しょこたん、渋谷でこけら落とし!!

ネタりか 中川翔子、渋谷の新名所で ”こけら落とし” ライブ
『2018年9月23日(日)、新たに東京・渋谷にオープンした新施設「渋谷ストリームホール」にて、中川翔子によるこけら落としライブ『中川翔子コンサート2018』が開催された。3ピースガールズバンドを従えてステージに登場した中川は「Wikipediaに書いてあったけど“こけら落とし”を見た人は寿命が延びるらしい!」などと投げかけ、会場にかけつけた合計1,400名のファンとともに渋谷の新名所のこけら落としを盛り上げた。本編中で『calling location』を歌唱すると、10月からTVアニメ「ゾイドワイルド」でOP・EDアーティストとしてタッグを組む“ジェジュン”が、自身のコンサートでカバーしてくれていることにも触れ、「『calling location』ってアルバムの曲なんですけどね。まさかそんな風に楽曲が伝わってくれているのがうれしいです」と語った。
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続く楽曲は「綺麗ア・ラ・モード」。はじめて歌ったときは、作詞を務めた松本隆氏からもダメ出しを受けたというこの曲も「歌えば歌うほど馴染んでくるよ」という松本氏の言葉の通り、年月をかけて磨き上げた歌声で魅了した。ライブ中盤には、CHiCO with HoneyWorksの『世界は恋に落ちている』をカバー。11月7日(水)にリリースする“チコハニ”とのコラボ曲のレコーディングを振り返って「とにかくあまい~~~!!」と興奮するなど、リリースを楽しみにしているファンの期待を煽った。その後も「塔の上のラプンツェル」楽曲のメドレーも含め、ガールズバンドならではの華やかでポップなステージングを魅せると、本編最後は「100回以上歌ってきた」という代表曲『空色デイズ』で締めくくり。「この場所では『空色デイズ』もまた初めての曲になります!この景色がこの場所の歴史に残っていくんだぜ!」と叫んだ。そしてアンコール明け、「みんなが生きている間ずっと笑顔でいれるように」という想いを込めて自ら作詞した約3年半ぶりの新曲『blue moon』を初披露。「はじめての瞬間はいつも緊張します」とつぶやいた中川の想いに応えるように、会場は青一色のサイリウムで染められて、ライブはこの日のクライマックスを迎えた。怒涛の勢いとエネルギーであっという間に幕を下ろした、こけら落とし2公演合計36曲。今年は新曲のリリースも続き、北海道から沖縄まで日本全国でのリリースイベントや、さらにアメリカ・ニューヨークでのライブも予定されている中川翔子の今後の活躍から、ますます目が離せなそうだ。』

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しょこたん☆ぶろぐ こけら落とし!
『渋谷ストリームホール。こけら落とし公演 昼夜!とbluemoonリリイベはいたっち会!ありがとう!ライブハウスのこけら落としに召喚していただけるなんて、縁起が良い!そして歌を歌うことがちゃんとつたわってる!ありがたいです!そしてこけら落としをみると 寿命がのびるらしい!すごいね、いつもみんなにあえると長生きしてねとつたえる、心から思うけど、こけら落としにまさにそんな効果があるなら最高じゃん!』
※タイトルに「こけら落とし!」などと書かれると、なーんか新しいプロレス技
みたいじゃああーりませんこと!?

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中川翔子、渋谷の新名所で ”こけら落とし” ライブ - めるも


RollingStone 中川翔子、新編成のガールズバンドを従え渋谷で「こけら落としライブ」完遂
『「ドリドリ」「さかさま世界」で冒頭から一気に加速し、代表曲の一つ「綺麗ア・ラ・モード」を伸びやかに歌うと、ライブ中盤には、CHiCO with HoneyWorksの「世界は恋に落ちている」をカバー。11月7日にリリースする“チコハニ”とのコラボ曲のレコーディングを回想。その後も「塔の上のラプンツェル」楽曲のメドレーも含め、ガールズバンドとの相性もバッチリで、華やかでエネルギッシュなステージングを見せた。本編最後は「100回以上歌ってきた」という代表曲「空色デイズ」で締めくくり。「この場所では“空色デイズ”もまた初めての曲になります! この景色がこの場所の歴史に残っていくんだぜ!」と叫んだ。そしてアンコール明け、「みんなが生きている間ずっと笑顔でいれるように」という想いを込めて自ら作詞した約3年半ぶりの新曲「blue moon」を初披露。中川の想いに応えるように、会場は青一色のサイリウムで染められて、ライブはこの日のクライマックスを迎えた。11月には新曲のリリースがあり、北海道から沖縄まで日本全国でのリリース・イベントや、さらにアメリカ・ニューヨークでのライブも予定されているそう。今後の活躍に注目したい。』

