③禁じ手発動!だんご三兄弟、じゃなくだんご三偉人

☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日12月4日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『人生は 何事もなさぬには あまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。』
出展:「山月記」(新潮社)
発言者:中島敦 (小説家 1909年5月5日~1942年12月4日)
『解説:あと30年、せめてあと10年生きてくれたら、と思う最筆頭の作家。何せ彼の作家生活はたった1年、「山月記」「李陵」「名人伝」「弟子」など格調高い名作を書いた。デビュー作「山月記」は、文庫本にして9ページ余、教科書にも採用され、高校時に読んだという人も多いかもしれない。詩人になる夢破れ、虎になった男の自尊心と羞恥心を描く。カフカの影響もみられる。この言葉、肯ける人も多いだろう。濃密に生きる者の時間は高速に過ぎていくのだ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon 山月記 Audible版 –Unabridged 中島敦 (著), 浅科准平 (ナレーション)& 1 その他 (朗読サンプルが聴けます)
『■内容:詩人を目指しつつも挫折し、虎になってしまった李徴の心象を描く、教科書でもおなじみの近代日本文学の名作を、音声でお届けします。~あらすじ~隴西の李徴は、郷里では秀才として知られていた。役人となったのち、その地位に満足できず詩人を目指すものの、挫折。ついには発狂し、そのまま行方知れずとなっていた。ある時、彼の旧友が、虎に姿を変えた李徴と出会う。李徴は久しぶりに会った友に、自分がどうして虎になってしまったのか、その複雑ないきさつを語り始めるのだった。※このオーディオブックは、2013年11月にプレミアム会員の皆さまに会員特典としてプレゼントした音源と同じ内容となっています。2013年11月にプレミアム会員にご登録されていた方は、会員特典として本棚に追加されておりますので、本棚をご確認頂けますと幸いです。
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■登録情報:/Audible版 /プログラムタイプ オーディオブック /バージョン Unabridged /制作 オトバンク /Audible 配信日 2018/5/15 /言語 日本語 /ASIN: B00ZYN6OHG /■カスタマーレビュー:「良質な朗読作品」 投稿者 カスタマー  投稿日 2013/7/5 /形式 単行本 ・・・元々の作品(山月記)も素晴らしいですが、朗読の出来もかなり高いものでした。さすが声優・歌手を長い事やっているだけはあると思います。特に坂本真綾のファンであれば気に入ると思いますが、ファンでなくとも楽しめるものだとの感想を持ちました。仕事が忙しい、予備校や塾が忙しい等の理由で時間が無くて中々こう言った高尚な作品に楽しめない方は「音楽の一つとして」朗読を聞いて見る事から始めるのも悪くないと思います。教養を高める上でも山月記は非常に良い作品です。最近、こう言った作品に触れる機会は少なくなっているので色々な方にお勧めです。』

乃木坂浪漫 大和里菜 中島敦 「文字禍」(途中キレ)


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※文豪の中島も、オリックスの中島も、活躍した期間が短くてガッカリですわ~。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくっちゃ(『心』より)”

★4日と7日が入れ替わってしまってます。4日の漱石日記を見るには7日へどうぞ。

【大正5年(1916)12月7日、49歳の漱石】死期迫る病床の夏目漱石に、妻・鏡子が見せた気丈な優しさ

今からちょうど100年前の今日、すなわち大正5年(1916)12月7日、東京・早稲田南町の自宅(漱石山房)で病床についている49歳の漱石の衰弱の度合いは、いよいよ増してきていた。心臓の働きが弱って、脈拍も頼りなげだった。11月22日に机につっぷすように倒れてから、悪いかと思うとやや持ち直すこともあり、一進一退を繰り返していたようにも見えたが、やはり全体の流れとしての衰弱傾向は否定しようもなかった。

この前日、東京朝日新聞に掲載された、《一時は憂慮すべき容態に見受けたるも前記主治医の熱心診療に従事したる結果数日来漸く順調に向えり》という漱石の病状を伝える記事は、実態とは些(いささ)かズレていたのである。そこに何らかの意図を詮索するよりは、回復を願う祈りにも似た気持ちが作用したと見る方が、事実に近かっただろう。

