オリックスポンタがFA!?
ナリナリ・ドット・コム バファローズポンタが“FA宣言”か
→ 『バファローズポンタが11月19日、“FA宣言”する模様だ。オリックス・バファローズの応援キャラクターとして、2016年から熱心な応援を繰り広げてきたバファローズポンタ。しかし、19日に更新された「ポンスポ」の紙面には、「バファポン FA宣言か」の文字が躍っている。
まさに寝耳に水のFA宣言(?)に、ファンからは「どこへ移籍する気だ(笑)」「オリックスは宣言残留認めるべき」「ポンタまで流出するのかよ……」「浅村にフラれ、ポンタにフラれ……」「タイミングが畜生w」「オリックスは浅村資金投入せよ」「まじオフシーズン一番のニュース!」などの声が上がっている。』
→ 『バファローズポンタが11月19日、“FA宣言”する模様だ。オリックス・バファローズの応援キャラクターとして、2016年から熱心な応援を繰り広げてきたバファローズポンタ。しかし、19日に更新された「ポンスポ」の紙面には、「バファポン FA宣言か」の文字が躍っている。
まさに寝耳に水のFA宣言(?)に、ファンからは「どこへ移籍する気だ(笑)」「オリックスは宣言残留認めるべき」「ポンタまで流出するのかよ……」「浅村にフラれ、ポンタにフラれ……」「タイミングが畜生w」「オリックスは浅村資金投入せよ」「まじオフシーズン一番のニュース!」などの声が上がっている。』
・マッチョTシャツ
・マッチョフェイスタオル
・ブランケット
・勝った日ぃ~~~!!
・負けた日ぃ~~・・・
※来季から、「勝った」「負けた」をポンタ劇場で楽しめなくなるのかっ!?
『汝の心に教えよ。心に学ぶな。』 |
出展:? |
発言者:レフ・トルストイ (ロシアの小説家 1828年9月9日~1910年11月20日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp 人は何で生きるか (トルストイの散歩道) 単行本 レフ・トルストイ (著), 北御門二郎(翻訳)
→ 『■内容紹介:大文豪だからと敬遠していたのは間違いだった。読んでみるとちっともむずかしくないのだ。―――和田誠 /一人の靴屋が、女房やこどもたちといっしょに、百姓の家の部屋を借りて住んでいました。生活は苦しく、稼いだお金は食費に消え、毛皮外套も妻と共有のぼろしかありません。ある秋の日、靴の修理賃をうまく回収できなかった靴屋はやけになり、なけなしのお金をすっかりはたいてウォッカを飲んでしまいます。家へ帰る道すがら、靴屋が曲がり角の辻堂のそばまで来ると、そこには、裸の男が身動きもしないままお堂にもたれてすわっていて・・・。
/■登録情報:/単行本 89ページ /出版社 あすなろ書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4751523813 ISBN-13: 978-4751523810 /発売日 2006/5/1 /梱包サイズ 19 x 12.8 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:ダーマ 5つ星のうち5.0 「初めてのトルストイ」2006年9月4日・・・「トルストイの散歩道」と称されたシリーズから私のトルストイ探索が始まった。それぞれが100ページ足らずで、字も大きく振り仮名も振ってあったりする。子供でも読めるような内容で大人でも気軽に読める。これは本当にお勧め。「人は何で生きるか」、「人にはたくさんの土地がいるか」、「愛あるところに神あり」、「二老人」、「イワンの馬鹿」、という五冊がシリーズで、それぞれロシアの民話に由来して、人生で重要なのはなにであるかを考えさせるような内容である。子供に読ませたい本だ。/このシリーズの中で、トルストイは教えてくれた。「神様はよそに居るのではない。自分の心のうちに神様が宿っているのを見出すのだ。神様がするであろう行動を、私たちがすることによって。」この精神はすべての宗教にも共通する。これが本当の宗教だと思うのです。訳者の北御門二郎は、トルストイの「人は何で生きるか」という本に出会って、東大英文科を中退し、徴兵を拒否し、農耕生活を始め自給自足の生活を始めた人である。本のあとがきに訳者の娘さんが書いた解説があって、その解説もまた素晴らしい。ぜひ一読してほしいものです。』
