「恐い間取り」毒霊(ドクリョウ)・・・じゃないや、読了~!

Amazon.co.jp 事故物件怪談 恐い間取り 単行本 松原タニシ(著)
『■内容紹介:事故物件とは、前の住人が自殺・殺人・孤独死・事故などで死んでいる部屋や家のこと。そんな「事故物件」を転々としている、「事故物件住みます芸人」の松原タニシ、初の書き下ろし単行本。「ワケあり物件」の不思議な話を、すべて間取り付きで紹介しています。 自分の部屋に入るのが恐くなる…、「普通の部屋が実はいちばん恐い」という実話を揃えた怪談集です。
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◎ 世の中を震撼させた殺人犯が住んだ部屋 ◎ 住むとひき逃げに遭う部屋 ◎ 気絶するように体調が悪くなる部屋 ◎ 前の住人も前の前の住人も自殺している部屋 ◎ 二年に一回死ぬ部屋 ◎ 住人がすぐに出ていく部屋 ◎ 霊感があると住めない部屋 ◎ 特殊清掃アルバイトをやった部屋 ◎ インターホンに老人の幽霊が映る部屋 ◎ 黒い人がゆっくり近付いてくる部屋 ◎ 中庭に墓石のある長屋 ◎ 黒いシミが浮き出てくる部屋 ◎ 天井の穴から男の顔が突き出ている部屋 ◎ インターホンに謎の声が聞えた部屋 etc /■登録情報:/単行本 256ページ /出版社 二見書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 9784576180977 ISBN-13: 978-4576180977 ASIN: 4576180975 /発売日 2018/6/26 /梱包サイズ 18.8 x 13 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.3 /■カスタマーレビュー:K・M 5つ星のうち5.0 「後からなぜか思い出せない話たち」2018年8月7日・・・怖い話って、なんとなく覚えてるじゃないですか。読んだ後も、何かをきっかけに思い出したりして、うわーー恐いってなるじゃないですか。あれが、ないんです。この本の話。思い出せないんです。あんなに怖かったのに。』
※まさに、この最後のカスタマーレビューの感想まんま。まるで記憶を消されたかのように、お話の概要は思い出せない・・。これってなんかボクシングのボディブローのように、じわじわ後から来るやつか・・・。

Abema TIMES スピードワゴン小沢が絶句 事故物件芸人・松原タニシが語った戦慄の事故物件 2018.08.10
『「事故物件住みます芸人」の松原タニシが、8月6日にAbemaTVで放送された「スピードワゴンの月曜The NIGHT#119」(毎週月曜25時00分~)に出演。事故物件にまつわる恐怖話を語った。「The NIGHT」は平日深夜、日替わりのパーソナリティが司会進行を務める深夜ラジオ風の生放送番組。スピードワゴンは月曜日を担当している。この日の番組テーマは「怪談」。松下ら「怪談四天王」が、それぞれ持ちネタを披露した。
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松原が語ったのは「安里さんのマンション」のエピソード。その物件の部屋は四畳半一間ばかりで、風呂はなくトイレは共同。マンションとは名ばかりの下宿屋だった。「安里さん」はその角部屋に住んでいた。住民同士の付き合いは皆無だったが、安里さんには気になる住民がひとりいた。はす向かいの部屋に住むオタク風の青年だ。ドアが開いているときに見えた部屋にはアイドル女性のポスターが壁一面に貼られ、床にはアニメキャラのフィギュアが並べられていた。彼はほとんど外出もせず部屋に閉じこもっているように見えた。
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オタク青年は、ある日ぷっつり姿を見せなくなった。階下に住む大家に尋ねると家賃滞納が続いたので退去させたのだという。住民の入れ替わりはよくある。安里さんはやがて青年のことも忘れていった。しばらくして、季節は夏になっていた。青年が住んでいた部屋から腐敗臭がすることに気づいた。その翌日、帰宅するとマンションはパトカーと警察官に囲まれていた。大家がいたので話を聞くと、大家の部屋に、天井を突き破ってウジムシが落下してきたのだという。上の階は青年の部屋だった。警官立ち合いのもと調べると、部屋にはオタク青年の腐乱死体があった。彼は合鍵を使って部屋に潜み、そのまま餓死していたのだ。
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気味の悪い出来事に住民はみな退去していった。残されたのは安里さんひとり。その後、元オタク青年の部屋のドアがバタンと開くことがあった。風の影響かと気にせずにいたが、大家も同じような場面に遭遇していたらしく、不安を感じた大家はリフォームをしたうえで祈祷師にお祓いをさせた。その日帰宅した安里さんの目の前でオタク青年の部屋のドアが勢いよく開き、お祓いで使用した鎮め物の紙が掃き出されるように舞い上がった――。松原は、その話を安里さんから実際に聞いたという。マンションは取り壊され、事故物件としては現存していない。/スピードワゴン小沢は、松原の話が終わると視聴者から寄せられたコメントを読み上げた。そこには松原が持参した人形が、瞬きをしたとあった。小沢は恐怖の表情で、その人形を凝視していた。この他にも事故物件に関する怖い話を集めた松原タニシの初の著書『事故物件怪談 恐い間取り(二見書房)』が発売中である。』
※「間取り」を使って事情を説明する、いわゆる“間取り芸”というのは
新しいなーーー♪