漱石の枕頭や控えの間には、医師や看護婦、鏡子夫人の他、門弟たちが昼夜を問わず交替で付き添っていた。主治医の真鍋嘉一郎は、相談相手がほしいということで、先輩医師の宮本叔や南大曹らも応援で診療にあたっていた。看護婦も若い人ではなく、昔から漱石の病気を知っている老練な人についてもらっていた。鏡子は、回復を祈りながらも、漱石の顔に死相とでもいったものが現れているように感じ、いよいよ諦めなければならないかもしれないという気持ちを抱きはじめていた。

そうなってみると、漱石をほとんど絶食状態にさせていることがしのびなかった。漱石は根が食いしん坊なのを、鏡子は知り抜いている。甲斐なく枯れてしまう命ならば、このまま何も食べさせずに逝かせるのは、あまりに空しく気の毒ではないか。そんな思いがこみ上げてきて、主治医の真鍋嘉一郎にもう少し何か与えてほしいと頼み込んだ。

真鍋はこれを受けて、アイスクリームや果物の汁、薄い葛湯などを少量、漱石の口に含ませてみたりするのだった。その後、漱石は鏡子に向って、弱々しい声で呟いた。「真鍋が何かくれるが、いっこう旨くないんだよ」

体の衰えとともに、ものの味もよくわからないようになっているのかもしれなかった。鏡子は咄嗟にはうまい返答ができない。こみあげる哀しみをのみこみ、一瞬の間を置いて、「いまに治ればだんだんおいしくなりますよ」言い聞かせるようにそう言うのが、やっとだった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「死ぬ」「食べたい」で動画検索してみました!!)
TWICEのジヒョ 死ぬ前にもう一度食べたいもの



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※これは良い答えですね。。。

●「死ぬ前に、最後に何を食べるか?」アイドルとして絶頂期にいた加護亜依の回答

スピードワゴン小沢一敬は、元モーニング娘。加護亜依と過去に一度食事を
したことがあるそうで、「加護ちゃんてやっぱブッ飛んでて、俺けっこう尊敬して
るのよ」と、リスペクトしていることを明かす。  そして「昔、加護ちゃんのイ
ンタビューで1番感動した話していい?」と、加護に一目置くきっかけになったエ
ピソードを披露した。  小沢が見たのは「死ぬ前に、最後に何を食べますか?」
という質問に対する受け答えだったそうで、当時アイドルとして絶頂期にいた加護
は、なぜか料理ではなく「水」と回答。  この意外な答えに対して「なぜです
か?」と理由を聞かれると、なんと加護は「味がついてたら、この世に未練が残る
から」と、およそ14歳とは思えない回答をしたという。  「俺、ちょっと尊敬し
たもん」と振り返る小沢は「このエピソード、カッコよくない?」と、加護の考え
方に大いに感銘を受けたようだ。

ジョニーAのつぶやき:確かに予想の斜め上をいく答えだわ・・・<加護ちゃん


☆さ~~て、本日12月5日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『簡単に成功してしまうのは面白くありません。映画も人生も、試練があるほうがエンターテイメントなんですから。』
出展:「夢をかなえる100の言葉」(ぴあ)
発言者:ウォルト・ディズニーアメリカの映画監督 1901年12月5日~1966年12月15日)
『解説:ウォルト・ディズニーミッキーマウスなどを生み出したアニメーターとして、「白雪姫」などの映画監督として、そしてディズニーランドの経営者として、それぞれ大きな失敗を繰り返しながら、その都度復活して、自分と子どもと大人の夢の実現のために生涯を送った。彼は夢を追い続けた。夢はかなう、と強く思った者だけが夢がかなう。一歩を歩みだせるのだ。彼が亡くなって50年、彼の夢はいまだ世界中で叶え続けられている。』

