小谷野引退!借りを返してもらってない感残しつつ・・・

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小谷野栄一オフィシャルブログ 引退のご報告
『皆さんこんばんは。マネージャーの芋です。既報の通り、小谷野栄一は、本年をもって引退することになりました。久しぶりのブログ更新が寂しいお知らせになってしまい、皆様には申し訳ない限りです。いつか、この報告をするブログを書かなくてはいけないんだろうと思ってましたが、こんなに辛いものだとは思いませんでした。10/5、今シーズン最終戦で、引退試合・セレモニーを行う予定です。16年間、様々な壁を乗り越え、ここまでやって来れたのは、皆さまからの温かな応援があったればこそです。まだ先の事は何も決まっておりませんが、これからも、人生というグラウンドで、ひたむきにプレーする小谷野栄一を応援いただければ幸いです。
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本人も湿ったらしくなるのは嫌だと思うので、文章も明るく笑顔で切り替えていきたい!まだ、今シーズン終わってませんので、最後まで応援を宜しくお願い致します!※次回は10/5に更新予定ですグッ 私もそれをもって引退ですえーん セレモニーはやりませんNGNG ※報道では松坂投手からヒットを打ってないというやりとりが話題になってましたが、実は、私からもヒットを打ったことはありませんグッ(球が遅すぎる上、ストライクが入らない為)』

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※先細り感ハンパないなー。だからチャンスでの代打の切り札要員で
十分だったのに。。。チャンス時の期待度は少なくともT-岡田の
100倍はあるんやし・・・w

日刊スポーツ 引退のオリックス小谷野、号泣の最終打席は遊ゴロ
『<オリックス4-6ソフトバンク>◇5日◇京セラドーム大阪/今季限りで引退するオリックス小谷野栄一内野手が9回、代打で登場した。京セラドーム大阪には練習開始前から阪神藤川、ソフトバンク和田、楽天平石監督代行ら松坂世代のチームメートから続々と花が届いた。スタンドは3万5000人を超えるファンで埋まり、イニングごとにスクリーンに小谷野の勇姿が映し出された。終盤から代打の準備を始め、9回にベンチ前に出た小谷野はすでに目を赤く潤ませ、何度も涙をぬぐった。9回2死で代打の打席に立ち、家族が見守る前で遊ゴロ。今季最後の打者になった。』

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パ・リーグ・チャンネル 2018年オリックスまとめ
https://player.vimeo.com/video/293553685

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※持病アリの小谷野を、それと承知で招聘したフクラッチョ。二人の絆の強さを
象徴するような涙の競演だが・・・。いやいやいや、もっと起用方法考え
てれば長く現役生活送れただろうに。なんか釈然としない。。。

☆動画が見つからんかったが、2014年のCSで、2位オリックス
3位日本ハムの第3戦。忘れもしない、ピッチャー西の粘投を打ち砕き、
その後の稲葉(その年で引退決定していた)の同点ヒットを許してしま
った、あの試合がいつまでも記憶にこびりついて離れない。
なんでああいうチャンスで打ってくれるんや!で、勝負強いってんなら
オリに入ってからももっと活躍してくれよ、と。文句タラタラである。

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※西クンにとっても、あの時の悔しさは忘れられない思い出だろうーーー
(あの年、西くんはここ一番ってところで打たれてよく泣いていたっけw)

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※ともあれ、今年は終わった。早くもペナントが終わってしまったのだ・・・
来年こそは、11月まで楽しませておくれよーーー。あ、でも、もう来年は
西くんはいないかも、なんだネェーーーーー。

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※もうこのメンチ切りも見られないかと思うと少々寂しいねえー。
ご苦労さんでした。コーチとして古巣の日ハムにでも行って、
活躍してくださいな。自分を追い出した近藤とかにメチャメチャな指導を
して、調子ボロッボロにして欲しいんだワサーーーー。(ソレッテイヤガラセヤン!)




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月3日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『あるとき、誰かに見られてるような気がしたんだ。視線ってのかな。それを感じた。誰だろう、俺を見ているのは。そう思ってきょろきょろしたわけ。そしてら、あの研究所の建物の向こうに 富士山が見えた。』
出展:「富士山」(文芸春秋
発言者:田口ランディ (小説家 エッセイスト 1959年10月3日)
『解説:田口ランディに「富士山」という、まさに富士山にまつわる短編を集めた本がある。その中の短編「青い峰」にこの言葉を見つけたときは、目から鱗だった。富士山に見られているという生き方なんて考えたこともない。しかし、自分が富士山に恥じない生き方をしているだろうかと考えることは、自分や人に恥じないと考えるより、すとんと解り易い。今の努力も富士山は見てくれている。こういう視点はいいな。』