☆不動産関連のサイトでインタビューされるタニシ氏!!!
事故物件に住んで分かったことは?“事故物件住みます芸人”松原タニシ氏2
『― 事故物件に住む前にお祓いはしますか?/タニシ:まったくしないです。なんか、お祓いするのは負けてる気がするというか。オバケが出ないようにお祓いしたりパワーストーンみたいなのを着けたりするって、オバケが出ることが前提になってるじゃないですか。お祓いとかせずにいて何も起きないこともあるんじゃないか、というのを確かめたくなってしまうんです。お祓い受けて何もなかったらお祓いのおかげってなるけど、お祓いせずに何も起きなかったら“何かに打ち勝った!”って自分の自信になるんですよ。― 宗教観や生死観についてどんな考えをお持ちですか?
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/タニシ:父親が浄土真宗の坊さんなんですけど、もともとはクリスチャンだったんです。僕が10歳ぐらいのときに父親が倒れて病院に運ばれて、意識を回復したときになぜかキリスト教から浄土真宗に改宗したんです。僕は“逆パウロの改宗”と言ってて、パウロは光が見えてキリスト教になったけど、おやじは光が見えて浄土真宗になったという。そっからウチは仏教になったんですが、「信じられるものってそんなに簡単に変われるもんなん?」ってすごい冷めた目で見てました。宗教の考え方とかは興味あるんですけど、自分が何か信じるというのはなくて、冷静に見てしまいますね。こないだ富士の樹海を散歩しようという企画で行ったときに、白骨化した死体を見たんです。そのときも“うわぁ…”っていうんじゃなくて“こうなるんや”って冷静に見てました。当然のことって言ったらおかしいですけど、そういうこともあるやろな、という感覚になってますね。
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― 事故物件に住んでみてよかったと思うことはありますか?/タニシ:敷金礼金がないとか家賃の安さもありますけど、事故物件に住むことができたっていうのが自信になるんですよ。番組の企画から始まったけど逃げなかった自分を褒めてあげたい、みたいな。事故物件に住んでからのほうが明るくなったって言われるし、事故物件にわざわざ住む芸人は僕が初めてだったんでテレビにも出させてもらったし、仕事が増えました。タレントやからというのもあるかもしれないですけど、事故物件に住んでから僕はすごいよくなってますね。― 事故物件入居を検討している人にアドバイスを。/タニシ:すぐ寝られる人は住めると思います。2軒目は後輩の芸人と住んだんですね。最初は「怖いですね~」って言ってたんですけど、彼は初日に2分ですぐ寝たんですよ。「ぜんぜん怖がってないやろお前!」って。だから寝られる人は大丈夫だと思います。悪いことばかりじゃないんで、住んでみるといいと思いますよ。僕は事故物件のおかげで人と話しやすくなったというか、いろんな人が「こんな事故物件あるよ」と声かけてくれるようになりました。怪談ばなしとかってみんな好きで、話し出したらネタが尽きないんです。事故物件に住んでこんな体験した、っていうと周りがめちゃくちゃ興味持ってくれるんで、ヘンな現象が起きたら僕は「ラッキー!」と思います。事故物件に住むとたぶん人気者になれますし、数カ月住んだときには自分に自信がつきますよ!
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― これまでで一番印象に残っている体験を教えてください。/タニシ:1軒目の事故物件に住んだときの出来事ですが、お風呂でシャワー浴びてたら鏡が曇るじゃないですか。そこに指で書いたような文字が浮かび上がってきたんです。最初にカタカナで「シ」って浮かんだんで、きっと次は「ネ」が出る…こわー!ってなったんですけど、浮かんできたのがちっちゃい「ャ」。なんやろ? と思ったら文字が続いて「ン」が浮かんで、まさか…と思ったら最後「プー」で、「シャンプー」って浮かんだんです。何のメッセージやろ?と思ってシャンプーのポンプ押したらカラになってました。トークライブとかで言うと「つくったやろ!」みたいなリアクションされるんですけど、ホンマなんですよ! オバケがシャンプーの買いどきを教えてくれたんです。だからええヤツなんです。最初は事故物件に住むのめちゃくちゃ怖かったですけど、それがあってぜんぜん怖くなくなった。』