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※初期のミッキー?かわいくないなぁーーー。

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

大いなるメディア・アニメーション ウォルト・ディズニー氏プロフィール
『名前:ウォルト・ディズニー(Walt Disney)/本名:ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney) /生年月日:1901年12月5日(日曜日)~1966年12月15日) /出身地:アメリカ・イリノイ州シカゴ /趣味:鉄道、鉄道マニア(自ら作り上げた世界のディズニーランドすべてに鉄道がしかれアトラクションの一部、ディズニーランド内の移動方法とされています)機関車(当時はクルマももちろんありましたが機関車の黄金時代の末) /職業:漫画家、アニメ製作者、映画監督、実業家、声優(初期の自主制作アニメーションなどで)。司会(ディズニーランドが出来たと同時に放送されていたテレビ番組「ディズニーランド」のアトラクションやアニメ作品の紹介など)
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★ポイントとなる年:/1920年:19歳で初のアニメ作品「ニューマン劇場のお笑い漫画」を手がける(当時のアニメは実写映画の合間に上映される”子供向けの息抜き”というポジショニング。世間的にもそう認知されていた) /1923年:アメリカのカンザスシティーのアニメーション映画会社・フォグラム社に勤めていました。オズワルドシリーズ、漫画の国のアリスシリーズといった人気アニメを手がけた後、それらの作品で権利関係に問題が発生した事もあり自主退社。 /1923年8月:ウォルト・ディズニー氏自ら手がけたそれらの映画の本場ハリウッドへ持ち込むみます。(日本で言う上京です) 上映映画劇場と制作した「アリスの不思議の国」をシリーズ化して契約を結ぶ。このときにウォルト・ディズニー氏の兄、ロイ・ディズニー氏と自前の製作会社ウォルト・ディズニー・プロダクション(後のウォルト・ディズニー・カンパニー)を設立。/※年:ディズニーアニメーションスタジオの誕生です。オズワルドに代わる人気キャラクターとしてミッキーマウスを生み出し、大ヒットに導き、今現在では、ミッキー・マウスは、一つのブランドとして存在します。今まで実写映画の合間のつなぎでしかなかったアニメーションを芸術的、興行的なイメージに変える先駆者となる。/1955年:自らのアイデアで生まれた世界ではじめのディズニーランドをカリフォルニア州アナハイムにを開設します。/1966年12月:肺ガンのため死去。
◎ウォルトディズニーはひとりの経営者、実業家と言うより、アイデアマン、常に先の新しいアイデア、アイデアを考えたら自ら実行し、成功、うまくいったらまた次のアイデアを考えるという、行動力もあり、いつもいろいろな事を考え、失敗もものともせずに突き進むアイデアマンらしいです。私はウォルトディズニーを尊敬し、ディズニーランドに脚をはこぶと何度も行っているのにいつも新鮮でなにかしら、新たしい発見をし、驚かされます。ディズニーランドは、ウォルトディズニー氏のアイデアのかたまり、アイデアランドと言ってもいいでしょう。』

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トム・ハンクスは、なかなかのハマリ役でした!

Amazon ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版 単行本 ボブ・トマス (著), 玉置悦子 (翻訳), & 1 その他
『■内容(「BOOK」データベースより):初のトーキー漫画映画『蒸気船ウィリー』を創り、『白雪姫』で初の長編アニメーションに挑戦。映画の世界を体験するディズニーランドというテーマパークを生み出した天才エンターテイナー、波瀾万丈の人生。ミッキー映画の秘話をはじめ、ディズニーの原点がわかる。
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■登録情報:/単行本 386ページ /出版社 講談社; 完全復刻版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4062163322 ISBN-13: 978-4062163323 /発売日 2010/11/19 /梱包サイズ 21.4 x 15.4 x 3.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:①Mr.White 5つ星のうち5.0 「最高のウォルト・ディズニー伝記本」2013年7月15日・・・この本ではウォルト・ディズニーが生き生きとしており、大変味わい深く、何度も読み返してしまいます。起業家が読んでも大変参考になると思います。エンターテイメントで王国を作ったウォルト・ディズニーに、大変興味があったのでいくつかの本を読みましたがこれがベストでした。兄のロイの事も好きになりました。②MAMEZOU 5つ星のうち5.0 「ディズニーの基本」2011年1月14日・・・この本を熟読せずに、ディズニーファンは語るなかれ。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“引越をする時はぜひ手伝いに来てくれ(『三四郎』より)”

明治39年(1906)12月5日、39歳の漱石】旧友が戻ってくるとの噂を聞いてちょっと焦る

今から110年前の今日、すなわち明治39年(1906)12月5日、39歳の漱石は勤務先の第一高等学校で、ある人物の転任の話を仄聞し、思わず顔を上げた。その人物は、学生時代からの友人の斎藤阿具。いまは仙台の第二高等学校の教壇に立っているが、今度、一高から転出する教師の後任としてその斎藤阿具がくるらしいというのであった。

