』
今から102年前の今日、すなわち大正3年(1914)9月20日、47歳の漱石は岩波書店から『心』の単行本を上梓した。東西の朝日新聞紙上に4月20日から110 回にわたって連載した小説を1冊にまとめたものであった。本の表紙や扉などのデザインも、漱石が自ら手がけた。そのことは、単行本の序文にも書かれていた。
《装幀の事は今迄専門家にばかり依頼していたのだが、今度はふとした動機から自分で遣(や)って見る気になって、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉(ことごと)く自分で考案して自分で描いた》
とりわけ表紙はユニークだった。中国・周時代の石鼓文の拓本を地紋にして、そこに和装本の題箋のように康熙辞典の「心」(『荀子』)の項を貼り付けたようなデザインとしたのである。石鼓文の拓本は、熊本五高時代の教え子で外交官として中国へ赴任している橋口貢が送ってくれたもので、漱石は貢にこんな礼状を送っている。《御恵贈の拓本は頗る珍しく拝見しました。あれは古いのではないでしょうが面白い字で愉快です》(大正3年8月9日付)
単行本『心』は、出版の形式もほとんど自費出版だった。初版の費用は漱石が自ら負担し、版を重ねるにつれて、岩波書店側で償却する形の特殊な契約だった。というのも、岩波書店を起こしたのは漱石門下の岩波茂雄だったからである。古書店として始めた商売を、岩波は出版社に育てていきたいと思っていた。漱石の『心』がそのスタートに勢いをつけた。岩波に対する漱石のまたとない応援だった。当代一流の人気作家として、他社からも引き合いがある中で、あえてなんの実績もない岩波書店を版元に選び、しかも費用を自分で捻出した。その後、岩波文庫におさめられたこの名作は、いまも売れ続ける永遠のベストセラーとなっている。
『心』の刊行以前、商売上の資金のやりくりに困ったときも、岩波茂雄はしばしば夏目家にやってきては金を用立ててもらっていた。後日、岩波が夏目家に三尺四方ほどの大きさの卓を持参したのは、そうしたもろもろのことへの御礼の意味だった。漱石はこの卓を見て、「なんだ、紫檀じゃないのか」などと、ぶつぶつ小声で文句を言った。/漱石は大の紫檀好きであった。紫檀は重く硬いのに工作しやすく、加工後の狂いも少ないため、昔から家具や細工物の材として重用されてきた。漱石もその光沢や手ざわりを愛し、文机や煙草入れなど、紫檀のものを多く身の回りに置いていたのである。
「紫檀、紫檀」という漱石の呟きに、たまりかねた岩波が、「そんなに先生がお嫌いなら持って帰ります」というと、漱石先生あわてて、「いや、何も持って帰るには及ばんよ」と、すまし顔。ひと間あって、一同大笑いになった。