★今週はストーカー騒動もありまんた。。。
●ストーカーが逮捕された結果…とんでもないことを言い出す


★オマケ
身についた常識やスキルを、何とか頑張って引っぺがす
『アニメクリエイター、イラストレーター、ゲームクリエイター、声優など、日本が誇るポップカルチャーの領域で活躍している方々と、中川翔子による一対一のトークセッション。今回のゲストは、テレビ番組やCMを制作する2人組ユニットのAC部。対談の後編では、2人の素顔に迫りました。
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/中川:「ボブネミミッミ」の中で特に思い入れのある作品は?/板倉:僕は「罠」のやつ(10話)。これは作っていてなかなかいいのが出来たなと思いました。/中川:「こいつ〜」ってやつですね(笑)。あれ、どういうことなんですか?(笑)/板倉:あれは、原作でウェイターに罠を仕掛けるというネタがあって、アニメではその罠を増やして、しかも自分で引っかかっちゃうというオチまで作りました。/安達:僕らの手法で、「増やす」「繰り返す」っていうのはよくありますね(笑)

●ボブネミミッミ 10話 罠


僕は、「みんなのカバャピョ」が特に思い入れありますね。「ボブネミミッミ」はどんな感じの作品になるのか、神風動画さんに最初にプレゼンしたときからこのキャラは登場していたんです。/板倉:神風さんにすごく褒められたのを覚えてますね。神風さんは本当に理解のある人で、結構前から僕らの作品を観てくださっていて、僕ら以上に僕らのことを認めてくださっているというか。/中川:神風さん、さすがですね。それにしても、「カバャピョ」っていうタイトルだけでのけぞる! どうやって発音したらいいんだ……(笑)。こういう面白さって、大人になってローテーションを繰り返す毎日の中に埋没していると忘れてしまう何かを思い出させてくれるんですよね。/安達:そうですね。大人になっていろんな常識やスキルが身についちゃったりするのを、何とか頑張って引っぺがすということを毎日やっていますね。/中川:元々お二人はどんな関係だったんですか?/板倉:多摩美の同級生でした。同じクラスで、最初はあいうえお順で席が決まっているから、安達と板倉、それから結成時のメンバーだった安藤真は席が近かったんです。/中川:うわあ、すごい運命……。当時はどんなことを話して笑ってたんですか?/板倉:昔のマンガを古本屋へ行って買い漁るというのを、3人でよくやっていましたね。それで、いい表紙の顔を見つけては笑ってました。昔の劇画とか好きで、それを観ながら模写とかしていましたね。僕は、『野望の王国』(雁屋哲の原作、由起賢二の作画による、日本の劇画作品)が大好きだったんですよ。中川さんにもぜひ読んで欲しいんですけど、メチャメチャ頭のいい東大生でありヤクザでもある2人が日本を支配するまで上り詰めていく話。日本の権力構造を勉強できるんです(笑)。/中川:読んでみます(笑)。
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/安達:そんな感じでどんどん仲良くなっていきましたね。最初はクラスみんなでワイワイやっていたんですけど、だんだんと趣味趣向が分かれてきて、それぞれグループが形成されていくじゃないですか。それで最終的に残ったのがAC部だったんです。/中川:未だに会社にしてないって本当ですか?/安達:そうなんです。「AC部」っていうくらいで、会社ではなく「部活」なんです(笑)。/板倉:忙しすぎて、どうやったら会社に出来るのか調べる暇もなくて。/中川:そんな理由で!?(笑)/板倉:毎年、確定申告のときに頭を痛めてますね。だから、会社にしてなくて損してるのか得しているのかもよくわかってないんですよ。/中川:もう、何もかもが衝撃的すぎる(笑)。ちなみに、普段はどんなものを食べているんですか(笑) 私、クリエーターさんがなにを養分にしているのが気になるんです。/安達:(笑)。僕は、大豆が大好きで、ありとあらゆる大豆料理を食べています。豆腐とか、豆乳も好きですし。/板倉:僕はナッツ類ですかね(笑)。それと、アイスのPINOが好きです。アイデアが煮詰まったときはPINOを食べていますね。