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※写真を撮ったら顔が黒く映ってしまったタニシ氏。
それを見た三木大雲住職(通称・怪談和尚)に、
「5年ですべてのものを失いますよ」と言われたとか。
「死にますよ」って言われるよりも、なんか嫌~な
言い草だわなぁー。大丈夫か?タニシ!死ぬなよっ!!
死んだら演歌歌手の姉ちゃんが悲しむぞー!(それはそ
れで弟の悲劇をうまく歌唱に反映させるかも知れんけど)

●事故物件VR

※果たして、VRに映りこむような奇特な亡霊がいるのやらどうやら?

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松竹芸能としては思わぬ人気作家誕生!ってところか。
「ウソから出たマコト」ならぬ、「マコトのウソ企画から
出たタニシ大ブレイク!」である。。。

松原タニシのパラノーマル日記 パラノーマル日記116日目
悪魔くんになって降霊術。エロイムエッサイム!』
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※ちょっと余裕こき始めてる!?

★「悪魔くん」はちょっとイメージ違うと思うが、同じような
漫画キャラならこういうのはどうか。

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※事故物件芸人でもうひと人気上がったら、魔太郎実写映画化
の際に、白羽の矢が立つことも十分在り得るのでは~~~?

斜め上からこんにちは 松原タニシが事故物件に住む理由!憑いているのは悪霊ではなかった?!
松原タニシの怖い話は、噂や都市伝説ではなく実体験に基づいているため、本当に怖いと評判です。松原タニシが最初に住んだ事故物件は、“大阪で一番幽霊が出る物件”として、北野誠が探してきた「女性が男性に殺害・放火された部屋」。カメラを回すと、“目には見えないがカメラには映るもの”が確認され、松原タニシをはじめ、引越しを手伝った後輩らも次々と交通事故に。幸いみな無傷だったものの、いろいろなところで女性の背後霊の存在を指摘されるようになりました。松原タニシ自身も、この最初の物件が一番怖かったと述懐しています。2軒目は、「息子が母親を浴室に沈めて殺害した物件」で、部屋の中で通話をすると、水の中にいるような雑音が必ず入るという怪奇現象が発生。3軒目は、「女性が玄関のドアノブ・男性がロフトで首つり自殺したマンションの一室」で、ラップ音が頻繁に鳴り響く部屋でした。4軒目は、初となる関東圏。2017年6月16日に入居したばかりの「OLが薬物の過剰摂取で亡くなった部屋」で、これからどのような怪奇現象に襲われるのか注目が集まっています。
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松原タニシのイベントでは、事故物件で実際に体験した怖い話はもちろん、カメラが捉えた心霊現象と思われる映像や心霊写真も見ることができるので、怖い話が好きな人の間で大好評です。事故物件の情報を集めたサイト「大島てる」の代表・大島てるとのコラボイベントなど、怖い話の名手との共演も多い松原タニシ。しかし、本業はお笑い芸人とあって、笑える要素も盛りだくさんです。一方でお笑い要素ナシの本気の怪談イベントに出演することもあり、「松原タニシのイベントに行ってから怪奇現象が」「松原タニシのイベントから帰る道で怖い目に」など、SNS上には恐ろしい感想も……。2017年7月3日からは「松原タニシ 夏の心理的瑕疵ツアー2017」で、大阪・東京・姫路の12カ所を回ることが発表されています。
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事故物件に入居する際、お祓いなどは特にしないという松原タニシ。それどころか、自宅でこっくりさんをしたり、芸人仲間と前居住者の事件を再現したり、樹海に赴いて白骨遺体を見つけたり、全国の心霊スポットを撮影に行ったりと、その行動はかなり大胆です。その成果か、背後に女性の霊と大量の動物の霊が憑いていると言われたそうですが、松原タニシによると、「幽霊が存在するかどうかは分からない」。最初は、事故物件に入ると、気が滅入るし、頭痛はするし、体は重いしで、本当にイヤで怖かったと言いますが、今はむしろ、霊に会うために事故物件に住み続けたいと思っているほど。霊に憑りつかれたおかげですっかり忙しくなった松原タニシは、今のところ無傷で済んでいるので、「自分に憑りついている霊はいいやつ」との考えに至り、「霊に会ってみたい」とすら思っているそうです。