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※ランディさんって、、、福良監督に似てるような気がする。。

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp マアジナル 単行本 – 2011/6/1 田口ランディ (著)
『■内容(「BOOK」データベースより):一人の少女が、この路地で消えた。1987年10月23日―。あの日、少女に何があったのか。拉致?神隠し?UFO?それとも―かつて一緒にUFOを呼んだ6人の少年少女。その人生が再び交錯する時、世界は揺らぎ始める。現実が静かに壊れていく。著者渾身の最新長編。
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/■登録情報:/単行本 399ページ /出版社 角川書店(角川グループパブリッシング)  /言語 日本語 /ISBN-10: 4048742019 ISBN-13: 978-4048742016 /発売日 2011/6/1 /梱包サイズ 19 x 13 x 2.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.6 /■カスタマーレビュー:ina 5つ星のうち5.0 「曼荼羅のようなランディさんの世界観」2011年6月20日・・・すごく面白かった!UFOを一本の糸として、量子論スウェーデンボルグ、カント、精霊、死後、夢、民俗学天文学占星術・・・・・こんなに具だくさんで神秘的な素材を、おいしく食べやすい料理に変えて調理してくれるのはランディさんくらい。通常の意識状態をゆるくほどいて読まないと、この世界観から振り落とされてしまいそう。自分の意識状態のマージナルの場所に食い込んでくる小説です。 生命が誕生する下りには鳥肌が立ちました。 UFOというシンボルを通して、科学もオカルトも超えて新しい生命観の産声を感じました。人間がこの世界へと生まれ落ち、この世界を生きていき、死んで異なる世界へと旅立っていくこと。現代の根源的な生命哲学を変化球で受け取った気がします。 これこそが読書の醍醐味。曼荼羅のようなランディさんの世界観の新境地だと思います。』

●コンセント(プレビュー)

・アパートの一室で餓死した兄。兄はなぜ生きることを止めたのか? 無機質なその部屋にはコンセントに繋がれたままの掃除機があった。何かのメッセージであるかのように。田ロランディのベストセラーを映画化

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※市川のお姉ちゃんのほうやーーーーっ!

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“池辺君が退社したに就て或は自分も出ようかと考えた(『書簡』明治44年10月25日より)”

明治44年(1911)10月3日の漱石夏目漱石朝日新聞主筆・池辺三山の告白に仰天する

今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)10月3日、漱石は病に伏した自宅の床の上で、池辺三山の訪問を受けていた。漱石は関西方面の講演旅行の途中、胃病のために入院。帰京後、痔を悪くして自宅で処置をしてもらい、しばらく床に起き直ることもできなかった。いまようやく、体が起こせるようになってきた今日この頃であった。/「主筆を辞めたよ」池辺三山は突然にそう言った。漱石は仰天した。

三山は漱石の東京朝日新聞入社以前から同社の主筆をつとめてきた人物。漱石が最終的に朝日入りを決断したのも、三山と面会したときにその人柄と風貌に動かされたためだった。漱石が驚きながらも事情を問いただし、三山は説明していく。きっかけとなったのは、朝日新聞に連載中の森田草平の小説『自叙伝』。平塚らいてふとの心中未遂事件を題材にした『煤煙』の続篇であった。社の評議員会(編集会議)の席上で、その内容が不道徳だという非難の声が出た。話はそこにとどまらず、漱石の指導のもと、小宮豊隆森田草平が実務者として運営している文芸欄も廃止すべきだという議論に発展した。政治部長の弓削田精一が、これを強く主張した。池辺三山はこれに反対し、草平と文芸欄を擁護した。

結局、『自叙伝』も文芸欄も続けることとなったが、交錯する言葉のやりとりの中で今度は弓削田精一と池辺三山の辞職話が浮上した。最後は社長の村山龍平まで大阪から上京。両人とも、辞表を提出する形で、決着することとなったのであった。自分の門弟の森田草平のことが起因となった事件である以上、自分も辞職せねばならん。漱石はそう思い、口に出した。が、三山はそれだけは絶対にいけないと引き留め、引き上げていった。

漱石は考えあぐねた末、2日後、弓削田精一へ手紙を書いた。病臥中でこちらから訪問できないので、申し訳ないが一度足を運んでくれないかと頼んだ。直接会って話をすることで、もう少し円満な方向へ導けないかと思ったのである。しかし、一度決裂したものを元に復することはできなかった。漱石が自ら評議員会で朝日文芸欄の廃止を提案し、可決されたのは、この数週間後、10月24日のことだった。騒ぎをよそに自分だけが埒外にいて安穏としていることは、漱石先生の気持ちが許さなかったのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など



ジョニーAのつぶやき:簡略化習慣~。。。