アジアンダイニング「アガン」(加古川)へ潜入

公式HP
『本場インド・ネパール料理だけではなく、アガンでは、タイ、ベトナル、韓国、日本など、さまざまなアジアン料理をお楽しみいただけます。その中でもやっぱりカレーは絶品。アガンのカレーは一度食べたら忘れられない。スタッフ全員がネパ-ル人。インド料理やネパール料理だけじゃなくて、アジア各国のご馳走をマスターしたことで、他店では味わうことができないアジア各国のご馳走をお楽しみいただけるオリジナリティ溢れるお店が実現。それが「アガン」です。まさしくここは、「アジアの食の博物館」。「アジアのご馳走を。あれこれ楽しみたい・・・」。そんなワガママなご希望をかなえることが出来る、そんな魅力的なお店です。』

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※最初にお店の看板に遭遇した際には、「アガシ」に見えて、韓国料理かな?
と勘違い(確かアガシは韓国語で“お嬢さん”の意味だったはず)したのだ
が、、、よくよく観察してみたら「アガン」。あ、ガーーーーン!!という
ファーストインパクトだった。(何のこっちゃ・・・)

食べログ アガン野口店
『☆ お洒落で美味しいマネージャーさんの口コミ:噂では評判の良いネパール料理店さんと言うことで初来店。よくあるネパール料理店とは違い広々とした空間、当日は忘年会などもされていましたがサービスに手抜きなくマメな接客に満足です。今回は初なのでオススメのアガンスペシャルディナーをチョイスしました。前菜に出てくるシシカバブやタンドリーチキンも美味しく、スープとして出てきたトムヤムクンが辛さも良く凄く美味しくて私には珍しくトムヤムクンスープを全部飲みました。メインのカレーはマトンのカレーをチョイスしましたが、全く臭みも無く言われなければマトンとは思えないほど下処理され煮込まれてるカレーは絶品で、またチーズナンはチーズがほんのり甘くカレーとの相性が抜群でした。♪( ´▽`)最後にマンゴーラッシーも頼みましたが、これもまたラッシーとマンゴーの配分が良く甘過ぎずカレーの後のドリンクとして最高のドリンクでした。私には珍しくまた、何回か行って違うカレーやサイドメニューを頼んでみたくなるお店でした。』
※クチコミ評判はなかなかの誉めコメントが続きますーーー。

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入口すぐにゾウの置物(1対)がお出迎え~~。

●動画は探したけど見つからなかったワー


★クチコミコメント
Retty 竹林孝弘の口コミ
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加古川市野口に有るアジアンダイニング「アガン」さんに行ってきました!ランチセットメニューの日替りランチセットとチーズナンセットを頂きました!カレーの辛さは選べて2つとも③の辛口にし、ドリンクはアイスチャイにしました。食べログでお勧めだったチーズナンはココナッツバター?が存在感が強すぎ甘さが強すぎるように思いました!日替りのプレーンナンは40〜50㎝位あり想像以上の大きさでしたが、チーズナンセットのチキンカレーと日替りの南瓜カレーのスパイシーに釣られてプレーンナンを追加してしまい危うく残してしまうほど満腹になりました!プレーンナンの追加はたったの150円で全体にコスパは良かったです!スタッフの接客も良く大好きなお店が増えました!ありがとうございます! リピート決定』
※はっきりわかりませんが、「アガン」には「再び」という意味がありそうです。
1回行ったお客さんが、また再び来店したくなる、そんな願望の込められた店名
なのかも知れません・・・

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トムヤムクンのお出まし。ビールはネパールのものをば。

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※ナン、でか!