さらに、「事故物件に住むことよりもツラいことは世の中にそうない」と性格もポジティブになるなど、芸人としての自信に繋がっていると前向き。怪談界の巨匠・稲川淳二からの教え「怪談や心霊はファンタジーであり、ロマンだ」が心に響いた松原タニシは、事故物件に住むことで喜んでくれる人(大家さんや心霊ファン)のためにも頑張りたいとも語っています。大切なことは、事件や自殺などその部屋で起きてしまった悲しいことを繰り返さないことと、その出来事を生きている人間がどう扱うかだと説く松原タニシ。相変わらず事故物件生活をネタにしていますが、いつか幽霊にばったり遭遇できるのか?あるいは祟られてしまうのでしょうか?住まいを関東圏に新しく用意した今後の活躍(?)にも注目です。』
※書籍は8万部売れているようで、もう10版までいってる模様。
この先、タニシくんに未来はあるのか?過去の亡霊に憑りつかれて、
人気と引き換えに命を失うようなことだけは避けようねーーーーー。

オマケ タニシ×高橋みなみ

Yahoo!ニュース “事故物件”に6年住む芸人が教える「事故物件の見分け方」とは?
高橋みなみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「高橋みなみの『これから、何する?』」。8月23日(木)の生放送は、お笑い芸人の松原タニシさんが登場。今まで松原さんが事故物件で実際に経験した不思議&恐怖現象を紹介した前編に続いて、今回の記事では、事故物件の見分け方などをお届けします。まずは、事故物件に住んで6年になる松原さんの事故物件居住歴を抜粋して紹介すると、1軒目でいきなり大阪の不動産屋であれば誰もが知っているほどの曰く付き物件に住み、その後は大阪、千葉など、自殺や事件のあった訳ありの事故物件に約1年ペースで移り住み、現在で6軒目。大阪で3DK・30,000円の物件に加え、セカンドハウスとして東京でも12畳・1K60,000円の物件を借りていて、大阪と東京を行き来する生活だそうです。そんな凄まじい居住歴とあって、今では不動産屋から直接事故物件の売り込みがあるほどだとか。そんな松原さんが事故物件に住んで良かったことは、「仕事が増えたこと」だと言います。やはり事故物件は家にいると憂鬱な気分になりがちだそうで、「あまり部屋にいたくないから外に出ようとアクティブになりました(笑)」と松原さん。その結果、「性格が前向きになって、人からも興味を持たれて声をかけられるから会話もスムーズになった」そうです。さらには「家賃が安い」「金縛りに遭いすぎて猫背が治った」など意外と多いメリットに、たかみなも驚きを隠せません。
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霊感が強いタイプのたかみなからの「事故物件の見分け方があったら教えてほしい」というリクエストには「畳が1枚だけ新しいような部屋は疑わしい」と回答。「怪しいと思って(畳を)めくってみたら、あるモノが染み込んだ跡があった」と実体験を明かします。また、畳だけでなく、壁など明らかに1ヵ所だけ塗り替えていたりする物件は怪しいとか。もしも意図せず事故物件に当たってしまったら……「修行だと思うしかない。耐えたり、慣れたときに人間は強くなれる。怖い部屋に1年間住みきるなど、何かを成し遂げた自分を褒めてあげたくなる」と言います。もはや悟りの境地とも言える回答に、「6年も住んで体は大丈夫なんですか?」とたかみな。これには「頭が痛くなる部屋とかもありますが、耐えていたら慣れますよ」と答えていました。今までで最も恐かった事故物件は、「(自宅で)事件を起こした犯人が戻ってきたこと」。松原さんが住んでいたとき、その部屋では携帯電話に謎の音が入ったり、排水口から髪の毛が出てきたりするなど、さまざまな現象があったとか。その部屋で事件を起こした犯人は、精神鑑定により裁判で不起訴になったあと、収容されていた施設を抜け出し、早く死刑になりたいからと理不尽にも通り魔事件を起こしたそうです。施設を出たあと、何度か松原さんの住む家に戻って来た形跡があったそうで、あるとき、ドアノブがガチャガチャと音を立てたり、郵便物がたびたびなくなったりすることが続いたとか。 '''
都内で近寄らないほうがいい場所として松原さんが挙げたのは、現在開催中のお化け屋敷「東京タワーの赤い鎖 怨念の地下屋敷」(※9月2日(日)まで)。松原さんによると「本物(の幽霊)が出る」ともっぱらの噂だそうで、お客を驚かせるお化け役の人が「1人増えているんです……」と漏らしていたと言います。「怖いもの見たさで行ってみたら、幽霊に会えるかもしれない」と話していました。(TOKYO FMの番組「高橋みなみの『これから、何する?』」2018年8月23日放送より)』