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/中川:可愛すぎる(笑)。それと今日は、第7話で披露されたヘルシェイク矢野の高速紙芝居、その現物を持ってきてくださったんですよね。ちょっと見せてもらってもいいですか? うわー、すごい! 本物だ。消しゴムで消した後とかもある(笑)。手の形に切り抜いてあったり、2つのスケッチブックを組み合わせたり、本当に凝ってますよね。もう、神の領域です。それに、この肉筆の迫力もすごいですね。いずれどこかのミュージアムに収蔵されるんじゃないでしょうか。/板倉・安達:(笑)中川デジタルになってセル画が失われてしまった今、スケッチブックに描かれた原画なんて貴重すぎる! しかも、この絵を動かすことが出来るのはお二人だけっていうのがすごいですよね。/安達:確かにそうですね。/中川:ペンは何を使っているんですか? 筆ペン?/安達:線が筆ペンで、色は墨汁の濃淡で出しています。いろいろ試しながら、ここにたどり着いた感じですね。このやり方が一番キレイに見えるという。/中川:話の流れとか、紙をめくるタイミングとか、そういうのはどうやって考えるんですか?/安達:まず絵コンテを描いて、その後「紙芝居コンテ」っていうのを作って、「ここでスケッチブックを合体させる」みたいなシミュレーションをしてから実際に描いていますね。ただ、コンテに沿って作ってみても、実際にやってみたら間がうまくいかなかったりすることもあって。そういうときは、2人でいわゆる「ネタ合わせ」をしながら改良していってます。/中川:どこまでもアナログな作業なんですね。今までも、例えばお笑い芸人さんがシンプルな紙芝居を披露するのは観たことがあったんですけど、アニメ制作チームがその技術を紙芝居に落とし込むっていう発想はなかったと思う。「感動ドキュメンタリー」というタイトルでしたけど、観終わったときは本当に感動しました。Twitterのトレンドが、「ヘルシェイク矢野」で染まったときも感慨深かったです。/安達:あれはすごかったですね。
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/中川:ちなみにテレビの収録は、何テイクくらいやったんですか?/板倉:10回くらいかな。練習が半日くらいしか出来なかったんですよ。収録の日が決まってて、出来上がったのがギリギリだったので。最初はすごくゆっくりやってたんですけど、やりながらどんどんスピードを上げていって。4分くらいだったのを3分くらいまで縮めました。/安達:こちらから「だいたい3分くらいの内容です」って言ってしまったんですよね。割り当てられた尺は後から変えられないので、そこに収めるためにはスピードを速めるしかなくて(笑)。/中川:しかも、「アニサマ」(「Animelo Summer Liv」)にヘルシェイク矢野が出演するっていうのは、今日本中が一番びっくりしていることだと思うんですよ(笑)。「ボブネミミッミ」の生アフレコ・イベントも、いつかぜひやって欲しい。今後、やってみたいことは?/安達:陶芸とか(笑)。映画も作りたいです。これまでショートムービーしか作ったことないんですけど、長編にも挑戦したいんです。今、インド映画の『バーフバリ』が話題じゃないですか。あれとか自分にとっては理想的で。やりたいことを、独自の感性でやり切っていて、かつ大勢の人に受け入れられ面白がられているという。さらに、2時間も飽きさせずに観せられるのは、ちゃんとした土台がある上で超越したことをやっているからだと思う。『バーフバリ』は、僕らのようなタイプの表現でも、長編映画を作ることが可能なんじゃないかっていう希望を持たせてくれた大切な映画です。
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/中川:AC部の映画とかめっちゃ面白そう……。作ってくださいぜひ!/安達:ありがとうございます。まだスタートラインにも立ててないですけど、頑張ります。/中川:ちなみに板倉さんも、「バーフバリ」はお好きですか?/板倉:僕は観てないんです。/中川:温度差!(笑) あと、もう一つお願いがあって。わたし、BEAMSさんと「mmtsマミタス)」というブランドをやっていて、中野ブロードウェイにお店を出しているんですけど、ネコのイラストを描いてはもらえないですか……? そんなコラボレーションを夢見ているんです。/板倉:(笑)。ぜひやらせてください。ネコは頻繁に描いているので。中川:やったあ! 実現したらいいなあ……。』