→ 『■内容紹介:大文豪だからと敬遠していたのは間違いだった。読んでみるとちっともむずかしくないのだ。―――和田誠 /一人の靴屋が、女房やこどもたちといっしょに、百姓の家の部屋を借りて住んでいました。生活は苦しく、稼いだお金は食費に消え、毛皮外套も妻と共有のぼろしかありません。ある秋の日、靴の修理賃をうまく回収できなかった靴屋はやけになり、なけなしのお金をすっかりはたいてウォッカを飲んでしまいます。家へ帰る道すがら、靴屋が曲がり角の辻堂のそばまで来ると、そこには、裸の男が身動きもしないままお堂にもたれてすわっていて・・・。
/■登録情報:/単行本 89ページ /出版社 あすなろ書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4751523813 ISBN-13: 978-4751523810 /発売日 2006/5/1 /梱包サイズ 19 x 12.8 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:ダーマ 5つ星のうち5.0 「初めてのトルストイ」2006年9月4日・・・「トルストイの散歩道」と称されたシリーズから私のトルストイ探索が始まった。それぞれが100ページ足らずで、字も大きく振り仮名も振ってあったりする。子供でも読めるような内容で大人でも気軽に読める。これは本当にお勧め。「人は何で生きるか」、「人にはたくさんの土地がいるか」、「愛あるところに神あり」、「二老人」、「イワンの馬鹿」、という五冊がシリーズで、それぞれロシアの民話に由来して、人生で重要なのはなにであるかを考えさせるような内容である。子供に読ませたい本だ。/このシリーズの中で、トルストイは教えてくれた。「神様はよそに居るのではない。自分の心のうちに神様が宿っているのを見出すのだ。神様がするであろう行動を、私たちがすることによって。」この精神はすべての宗教にも共通する。これが本当の宗教だと思うのです。訳者の北御門二郎は、トルストイの「人は何で生きるか」という本に出会って、東大英文科を中退し、徴兵を拒否し、農耕生活を始め自給自足の生活を始めた人である。本のあとがきに訳者の娘さんが書いた解説があって、その解説もまた素晴らしい。ぜひ一読してほしいものです。』
NHK番組 発掘プロジェクト通信 世界の黒澤明監督が30回読んだ名作とは?
→ 『聞き手だった女優の斉藤とも子さんからの発掘映像、そして巨匠たちの珠玉の言葉を、今回もご紹介してまいります。(中略)/黒澤:こんなに何回も読んだ本ないんですよね。そうねぇ、今まで30回くらい読んだのかな。/斎藤:全編を通してですか?!
黒澤明さんの一冊はトルストイの「戦争と平和」。登場人物556人、2400ページのご存知超大作です。/黒澤:大変面白いんでね。例えばちょっと身体壊して寝るでしょ、するとこれを全部枕元に置くんですよね。最初からまた読み返すわけね。大体全部読むと大抵の病気は治りますよ。分かっても分からなくても、有名な古典の作品ていうのは無理やり読みましたよね。そういう本を本屋でもって買うっていうこと自体がすごく感激的なことでね。「影武者」(の撮影)の時も、これをいつでも読んでましたね。特に戦争の場面の描写なんかはずいぶんこれから学んだというのがたくさんありますよね。あなたはこれ読んだ?/斎藤:全部はまだ読んでないんです、途中までしか…/黒澤:全部読んでごらんなさいよ。こんな面白い話、無いんだから。そのうちまたなんかの機会があったら読んでいけば、だんだん色々深いところまで読めるようになるから。』
※仲代達也さんによれば、「戦争と平和」は黒沢監督が映画化も考えていた作品だという。「七人の侍」も随所に影響を受けているようである。
→ 『聞き手だった女優の斉藤とも子さんからの発掘映像、そして巨匠たちの珠玉の言葉を、今回もご紹介してまいります。(中略)/黒澤:こんなに何回も読んだ本ないんですよね。そうねぇ、今まで30回くらい読んだのかな。/斎藤:全編を通してですか?!