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月19日(金)の、「元気が出る言葉」は~?

『この世で変わらないのは、変わるということだけだ。』
出展:?
発言者:ジョナサン・スウィフトイングランドアイルランド人の作家 1667年11月30日~1745年10月19日)
『解説:「ガリヴァー旅行記」のことはみんな知っている。と思っている。が、ガリヴァーは小人の国だけではなく、巨人の国、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」に影響を与えた「空飛ぶ島ラピュータ」など4つの渡航記からなり、決して児童書などではないのだ。大人になってからも読んでほしい本だ。さてこの言葉、この世は絶えず変化し続ける。当たり前だが、この言葉の便利さと重さを大切にしよう。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

世界の名著をおすすめする高等遊民.com 漱石の文章修業に役立った文学とは?|スウィフト『ガリバー旅行記』の影響
夏目漱石明治39年の雑誌「中央公論」に、「余が文章に裨益せし書籍」という談話を寄稿している。分量はわずか2ページ。青空文庫未収録であるから、全文引用してみよう。(新字新かな)
文章鍛錬上に最も多く裨益した書籍、文章と、特に挙げていうべきものはないが、先ず自分が好きな作家をいえば、英文ではスチブンソン、キップリング、其他(そのた)近代の作家である。いずれも十九世紀の初め頃のと違い、文章に力があって間緩(まだるっ)こくない。(ワシントン・)アーヴィングの『スケッチブック』は、我が国人間に非常に愛読されたもので、その文章は美しくなだらかであるが、惜しいことには力がない。これは十九世紀の初期頃のに通じての弊である。自分はかかる類の書物は好まない。また写実的のものでは、スウィフトのガリバーズ・トラベルス(『ガリヴァー旅行記』)が一番好きだ。多くの人はこれを名文とは思わないが、これは名文の域を通り越しているから、普通人には分らぬのである。実に達意で、自由自在で、気取っていない、ケレンがない、ちっとも飾った所がない。子供にも読めれば、大人も読んで趣味を覚える。誠に名文以上の名文であると自分は思う。次に国文では太宰春台の『独語』大橋訥庵の『闢邪小言』(へきじゃしょうごん)などを面白いと思った。何(いず)れも子供の時分に読んだものであるから、此所(ここ)が何(ど)うの、彼所(あそこ)が斯(こ)うのと指摘していうことは出来ぬが、一体に漢学者の片仮名ものは、きちきち締っていて気持がよい。
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漢文では享保時代の徂徠一派の文章が好きである。簡潔で句が締っている。安井息軒の文は今も時々読むが、軽薄でなく浅薄でなくてよい。また林鶴梁の『鶴梁全集』も面白く読んだ。また、明治の文章では、もう余程以前のことであるが、日本新聞に載った鉄崑崙(てつこんろん?)という人の『巴里通信』を大変面白いと思った。其頃ひどく愛読したものである。因に云うが、鉄崑崙は今の東京朝日の池邊氏(三山・いけべさんざん)であったそうである。一体に自分は和文のような、柔かいだらだらしたものは嫌いで、漢文のような強い力のある、即ち雄勁なものが好きだ。また写生的のものも好きである。けれども俳文のような、妙に凝った小刀細工的のものは嫌いだ。俳文は気取らないようで、ひどく気取ったものである。これを喜ぶのは、丁度楽隠居が古茶碗一つをひねくって嬉しがるのと同じ事だ。徒(いたずら)にだらだらした『源氏物語』、みだりに調子のある「馬琴もの」、「近松もの」、さては『雨月物語』なども好まない。「西鶴もの」は読んで面白いとは思うが、さて真似る気にはなれぬ。漢文も寛政の三博士以後のものはいやだ。山陽や小竹のものはだれていて厭味である。自分は嫌いだ。