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※デザートのマンゴメルバ

◎とにかく、一通りメニューをコンプリートするまでは、毎火曜日
通い詰めることになりそうッスなー。次はインドビールとチーズナン
ですな、とりあえず。。。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月16日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『大いに屈する人を恐れよ、いかに剛に見ゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすに足らぬ。』
出展:?
発言者:伊藤博文 (維新の志士 政治家 1841年10月16日~1909年10月26日)
『解説:初代総理大臣にして立憲主義者、遊びが好きだが生活はかなり質素であった。偉ぶらない、庶民派の政治家だが、百姓の出であり松下村塾で学んだことが色濃く影響している。大いに屈する人、とは物腰の低い人のことだ。いかに偉そうにしても、言動にゆとりと面白みのない者は、大したことはできないというわけだ。いまも時として偉ぶった口調で政治を論じる者がいるが、維新の政治家の思想や言動も学んでほしいものだ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 伊藤博文直話 (新人物文庫) 新人物往来社 (編集)
『■内容(「BOOK」データベースより):幕末動乱をくぐりぬけ、初代内閣総理大臣となった伊藤博文。政治家として栄達をきわめた伊藤が、みずから語った唯一の「自伝」本。人物談あり、幕末の実歴談あり、政談あり、憲政論あり、修養談あり―。肉声が伝える激動の時代と人物。
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/■登録情報:/文庫 335ページ /出版社 新人物往来社 /ISBN-10: 4404038399 ISBN-13: 978-4404038395 /発売日 2010/4/7 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.7 /■カスタマーレビュー:言の葉 5つ星のうち4.0 「生まれついての政治家」2015年4月21日・・・氏に関する本を別に1冊読んでいたが、やはり本人が語るものは興味深い。何せ、この人の目に映っていたものとは日本の重大な歴史そのものなのだから。読んだ感じではやわらかい人格の持ち主という印象で、だからこそあの激しい時代を生き抜けたのだと思った。しかし、残念だったのは氏である吉田松陰や先輩の高杉晋作に関する記述が少ないこと。特に松陰についてはそう感じられ、松下村塾の中でもかなり冷めた目でつき合っていたのではと思われた。つまり、松陰に惚れ込んだ人間はみなその純粋さ故に早逝し、少し距離をとったかと思われる山縣や氏は生き残って政治家として成功したということか?いずれにせよ、国を変えるためにはどちらのタイプも必要であり、氏もまた魅力的な人物だったと思った。それと、「愛国心」に関して、それは自分の仕事に邁進する中で自然に発達してくるものであり、ことさらわめき立てるものではないというようなことを言っている点に共感できた。』

●ガチで、伊藤博文を語る・・・武田鉄矢


伊藤博文資料館 来館者20万人を達成 山口・光



※1000円札の顔抜きパネル、こんなんあるんか・・・。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“幾多の芸術家は芸術家として常人よりも愚である(『草枕』より)”

【1894年10月16日、27歳の漱石】人生の悩みを抱えた夏目漱石、答えを求めて寺に引っ越す

今から122年前の今日、すなわち明治27年(1894)10月16日、27歳の漱石は東京・小石川の伝通院の横手にある別院の法蔵院に下宿することになり、引っ越しをした。漱石の気持ちの中に、何か不安定でしっくりこない感覚が蟠(わだかま)っていた。前年に大学を卒えた漱石は、大学院に進んで勉学を続ける傍ら、東京師範学校の教壇にも立っていた。表面的にはなんの問題もないように見えたが、人生そのものに対して深い煩悶を抱いていたのだ。

この少し前の正岡子規宛ての手紙(9月4日付)にも、《理性と感情の戦争、益(ますます)劇(はげ)しく恰(あたか)も虚空につるし上げられたる人間の如くにて、天上に上るか奈落に沈むか運命の定まるまでは安身立命到底(とうてい)無覚束(おぼつかなく)候》などと綴っている。

このころの漱石は、大学の寄宿舎を出て、一度は3歳年上の友人・菅虎雄のもとに厄介になっていた。菅はドイツ語が専門だが、参禅経験などを経て禅的境地に目覚めていた。その菅の家に身を置き、さらにその紹介で法蔵院に引き移ったのも、何か悩みに対する答えのようなものを掴みたい一心だったのだろう。この日したためた、《所々流浪の末、遂に此所(ここ)に蟄居致候》という狩野亨吉宛ての転居通知にも、当時の漱石の苦しい精神状況の一端が覗く。後年、『処女作追懐談』の中にも、漱石はこう綴っている。《卒業したときには、是(これ)でも学士かと思う様な馬鹿が出来上った。それでも点数がよかったので人は存外信用してくれた。自分も世間へ対しては多少得意であった。ただ自分が自分に対すると甚だ気の毒であった》

この数か月後には漱石は鎌倉の円覚寺にも参禅するが、悩みは容易にとけることはなかった。しかし、その悩みや違和感こそが、漱石先生の創作の原動力ともなっていったのではないだろうか。ふと、作家の吉行淳之介が残した次のような言葉を想起する。《人生が仕立ておろしのセビロのように、しっかり身に合う人間にとっては、文学は必要ではない》(『わたくし論』)《なぜ小説を書きはじめたか、簡単にいえば、世の中に受け容れられない自分の感受性や感覚に場所を与えたいという気持ちがはじまりである》(『私の文学放浪』)

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「芸術家」「愚」で動画検索してみました!!)

伊集院光、ろくでなし子の逮捕での「自称芸術家」報道に苦言


●芸術家『ろくでなし子』さん再び逮捕!アーティストをなめるな!!


ジョニーAのつぶやき:ありゃりゃ、ろくでなし子一辺倒になっちゃった。。。