黒澤明さんの一冊はトルストイの「戦争と平和」。登場人物556人、2400ページのご存知超大作です。/黒澤:大変面白いんでね。例えばちょっと身体壊して寝るでしょ、するとこれを全部枕元に置くんですよね。最初からまた読み返すわけね。大体全部読むと大抵の病気は治りますよ。分かっても分からなくても、有名な古典の作品ていうのは無理やり読みましたよね。そういう本を本屋でもって買うっていうこと自体がすごく感激的なことでね。「影武者」(の撮影)の時も、これをいつでも読んでましたね。特に戦争の場面の描写なんかはずいぶんこれから学んだというのがたくさんありますよね。あなたはこれ読んだ?/斎藤:全部はまだ読んでないんです、途中までしか…/黒澤:全部読んでごらんなさいよ。こんな面白い話、無いんだから。そのうちまたなんかの機会があったら読んでいけば、だんだん色々深いところまで読めるようになるから。』
※仲代達也さんによれば、「戦争と平和」は黒沢監督が映画化も考えていた作品だという。「七人の侍」も随所に影響を受けているようである。
“そんなに君よりえらい人がたくさんいるものじゃないよ。飯だった三度食えればそれでたくさんだ(『書簡』明治39年11月7日より)” |
【明治41年(1908)11月20日 41歳の漱石】元同僚の英文学者・上田敏と自宅で語り合う
今から108年前の今日、すなわち明治41年(1908)11月20日、小春日和の穏やかな天気が連日続く中で、41歳の漱石は東京・早稲田南町の自邸、漱石山房に英文学者の上田敏を迎え入れていた。顔を合わせるのは丸1年ぶりだった。上田敏は、かつて漱石とともに東京帝国大学で講師をつとめていた。漱石の方が7つ年長だが、任命されたのは同じ明治36年(1903)4月だから、親しみ深い同僚だった。漱石は明治40年(1907)春に退官。上田敏はその年の11月から、私費で欧州へ1年間留学した。この日の訪問は、帰朝の挨拶だったのである。ふたりは、懐かしさとともに、親しく語り合った。
1年前を振り返れば、出発に先立つ11月25日に、上野の精養軒で送別会が催され、漱石も出席した。そのころ上田はすでに、訳詩集『海潮音』の翻訳家としても広く世間に知られていた。カール・ブッセの《山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ…》、ヴェルレーヌの《秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し…》などのすぐれた訳詩は、上田によるものだった。
そのため送別会場には、発起人となった与謝野鉄幹や、森鴎外、島崎藤村、馬場孤蝶、木下杢太郎ら多くの文壇人も顔を揃えていた。なかなか盛大な送別会であった。宴の途中、壮行の辞を述べるべく指名された漱石は、西洋から新式の便器を持ち帰った話をユーモアたっぷりに披瀝し、会場をわかせた。そんな漱石先生、近年、日本発のシャワートイレが諸外国の人士に歓待される光景を見たら、ちょっと驚くだろうか。
この送別会の翌日だろうか、上田敏は改めて漱石に暇乞いするため、ひとり漱石山房に足を運んでいる。偶然のことながら、小説『坑夫』の材料を売り込みに荒井という男が漱石山房にやってきたのは、漱石と上田敏のこの面談の最中だった。漱石はのちに、こんな談話を残している。《『坑夫』の謂れはこうなんだ--或日私の所へ一人の若い男がヒョックリやって来て、自分の身上にこういう材料があるが小説に書いて下さらんか。その報酬を頂いて実は信州へ行きたいのですと云う。(略)一向見知らぬ人だったので、それに上田敏君が暇乞いに来てゴタゴタしていた時だから、私も話を聴いている隙がない。で、財布から幾らか掴み出してこれで行けるかと訊くと、行けますと云う。今夜はまだ立たぬかと云うと、居りますとの答。じゃ今夜ともかくも来てその材料という奴を話してくれと一旦帰してやった。ああは云うものの、何の、騙(かた)りかなんかなら来やしまいと思ってると、正直にその夜やって来た。そして三時間ばかり話を聞かせた》(『「坑夫」の作意と自然派伝奇派の交渉』)
さて、帰国後の上田敏は、京都帝国大学の教壇に立つことが決まっていた。漱石への帰朝の挨拶は、そのまま、京都赴任の報告でもあった。ちなみに、芥川龍之介、久米正雄らと一高の同級生で、同人誌『新思潮』の発刊にも携わった菊池寛(のちの文藝春秋の創始者)が、友人の盗難事件の罪をかぶって西下、京大で上田敏に師事するのは、このときから5年後、大正2年(1913)のことである。
※枝雀さんの落語は唯一無二!