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この談話で最も称賛されているのが、ジョナサンスウィフト「ガリヴァー旅行記」である。またスティーヴンソンについては上に書いた「予の愛読書」で、やや詳しく言及されている。漱石はロンドンに留学したのだからイギリス文学を専門に研究していたが、アメリカ文学に関する造詣も相当なものであることがわかる。スウィフトの「ガリバー旅行記」は、優れた皮肉や風刺に満ちた文学作品だ。「子供にも読めれば、大人も読んで趣味を覚える」という漱石の指摘はまことにその通りで、その点は漱石の『吾輩は猫である』に通ずるものがある。漱石の「猫」は、知的な皮肉やユーモアにあふれた小説で、苦沙弥先生や美学者迷亭、理学士水島寒月という、魅力的な人物が描かれている。子供は猫が話しているという滑稽な状況を想像して楽しめるし、大人は諸先生のいい加減な会話を楽しめる。また、「坊っちゃん」は優れて政治的な小説である。「ガリバー旅行記」も政治的なテーマが色濃くあり、漱石がスウィフトに影響されたということは考えられる。』


●映画『ガリバー旅行記』予告編


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※ジャク・ブラックの映画、そういやーあったあった、という程度の
認識しかないな。CG技術がすごい!とか言われてたみたいだがーーー。

時間旅行 実話ゾーン ガリバーの謎
『イギリスの風刺作家、ジョナサン・スウィフトは1667年にアイルランドの首都・ダブリンで、イギリス人夫妻の間に生まれました。彼はケンブリッジ大学で学び、1726年に寓話『ガリバー旅行記』を執筆しました。そのとき彼は59歳でした。この世界的に有名な古典小説の中ほどで、スウィフトは火星の衛星に言及しています。「火星の周りを回る二つの衛星がある。内側に位置する衛星と火星の中心部の間の距離は、火星の直径のちょうど三倍に相当する。外側に位置する衛星の場合は五倍である。前者は10時間かけて火星の周りを公転し、後者は21時間半かけて公転する。」
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これは驚くべき描写です。なぜなら、火星の衛星フォボスダイモスは『ガリバー旅行記』が出版されてから150年経つまで発見されなかったからです。しかも、天文学者のアサフ・ホールが1877年に屈折望遠鏡で火星の衛星を発見したとき、二つの衛星はスウィフトが小説の中で述べたとおりの軌道を描いていました。二つの衛星を詳しく研究するにつけ、謎は深まっていきます。内側に位置する衛星フォボスは驚くほど火星に接近しており、火星の表面から5,760㎞の位置まで近づくことがあります。自然の衛星のなかで、フォボスは唯一、主天体(この場合は火星)の自転速度よりも公転速度が速い衛星として知られています。火星は24時間37分かけて自転しますが、フォボスは7時間37分かけて火星の周りを回ります。それに対してダイモスの公転速度は時速23,360㎞で、火星の周りを公転するのに30時間14分かかります。
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火星の衛星とその奇妙な動きについて知っていたジョナサン・スウィフトに敬意を表して、NASAフォボスのクレーターに彼の名前を取って名づけました。それでは、スウィフトは火星の知識をどこから得たのでしょう? アメリカの天文学者・故カール・セイガンは、スウィフトがドイツの天文学者ケプラー(1571-1630)から知識を得たのだろうと推測しています。ケプラーは惑星の動きの法則を発見した人ですが、そうなのだったら、なぜ彼自身が火星の衛星とその運行速度を予想しなかったのでしょう? いずれにせよ、ケプラーの法則ではフォボスの特異な動きを説明することができません。コンピュータ技術が発達した今日でさえ、天文物理学者はフォボスの謎を解けないでいます。』
※もしやするとスウィフトは、宇宙生命体と遭遇し、宇宙の真実を
知らされたのかもしえません。そこで知った不思議な世界を、創作
と偽って世に出したのかもしれませんぞよ。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“その頃の余は西洋の礼式というものをほとんど心得なかった(『博士問題とマードック先生と余』より)”

