東京国際映画祭がらみのネタをば・・・
シネマトゥディ 松岡茉優「大好きな映画祭」を華麗に彩る!東京国際映画祭、開幕
→ 『25日、第31回東京国際映画祭のオープニングイベントが行われ、本映画祭のアンバサダーを務める女優の松岡茉優が出席。薄いピンク色のエレガントなドレスで登場した松岡が、国内外から集まった大勢のマスコミからフラッシュを浴びた。
晴天に恵まれたこの日、笑顔で観客に手を振りながらレッドカーペットを歩いた松岡。ステージに上がると「たくさんの方が来てくださいましてありがとうございます。この会場は、普段はショッピング、映画館、老若男女いろいろな人が訪れる場所です。そんな場所にたくさんの国からたくさんの映画が届く。そして発信する。毎年とても楽しみで大好きな映画祭です。そんな映画祭のアンバサダーに就任して光栄です。とてもとても楽しい時間を過ごしましょう」と呼びかけた。/昨年、主演作『勝手にふるえてろ』がコンペティション部門の観客賞に輝いた映画祭でアンバサダーに就任した松岡。今年は是枝裕和監督の映画『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のレッドカーペットも歩いた松岡は「(カンヌでは)レッドカーペットで足が震えた」とインタビューで語っていたが、大役を務める本映画祭では落ち着いた足取りでレッドカーペットを彩っていた。
今年の映画祭では『夜は短し歩けよ乙女』などで知られる湯浅政明監督の特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」が組まれているほか、役所広司の昭和から最新作までを紹介する「映画俳優 役所広司」も特集される。会場はメインの六本木に加え、新たに東京ミッドタウン日比谷にも拡大。劇場版アニメ『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』の応援上映や、今年4月に亡くなった高畑勲監督の作品の上映会なども実施される。(編集部・海江田宗)/第31回東京国際映画祭は11月3日まで開催中』
→ 『25日、第31回東京国際映画祭のオープニングイベントが行われ、本映画祭のアンバサダーを務める女優の松岡茉優が出席。薄いピンク色のエレガントなドレスで登場した松岡が、国内外から集まった大勢のマスコミからフラッシュを浴びた。
晴天に恵まれたこの日、笑顔で観客に手を振りながらレッドカーペットを歩いた松岡。ステージに上がると「たくさんの方が来てくださいましてありがとうございます。この会場は、普段はショッピング、映画館、老若男女いろいろな人が訪れる場所です。そんな場所にたくさんの国からたくさんの映画が届く。そして発信する。毎年とても楽しみで大好きな映画祭です。そんな映画祭のアンバサダーに就任して光栄です。とてもとても楽しい時間を過ごしましょう」と呼びかけた。/昨年、主演作『勝手にふるえてろ』がコンペティション部門の観客賞に輝いた映画祭でアンバサダーに就任した松岡。今年は是枝裕和監督の映画『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のレッドカーペットも歩いた松岡は「(カンヌでは)レッドカーペットで足が震えた」とインタビューで語っていたが、大役を務める本映画祭では落ち着いた足取りでレッドカーペットを彩っていた。
今年の映画祭では『夜は短し歩けよ乙女』などで知られる湯浅政明監督の特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」が組まれているほか、役所広司の昭和から最新作までを紹介する「映画俳優 役所広司」も特集される。会場はメインの六本木に加え、新たに東京ミッドタウン日比谷にも拡大。劇場版アニメ『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』の応援上映や、今年4月に亡くなった高畑勲監督の作品の上映会なども実施される。(編集部・海江田宗)/第31回東京国際映画祭は11月3日まで開催中』
●オープニングセレモニーの様子
東スポWEB 東京国際映画祭で観客から大歓声! 稲垣吾郎の人気に欧米メディア驚きの「Who?」
→ 『稲垣吾郎が25日、東京・港区の六本木ヒルズで開幕した「第31回東京国際映画祭」のオープニングイベントに登場した。同映画祭コンペティション部門に出品されている映画「半世界」に出演している稲垣。長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦、阪本順治監督とともにレッドカーペットに現れると、観客からは大きな歓声が上がった。ジャニーズ事務所の方針で、過去には賞レースに参加してこなかった稲垣は、初めてのレッドカーペットに感激した様子。「大切に作ってきたものがここから、みなさまに届けられるんだな、と。いまから新しいものが生まれるという感じです。多くの人に映画館に来ていただきたいですね」