☆「ポプテピック」関連動画
●Pop Team Epic Best Funny Moments (Episode 1-6)


●Pop Team Epic OP Single POP TEAM EPIC (Full Album)




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日9月23日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『足が疲れたなら、肩で歩けばいい。/一日を一生だと思って生きれば、何があっても心は崩れない。/行く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし。』
出展:順に、「一日一生」「ムダなことなどひとつもない」「高倉健に贈った言葉」
発言者:酒井雄哉天台宗の僧侶 1926年9月5日~2013年9月23日)
『解説:酒井雄哉といえば比叡山延暦寺千日回峰行(センニチカイホウギョウ)を二度満行した行者として知られる。7年間で1000日比叡山山内を巡行するなどの荒業で、比叡山1000年の歴史で2回したものは3人しかいないという。最初の言葉は実に奥が深い。「しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる。」そのことで、「歩きながら休む」ことができるというのだ。この意識の飛躍は、仕事や生活にも応用できそうだ。一日一生、仏教者らしい人生訓だ。酒井は著書も多いが、いずれからも勇気をもらえる。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 一日一生 (朝日新書) 新書 天台宗大阿闍梨 酒井雄哉 (著)
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『■内容紹介:「一日を一生のように生きよ、明日はまた新しい人生」。 現代の〝生き仏〟と称される酒井雄哉大阿闍梨の慈雨の言葉集。生々流転を経て、比叡山千日回峰行を二度満行、いまだ歩き続ける。なぜ生きるのか。いかに生くべきか。人生に迷うすべての人に。「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」「仏さんには、なんもかんもお見通しかもしれないよ」 /■登録情報:/新書 187ページ /出版社 朝日新聞出版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4022732385 ISBN-13: 978-4022732385 /発売日 2008/10/10 /梱包サイズ 17.2 x 11 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:ジェット猫 5つ星のうち5.0 「机上論ではない重みを感じます」2014年12月22日・・・生死を賭けて、二度も千日回峰行を満行された酒井雄哉さんがお書きになられていますから、文字を通してもその重み、人生が伝わって来ます。淡々とした語りの中でも、改めて自己の存在意義を考えさせてくれる本です。』


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健さん酒井雄哉さんを師と仰いでいるのかと思ったが、逆もまた
真なり、で酒井雄哉さんも健さんを師と仰いでいるようですなーーー

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高倉健は、酒井さんの言葉に勇気づけられ、映画『南極物語』に出演
 することを決意したのだという・・・。

アサ芸+ 高倉健 人格を形成した「信仰心」に迫る
『月刊誌に掲載された「最期の手記」を、長年交流のあった高僧の言葉で締めくくった高倉健。知人の親族の命日にも何年も供物を贈るなど、死後、にわかに明るみに出てきたのが、その精神世界への強い傾倒だ。取材を進めると、神仏を問わない「厚い信仰心」証言が次々と聞こえてきて‥‥。健さんの神のような人格を形成した「ルーツ」を探った。
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〈「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」阿闍梨さんが浮かべる満面の笑みとともに、僕に一つの道を示し続けてくださっている〉/これは、高倉健(享年83)が亡くなる4日前の11月6日に書き上げ、月刊誌「文藝春秋」に寄せられた手記の最後の一節だ。はからずも「最期の手記」となったことで話題を呼び、新聞でも異例の扱いで報じられたのだが、冒頭の「阿闍梨さん」とは、天台宗大阿闍梨で、2013年に心不全で死去した故・酒井雄哉氏(享年87)。手記には、高倉の映画人生の他に人生哲学も記されているが、冒頭から、〈諸行無常。〉と、仏教用語を用い、酒井氏との“魂の交流”について多くの紙幅を割いている。そして迷いが生じた時に酒井氏に贈られたことを手記で記している「往く道は──」の言葉で最後を締めくくったのだ。(中略)手記の中では、酒井氏と山で修行中に現れた、2匹のうなり声を上げた野良犬がいつの間にか酒井氏を先導するようになったことや、酒井氏が香をたき、経を唱えると、煙が微動だにせずまっすぐ立ち上ったことも記されている。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“僕は二階に居る、大将は下に居る(談話『正岡子規』より)”