【1900年10月19日の漱石】長い航海を経ていよいよヨーロッパの土を踏む

今から116年前の今日、すなわち明治33年(1900)10月19日、漱石はイタリアのジェノバ港の大地を踏みしめていた。漱石の側には、留学生仲間の藤代禎輔や芳賀矢一、戸塚機智、稲垣乙丙がいた。皆が大きなトランクを傍らに置いている。横浜を出航し、途中いくつかの港に寄りながら洋上を航海すること42日。いまようやく、汽船プロイセン号を下船した漱石たちであった。すでに秋の日が暮れかけていた。船が港に到着したのは午後2時頃であったが、検疫に思った以上に時間をとられたのである。

ホテルの案内人に導かれて、一行は宿泊先のグラン・オテル・ド・ジュネへと向かった。名前からして、フランス系のホテルだったのだろう。英語でいう「グランド・ホテル」がフランス語の発音だと「グラン・オテル」となるのである。丘陵を背景に負って、立派な市街が続いていた。ホテルの構えも宏壮にして優美。漱石は胸の内で、「こんなところに泊まるのは生まれて初めてだ」と、驚きとともに呟くのだった。

一行は、翌朝8時半発の列車でパリに向かうことになっていた。昨日、船がナポリに到着したときには、このまま下船してポンペイを見物し、ローマに回って1週間ほど滞在したらどうだろうかという意見を言う者もあったが、このときパリでは万国博覧会が開催されていた。ローマ観光はまたの機会があるかもしれないが、万博を見るチャンスは2度とないだろう。そんな議論をした結果、ナポリで下船せず、今夕のジェノバ宿泊を選択した一行だった。翌朝からまる1日かけての、列車によるパリへの移動も、戸惑いの連続。勝手がわからぬまま先を越され、留学生仲間はばらばらの席になる。

途中、国境を越えてフランス入りするとき、漱石は車外で税関の検査があるものと思い込み、荷物を抱えて真っ先に列車を飛び降りた。ところが、検査官の方が車内を回るから座ったままでいいのだと分かり、慌てて席へ戻った。すると、そこにはもう、別の旅客がちゃっかりと座り込んでいた。「そこは私の席だ」漱石が英語で言うと、相手はフランス語で大威張りに答える。「君が何も置いていかないから、空席と思って座っただけさ」そう言われてしまえば、その通り。だが、漱石先生も、ただ負けっぱなしではいない。

別のコンパートメントで、8人掛けの席がひとつ空いているのを見つけ、そこにもぐり込んだ。同席していた7人は皆同じグループの仲間らしく、しきりに不平を言っていたが、漱石先生、馬耳東風と受け流し座り続けたのだった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「イタリア~パリ」「列車」で動画検索してみました!!)

●盗難注意!イタリア電車ユーロスターに乗ってくる怪しいジプシー


●鉄道旅ヨーロッパ 高速列車で ”イタリア・ヴェネチアのミニ旅


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ジョニーAのつぶやき:こういうヨーロッパの駅の風景とか見ると、「ロケみつ 稲垣早希のブログ旅」を思い出しちゃうワチクシだ・・・