/この映画で稲垣は、1人で山にこもり生活する中で、人生や家族について向き合う中年の男・紘役を演じた。公式インタビューでは「経験したことがない役でしたが、自分の重なる部分がありました。これから自分が生きていくうえで考えさせられるというか。見る方も新鮮ではないでしょうか」と話した。/コンペティション部門には同作を含め16作品が出品された。“役者・稲垣”への注目度はかなり高く、この日もファンの歓声が一番大きかった。あまりの熱狂ぶりに欧米系映画ジャーナリストたちからも「Goro Inagaki Who?」との声が上がったほどだ。同作がグランプリを獲得できるかは、同映画祭の焦点の一つとなっている。「コンペティションの審査委員長、ブリランテ・メンドーサはフィリピンを代表する映画監督で、カンヌ映画祭でも監督賞を受賞しています。同じアジア系として、稲垣さんの演技がどう評価されるか」(映画関係者)/稲垣が同映画祭から世界へ発信する存在となれるか?』
※「ジャニーズ事務所の方針で、過去には賞レースに参加してこなかった」の
くだりでハッ!と気付かされた。なるほど、それであの『十三人の刺客』の時
の暴君の役で、評判良かったのに何の賞にも輝かなかったのかーーー、と・・・。
これまでは当たり前のことだったんだろうが、これからは新しい勲章もどんどん
増えていくんだろうなーーー。
→ 『稲垣吾郎が25日、東京・港区の六本木ヒルズで開幕した「第31回東京国際映画祭」のオープニングイベントに登場した。同映画祭コンペティション部門に出品されている映画「半世界」に出演している稲垣。長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦、阪本順治監督とともにレッドカーペットに現れると、観客からは大きな歓声が上がった。ジャニーズ事務所の方針で、過去には賞レースに参加してこなかった稲垣は、初めてのレッドカーペットに感激した様子。「大切に作ってきたものがここから、みなさまに届けられるんだな、と。いまから新しいものが生まれるという感じです。多くの人に映画館に来ていただきたいですね」
/この映画で稲垣は、1人で山にこもり生活する中で、人生や家族について向き合う中年の男・紘役を演じた。公式インタビューでは「経験したことがない役でしたが、自分の重なる部分がありました。これから自分が生きていくうえで考えさせられるというか。見る方も新鮮ではないでしょうか」と話した。/コンペティション部門には同作を含め16作品が出品された。“役者・稲垣”への注目度はかなり高く、この日もファンの歓声が一番大きかった。あまりの熱狂ぶりに欧米系映画ジャーナリストたちからも「Goro Inagaki Who?」との声が上がったほどだ。同作がグランプリを獲得できるかは、同映画祭の焦点の一つとなっている。「コンペティションの審査委員長、ブリランテ・メンドーサはフィリピンを代表する映画監督で、カンヌ映画祭でも監督賞を受賞しています。同じアジア系として、稲垣さんの演技がどう評価されるか」(映画関係者)/稲垣が同映画祭から世界へ発信する存在となれるか?』
※「ジャニーズ事務所の方針で、過去には賞レースに参加してこなかった」の
くだりでハッ!と気付かされた。なるほど、それであの『十三人の刺客』の時
の暴君の役で、評判良かったのに何の賞にも輝かなかったのかーーー、と・・・。
これまでは当たり前のことだったんだろうが、これからは新しい勲章もどんどん
増えていくんだろうなーーー。
アニメ!アニメ!
→ 『東京・六本木ヒルズで開催中の第31回東京国際映画祭(TIFF)において、特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」の上映イベント『夜明け告げるルーのうた』のトークショーが10月28日に行われた。イベントでは湯浅監督による「ルー」制作秘話に加え、“宮崎駿愛”についても語られた。自身もアニメ好きである司会の笠井信輔アナウンサーが3作目となる長編アニメーション『ルー』を今どのように振り返るかを湯浅監督に尋ねると、根底にあるのは「初心に返る」だという。/湯浅監督がもっと多くの人に自身の作品を届けるにあたり、メッセージがより伝わるように、そしてアニメーションが好きだという監督の気持ちをこめた。それは主人公・足元カイが自分の大好きな歌で思いを伝えるようなものだと話した。もうひとつこの作品の主軸となるのは「誤解」と「誤解が解けること」。カイの祖父やタコ婆はそれを表すキャラクターだという。
また、ルーのパパがトトロに似ているという笠井アナの指摘に対し「彼は僕が子どもの頃に見て大好きになった『パンダコパンダ』のパパパンダをイメージした」と宮崎駿についても言及。さらにルーがポニョに似ていることについては、後になってから気づいたという。加えて、初期構想時のルーは人魚ではなくヴァンパイア・ファミリーの女の子で『アダムス・ファミリー』をイメージ。「怖い/かわいい」の二面性はこの頃に生まれたものだった。「ルー」ではカイとルーのラブストーリーになりそうでならない絶妙なラインだ。これにはルーの頭身も関係している。頭身をカイたちと同じにすると「生々しくなって、これは恋愛関係を匂わせてしまうなと感じた」と頭身を低くすることでラブストーリーの予感を作中から排除している。ラブストーリーの部分を引き継いだのがこのイベントで発表となった2019年初夏公開予定の新作「きみと、波にのれたら」だ。制作の進捗を笠井アナに聞かれると「ちょっと遅れ気味ですが宮崎監督よりは早く作っています」とジョークを交えてこたえた。/第31回東京国際映画祭は2018年11月3日(土)まで開催中。特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」では「湯浅政明 自選短編集 1992-2014」と題し、『アドベンチャー・タイム「フードチェーン」』『スペース☆ダンディ 第16話「急がば回るのがオレじゃんよ」』なども上映。』
