モリタポ通帳 5000モリタポ達成~~!

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2ちゃんねるが5ちゃんねるになっても、依然としてp2を
使い続けている・・・。世の趨勢に乗れない男、見参っ!
やっと5000p貯まった~~~!これでカキコミがスムーズに行え
るようになるのだっ!ええー?それだけぇ~~~???

◎「ええ~今日そんだけ~~?」とか言わないで。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日11月4日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『どんな仕事でも「得意です!」と答えて、受けてから勉強する。』
出展:「NHK トップランナーの言葉」(三笠書房
発言者:リリー・フランキー (マルチタレント1963年11月4日~)
『解説:リリー・フランキーはなんでもやってしまう。職業を調べてみてもイラストレーター、ライター、エッセイスト、小説家、絵本作家、アートディレクター、デザイナー、ミュージシャン、作詞作曲家、構成作家、演出家、フォトグラファー、俳優、などと出てくる。言葉の通りで、これは凄い!確かに仕事で、「得意です」「できます」「やらせてください」とすぐに手を挙げる者が勝ちだ。声の出ない者、うつむいている者に面白い仕事なんかまわってこない。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

リアルサウンド 「フェスはただの音楽鑑賞会じゃない」リリー・フランキーが考える“理想のフェス”とは?
『――ザンジバルナイトは、ミュージシャンだけではなく、お笑い芸人や文筆家もキャスティングされています。/リリー・フランキー(以下、リリー):キャスティングに関しては、2006年に代官山のUNITでやっていた頃からそうなんだけど、基本的にはとにかく気になる人に声をかけるって感じ。今回は特に多業種を集めていて、現代芸術家がいたり、芸人さんがいたり、アイドルがいたり、ミュージシャンがいたり、映画監督がいたりして、いろんな文化がグシャっと集まった感じになっている。今、たくさんのフェスやライブがあって、それぞれの特色が見えにくくなっているけど、カオス感で言えばザンジバルナイトが一番なんじゃないかな(笑)。東京でやるからこそのカオス感というか、整理されていない感じが面白いと思って。――今回、日比谷野音から、メインステージ以外にも複数のステージがあるSTUDIO COASTに会場が移りました。/リリー:野音の場合は、ステージがひとつだからお客さんは演目を順番通りに観ていくしかない。でも、真面目に音楽を順番通りに聴きましょうという形式は、もともとのフェスの本質から離れていっているんじゃないかと思う。逆に、フェスに行ったんだけど、何も観ないでキャンプだけしていたっていう人がいても良いかと。今回のザンジバルナイトはフェスのつもりでやっているわけではないけれど、3ステージあって、フェス仕立てというところは意識している。お祭り感があるイベントを、東京の身近なところでできるっていうところがポイントかな。このアーティストが目当てっていうよりも、全体的な文化を楽しんでもらえたらいいですね。遊びに来る感覚というか。
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――ステージごとの特色は?/リリー:メインステージは今の音楽をやっているミュージシャンだと思う。小室哲哉さんにしてもそうだし、OKAMOTO’Sもそうだし、でんぱ組.incもそう。みんな、少なくとも前時代的なサウンドではない。たとえば小室さんの作品って、多くの人がイメージするのは今まで小室さんが作ったヒット曲だったりして、懐かしい印象を覚える人もいると思う。でも彼は常にその時々で“今の音楽”をやってきた人なんだよね、安室奈美恵の曲にしてもTRFの曲にしても。その時代の音楽を、小室さんの中できちんと消化している。で、最近の小室さんのソロなんだけど、すごくいいんだよね。そして、それを俺が観たいという(笑)。こないだのサマーソニック、観に行けなかったしね。
プールステージには様々なアーティストが出てくる。テントステージはトークや弾き語りなんかがメインだね。だから、メインステージはミュージシャンに頼りっきりだけど、それ以外のところ、テントステージやフードコートをどう充実させるかっていうのが、俺たちみたいなキャストの役割だと思う。メインステージではないところの面白さが「遊びに来てよかった」って感覚を作るものだと思うからね。今回は、遊びに来なかったひとに「あー、行けば良かった」って後悔させるくらい気合いを入れているよ。もう、来年はこのテンションになれる自信はないよね。――今回はなぜそんなにやる気に?/リリー:せっかく3ステージでできるんだから、もう一回フェスっていうものを、ただの音楽鑑賞会じゃないところに戻したかったという気持ちが大きいかな。単純に遊びたい。たとえばライジングサンとかに行っても、バックヤードでミュージシャンとジンギスカン食べてたりするのが面白かったりするんだよね。その感覚を表に出したいというか、お客さんとバックヤードを共有したいというか。
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――フードコートではどんなメニューを?/ここもいろいろ考えているんだけど、今の段階ですでに、食中毒が出そうな企画ばっかりなんだよね(笑)。会田誠さんの土人BBQとか(笑)最高でしょ。スチャダラパーのビニールに入ったわたあめ作ったりね。お客さんが「うわーいらねー」って思うものを売りたい。くだらないことに手間暇をかけられるのも、東京でフェスをやる意味だと思うしね。――音楽じゃないところにも、力を入れている。/リリー:文化って音楽なら音楽、お笑いならお笑いっていう風に、孤立しているものじゃないと思う。いろんなものが共存しているもの。今回は音楽というものから派生している文化、たとえばミッツ・マングローブは、タレントとして認識しているひとが多いと思うんだけど、あの人がやっている歌謡ユニットの星屑スキャットは、実はすごく渋い音楽なんだよね。ほかに音楽芸人として、どぶろっくやマキタスポーツ。彼らは面白いだけじゃなくて、楽曲的にも素晴らしい。そういった感じで、文化のいろんな側面を楽しめる空間にしたいんだよね。今回のザンジバルは、もしその3つのステージに全然お気に入りの人がいなかったとしても、その空間にいるだけで楽しいイベントになっているんじゃないかな。』