【1895年9月23日、28歳の漱石正岡子規と散歩しながら句作を楽しむ

今から121年前の今日、すなわち明治28年(1895)9月23日、28歳の漱石は、松山の上野家の離れ、通称「愚陀仏庵」の2階で目覚めた。地元の中学校で英語教師をつとめる漱石は、この2階建ての借家の2階を自分の居室として使っていた。ひと月ほど前から、1階は正岡子規のために明け渡していた。

子規はもともと胸に疾患を抱える身で、日清戦争の従軍記者として中国大陸に赴き、帰国途中の船内で激しく喀血をした。一時は命も危ぶまれたが、神戸病院、須磨保養院での入院生活で次第に回復。なおしばし静養するため、故郷の松山に帰省した。といっても、そこにはすでに子規の家族はいない。子規の父親は、子規4歳のときに病没。残されていた子規の家族(母と妹)は、3年前、長男の子規に呼び寄せられる形で松山を離れ、東京・根岸へ引き移っていた。

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松山に到着した子規は、いったんは親戚である大原恒徳の居宅に荷をといた。が、漱石の誘いを受け、すぐに愚陀仏庵での同居生活に入っていた。子規のもとには、連日のように俳句仲間が集い、愚陀仏庵は大賑わいであった。/余談になるが、当時、この愚陀仏庵に姿を見せる11歳の女の子がいた。大家である上野家の孫娘の頼江であった。漱石も子規も、この娘を可愛がっていた。頼江は、のちに上京して府立第二高等女学校へ進学、医学者の久保猪之吉と結婚した。松山時代の縁故から千駄木の夏目家へも出入りし、『ホトトギス』『明星』といった雑誌を拠点に俳人歌人としても活躍した。頼江の夫の久保猪之吉はドイツ留学もした日本の耳鼻咽喉学の第一人者であったが、後年、妻を伴い京都帝大福岡医科大学(九大医学部)に赴任。漱石の依頼によって、喉頭結核に罹患した長塚節の診療を受け持っている。

さて、この日、9月23日は、秋季皇霊祭と呼ばれる祭日だった(秋の彼岸のお中日)。学校も休みで、家々の門口には日の丸の旗も翻っている。漱石は、子規と連れ立って散歩に出かけた。松山城を仰ぎ、常楽寺、千秋寺などをめぐりながら、俳句をつくった。漱石の句は、たとえばこんなものだった。

《蘭の香や門を出づれば日の御旗》
《見上ぐれば城屹として秋の空》
《鶏頭の黄色は淋し常楽寺
黄檗の僧今やなし千秋寺》
《土佐で見ば猶近からん秋の山》

散歩から帰ってしばらくすると、子規の叔母が、まだ小学生の長男におはぎを持たせて、愚陀仏庵に使いに寄越した。その受け取りの書に、子規は「赤六、黄三、黒三」と色分けを記した。おそらく、赤は小豆、黄はきな粉、黒は黒胡麻だったのだろう。大食らいの子規と甘いものに目のない漱石が、3種のおはぎを頬張る姿が目に浮かぶ。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「おはぎ」「3種類」で動画検索してみました!!)

●3種類のおはぎ達 あんこ きなこ よもぎ


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※おはぎは美味しいが、見た目はグジャグジャとしてエグいもんですなw

●【3種類】お尻をふる猫



※戦闘モードの、ネコのおはぎちゃん。

ジョニーAのつぶやき:しょこたんは、加藤登紀子さんのコンサートに飛び入り出演して、念願のシャンソンを一緒に歌うことができたそうな。良かったですねーー。天国のおばあちゃんもさぞ喜んでいることでせう~