※「ポニョ」に似てる、と言われるのは湯浅監督にとっては不本意かも知れぬ。
先にこうやって言及しておけば予防策になるのであろう。いや、「ポニョ」の
ような終盤のグズグズ感がない分、「ルー」の方が絶対出来はいいと思うゾ。
→ 『東京・六本木ヒルズで開催中の第31回東京国際映画祭(TIFF)において、特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」の上映イベント『夜明け告げるルーのうた』のトークショーが10月28日に行われた。イベントでは湯浅監督による「ルー」制作秘話に加え、“宮崎駿愛”についても語られた。自身もアニメ好きである司会の笠井信輔アナウンサーが3作目となる長編アニメーション『ルー』を今どのように振り返るかを湯浅監督に尋ねると、根底にあるのは「初心に返る」だという。/湯浅監督がもっと多くの人に自身の作品を届けるにあたり、メッセージがより伝わるように、そしてアニメーションが好きだという監督の気持ちをこめた。それは主人公・足元カイが自分の大好きな歌で思いを伝えるようなものだと話した。もうひとつこの作品の主軸となるのは「誤解」と「誤解が解けること」。カイの祖父やタコ婆はそれを表すキャラクターだという。
また、ルーのパパがトトロに似ているという笠井アナの指摘に対し「彼は僕が子どもの頃に見て大好きになった『パンダコパンダ』のパパパンダをイメージした」と宮崎駿についても言及。さらにルーがポニョに似ていることについては、後になってから気づいたという。加えて、初期構想時のルーは人魚ではなくヴァンパイア・ファミリーの女の子で『アダムス・ファミリー』をイメージ。「怖い/かわいい」の二面性はこの頃に生まれたものだった。「ルー」ではカイとルーのラブストーリーになりそうでならない絶妙なラインだ。これにはルーの頭身も関係している。頭身をカイたちと同じにすると「生々しくなって、これは恋愛関係を匂わせてしまうなと感じた」と頭身を低くすることでラブストーリーの予感を作中から排除している。ラブストーリーの部分を引き継いだのがこのイベントで発表となった2019年初夏公開予定の新作「きみと、波にのれたら」だ。制作の進捗を笠井アナに聞かれると「ちょっと遅れ気味ですが宮崎監督よりは早く作っています」とジョークを交えてこたえた。/第31回東京国際映画祭は2018年11月3日(土)まで開催中。特集「アニメーション監督 湯浅政明の世界」では「湯浅政明 自選短編集 1992-2014」と題し、『アドベンチャー・タイム「フードチェーン」』『スペース☆ダンディ 第16話「急がば回るのがオレじゃんよ」』なども上映。』
※「ポニョ」に似てる、と言われるのは湯浅監督にとっては不本意かも知れぬ。
先にこうやって言及しておけば予防策になるのであろう。いや、「ポニョ」の
ような終盤のグズグズ感がない分、「ルー」の方が絶対出来はいいと思うゾ。
『空のように きれいになれるものなら はなのように しずかになれるものなら 価(アタイ)なきものとして これも捨てよう あれも捨てよう /花はなぜ美しいか ひとすじの気持ちで咲いているからだ。』 |
出展:「ノオトA」 |
発言者:八木重吉 (詩人 1898年2月9日~1927年10月26日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp ひとすじに 単行本 松永禎郎 (イラスト), 八木 重吉
→ 『■内容(「MARC」データベースより):空のようにきれいになれるものなら/花のようにしずかになれるものなら/価なきものとして/これも捨てよう あれも捨てよう…ひたむきに神を求めた詩人の、澄明で静かな喜びの溢れる11編。挿画も美しい。
/■登録情報:/単行本 /出版社 女子パウロ会 /言語 日本語 /ISBN-10: 4789604810 ISBN-13: 978-4789604819 /発売日 1997/12 /梱包サイズ 14.4 x 9.8 x 0.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:鷺草 5つ星のうち5.0 「心の琴線に触れる美しい詩」2004年5月31日・・・表紙から裏表紙までオールカラーの美しいイラストで飾られているミニサイズの詩集シリーズの中の一冊。それぞれ担当画家が違うがこの「ひとすじに」のイラストは淡い水彩画がとても上品な雰囲気で、八木の詩のイメージとよく合っている。詩の一つ一つは短いが、その純粋で感受性豊かなひと言は時に泣きたくなるほどせつなく美しく、読む者の魂に直接訴えかけてくる。“森へはいりこむと いまさらながら ものというものが みいんな そらをさし そらをさしてるのにおどろいた”“この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかねて 琴はしずかに鳴りいだすだろう”“どこを 断ち切ってもうつくしくあればいいなあ”/素朴な言葉が静かに心に満ちてくる。』