●ナイスな熟女 | Ep1 PILGRIMS 行きたかったあの場所へ リリー・フランキー、スペイサイド編


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※「タモリ倶楽部」でもしタモさんになんかあって、後を継ぐとしたら
リリー・フランキーが適任だろうなーーー、いや、何となく。

エンタメOVO リリー・フランキー『万引き家族』を語る 「治は1回もちゃんと父親になれていない」2018年7月14日
『映画「万引き家族」の大ヒット御礼!Q&Aイベントが13日、東京都内で行われ、出演者のリリー・フランキーと子役の城桧吏くんが登壇した。是枝裕和監督が手掛けた本作は、東京の下町を舞台に、犯罪でしかつながれなかった家族の“許されない絆”を描いた物語。第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた。劇中で、血のつながらない父・治と息子・祥太を演じた2人。観客からの質問に答えるコーナーで「治が(本当の意味で)父になった瞬間は、どこだったと思うか?」と尋ねられたリリーは、「治はこの映画の中で1回もちゃんと父親になれていない」と自身の見解を語った。
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その理由として、現場で是枝監督から「最後まで駄目な人でいてください」「でくの坊のお父さんでいてください」と伝えられていたことを明かした。リリーは「父親になってはいけない。その代わり俺がすごく駄目な人間だから、祥太に『これ、おかしいんじゃないの?』という気付きが生まれ、祥太がどんどん成長していく。(撮影は)そういう俺と祥太のピンポンだったと思う」と振り返った。リリーは是枝監督の演出エピソードも披露した。「撮影が始まる半年前に、みんなで顔合わせをした。そこで是枝さんが僕らみんなの家族写真を撮って、俺はそれを携帯の待ち受けにしていた。撮影のときには祥太はだいぶ大きくなっていたけど、是枝監督の演出の魔法というか、ずっと一緒にいたような気がした。最初から違和感がなかったんです」と明かした。/海水浴のシーンについても「祥太に“おっぱい大きいのがみんな好きなんだよ”と俺が言うシーンがある。何で是枝さんがこれを使ったかというと、「本当の親だったら言わないよね。偽物の親だからあのせりふを使ったんです」と(言っていた)。監督はちゃんと緻密に考えてる」と語った。』
※なるほどなぁーーー、そこまでの心裏を理解したうえで、もっかいくらい鑑賞しに
行ってもええなぁーーー(姫路アースシネマズではまだ一日一回上映継続中だし・・・)

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“どうする事も出来ずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる(『永日小品』より)”

明治42年(1909)11月4日の漱石】3年住んだ千駄木の旧宅が火事で焼けたと知って驚く

漱石は東京・千駄木の家に、明治36年(1903)3月から3年半余りにわたって住んだ。家の持ち主は、漱石の学生時代の友人の斎藤阿具だった。斎藤阿具は勤務先の仙台二高から洋行し、空き家となっている千駄木の家は貸家に出されていた。漱石は偶然、仲介人を通して、この家を借りた。漱石の処女作『吾輩は猫である』は、この家に1匹の猫が迷い込んだことから生まれた。

さらに溯ると、斎藤阿具の持ち家となる以前、ここには森鴎外が住んでいた。鴎外は、漱石が同じ家に住んだことを知っていたが、漱石はそのことを知ることなく没した。この千駄木の家の西側に、郁文館中学という私立学校があった。この学校の生徒たちは何かというと夏目邸の方に侵入してきては、高い声で話したり弁当を食い散らかしていったりして、漱石は迷惑をこうむっていた。注意してもなかなかおさまらない。ベースボールの球も、ときどき飛び込んでくる。癪にさわった漱石は、とうとう『吾輩は猫である』の中に、学校名は「落雲館」と変えながら、この生徒たちの迷惑な行状をユーモアをまじえて描き込んだほどであった。

生徒たちの騒々しさは、時として夜にも及んだ。門下生の鈴木三重吉への手紙に、漱石はこんなふうに書いている。《この学校の寄宿舎がそばにあって、その生徒が夜に入ると四隣の迷惑になる様に騒動する。今夜も盛にやっている。この次はこれでも生捕ってやりましょう》(明治38年12月31日付)/ここでいう「生捕る」とは、連載進行中の小説『吾輩は猫である』の中に題材として取り上げることを意味している。

さて、今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)11月4日、この郁文館中学から火が出た。怪我人はなかったものの、火は容易に消えず、千駄木漱石旧宅の一部にまで類焼するという事態となった。漱石一家はすでに引っ越していて直接的な被害はなかったが、この話を耳にした漱石は、昔を思い出して、「中学を建て直すときは、運動場を他に移すか、垣根を高くして、ベースボールの球が飛んでこないようにしてほしいもんだね」と口にしたのだった。/この11月4日は、9日前に満洲(現・中国東北部)のハルビン駅で暗殺された伊藤博文国葬の日でもあった。数十万の人がその葬列を見送った。伊藤博文の暗殺現場は、つい何日か前に漱石が『満韓ところどころ』の旅で通った場所だった。そんな奇遇もあって、漱石は改めて感慨を噛みしめるのだった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「火事」「何もできない」で動画検索してみました!!)

ちびまる子ちゃん 116A「永沢君の家火事になる(前編)」


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※これは有名なエピソードですねえー。

人間椅子‐1990/12/23‐Egg-Man(9)心の火事

※初期の人間椅子は間奏がええよ~~~ぅ!

ジョニーAのつぶやき:永沢君の目にメラメラと炎・・・。星飛雄馬のようだー