→ 『■内容(「MARC」データベースより):空のようにきれいになれるものなら/花のようにしずかになれるものなら/価なきものとして/これも捨てよう あれも捨てよう…ひたむきに神を求めた詩人の、澄明で静かな喜びの溢れる11編。挿画も美しい。
/■登録情報:/単行本 /出版社 女子パウロ会 /言語 日本語 /ISBN-10: 4789604810 ISBN-13: 978-4789604819 /発売日 1997/12 /梱包サイズ 14.4 x 9.8 x 0.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:鷺草 5つ星のうち5.0 「心の琴線に触れる美しい詩」2004年5月31日・・・表紙から裏表紙までオールカラーの美しいイラストで飾られているミニサイズの詩集シリーズの中の一冊。それぞれ担当画家が違うがこの「ひとすじに」のイラストは淡い水彩画がとても上品な雰囲気で、八木の詩のイメージとよく合っている。詩の一つ一つは短いが、その純粋で感受性豊かなひと言は時に泣きたくなるほどせつなく美しく、読む者の魂に直接訴えかけてくる。“森へはいりこむと いまさらながら ものというものが みいんな そらをさし そらをさしてるのにおどろいた”“この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかねて 琴はしずかに鳴りいだすだろう”“どこを 断ち切ってもうつくしくあればいいなあ”/素朴な言葉が静かに心に満ちてくる。』
「うつくしいもの」
わたしみずからのなかでもいい
私の外の せかいでも いい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分かりさえすれば、
ああ、ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
わたしみずからのなかでもいい
私の外の せかいでも いい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分かりさえすれば、
ああ、ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
今から110年前の今日、すなわち明治39年(1906)10月26日は金曜日であった。39歳の漱石は東京・早稲田南町の自宅書斎で、前日、木曜会で顔を合わせたばかりの鈴木三重吉の寄越した手紙を読んでいた。柱時計の鐘が午前11時を知らせた。庭の菊がすでに花開いていた。/三重吉の手紙には、深夜それをしたためたことが記してあった。数時間前、ともに漱石邸に集って談論していた寺田寅彦や坂本四方太、松根東洋城らの印象も記してあった。そして、漱石に対し、自分に至らない点があったら叱ってほしい、教訓を与えてほしい、と懇請していた。
漱石は、《そんなにほめる程のこともないが叱られる事もなかろう》といった、やや軽めの調子で返書をしたためた。《僕の教訓なんて、飛んでもない事だ。僕は人の教訓になる様な行(おこない)をしては居らん》と、ちょっといなし気味の書き方もした。本音でもあったろうし、照れくささもあったのかもしれない。
午後3時過ぎにそんな第一信を投函したあと、漱石の胸の中に蠢(うごめ)くものがあった。自分をさらけだして思いをぶつけてきた若い門下生に対し、もう少し正面から受け止めた言葉を投げかけるべきではなかったか。漱石はやおら筆をとって、三重吉宛ての第二信を書きはじめた。《只(ただ)一つ君に教訓したき事がある。是(これ)は僕から教えてもらって決して損のない事である》/いきなりそう始めた漱石は、こう続けた。自分は青年時代までは世の中は結構なものだと思っていた、旨いものが食えて綺麗な着物が着られて、詩的な美しい生活ができると思っていた。しかし、世の中は自己の想像とは正反対の現象でうまっている。そこを避けて通ることはできない。汚いものでも、不愉快なものでも、嫌なものでも、一切避けない、いやそれどころか、進んでその中へ飛び込んでいかなければ何もできないのである。
漱石はさらに、自己の文学に対する姿勢についても言及した。《僕は一面に於て俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい。それでないと何だか難をすてて易につき劇を厭(いと)うて閑に走る所謂(いわゆる)腰抜文学者の様な気がしてならん》/明治人にとって、「維新の志士」は遠い歴史上の絵空事のような人物ではなく、身近で血の通った先人である。この一文には、命懸けで文学に邁進しようとする漱石先生の気概が、まんまんと満ちている。
●印象操作】カラーだと全く違う!幕末の志士たちも観ていた世界!
※確かに。印象はかなり変わってくる。。