漱石千駄木の家に帰宅すると、すぐに仙台に宛てて手紙を書きはじめた。《拝啓 塀の修繕難有(ありがたく)存候 偖(さて)今日学校にて承わる処(ところ)原勝郎の後任として君が第一にくるかも知れぬとの事。そこであらかじめ伺って置き度(たく)候

一 若(も)し君東京へ御転住の時は当家へ御這入りなされ候や
一 もし小生が此(この)家を出ねばならぬならば君が東京転任決着次第御報知を受けて御着前に相当の家を探したし》

漱石がいま住んでいる千駄木の借家は、本来、斎藤阿具の持ち家であった。阿具が欧州留学、仙台赴任と、東京を長期に離れねばならぬ状況となっていたため、人を介して、借家に出した。漱石は当初、友人の持ち家ともわからず、偶然、この家を借りることにした。両人がこの事実を認識したのは、漱石千駄木に引っ越してきてしばらくあとのことであった。

その阿具が、今度、仙台から東京へ戻ってくる。そんな噂を耳にしたとき、まず漱石の頭に浮かんだのは、借りている家のことだった。阿具が自分の持ち家に戻って住みたいということならば、自分は引っ越しをすべきだろう。漱石先生、相手の立場にたって、先回りしてそう考えたのである。《御着前に相当の家を探したし》と友に対する気遣いを見せながら、漱石は最後に、こう書いた。《出来るならば此うちを以前の如く借りて居りたし》ぽろりともらした本音である。

熊本で5度住まいを変え、ロンドンでは4度の転居をするなど、随分と引っ越しを重ねた漱石先生だが、自ら好んで積極的に各地へ引っ越しを繰り返し、それを創作のエネルギーにも転化した感のある谷崎潤一郎志賀直哉とは、少々事情が異なっていたようだ。阿具の転任の正式な辞令が出て、漱石は結局、暮れも押し詰まった12月27日、本郷区(現・文京区)西片町へ引っ越しをすることになる。そこの大家がとんでもない強突張(ごうつくばり)であることに気づくのは、引っ越し後しばらくしてからのことだった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ごうつくばり」で動画検索してみました!!)

●ごうつくばり(2018/8/4) 2018年8/4寺田町Fireloopから

※曲名なんだか、バンド名なんだか、よくわかりましぇーん。

●ごうつくばりなロングコートチワワ☆のんちゃん


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※なぜに後ずさりする!?

ジョニーAのつぶやき:ウォルト・ディズニーだって何度か失敗しているらしい。ごうつくばらずに、ゆとり持っていきましょ、、などとまとめてみる・・・。


☆さ~~て、本日12月6日(木)の、「元気が出る言葉」は~?

『一度でもつまらない仕事をしたら、次に僕に声がかからないことは知っている。』
出展:「感動をつくれますか?」(角川書店
発言者:久石譲 (作曲家 1950年12月6日~)
『解説:久石譲は1つの映画作品と向き合うと、1か月で20~30曲作るという。すごいペースだ。「風の谷のナウシカ」依頼、約30年、宮崎駿作品すべての長編アニメ映画、北野武作品においても、7作品の音楽を担当している。多くの曲が耳になじんでいるだろう。そんな久石の覚悟の言葉。まったく自由な芸術家と違う、いわば商業芸術家だ。いやだからこそ、制約があるからこそ、できることもあるのだ。覚悟を持って仕事ができる、ある意味、これ以上の幸せもない。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

●久石 譲 / Joe Hisaishi -- Summer (HQ) (3分)


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ジブリの地平を切り開く!クラッシャー・譲、ここにあり!

Amazon 久石譲 35mm日記 単行本 久石譲 (著)
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『■内容(「BOOK」データベースより):「ハウルの動く城」「カンヌ映画祭」ほか誰もが聴いたあのメロディの「創造」を本人が語る!初めて公開される中国初の5.1chレコーディング風景チャイナ・フィル、民族楽器の名演を北京にて完全撮り下ろし。/■登録情報:/単行本 160ページ /出版社 宝島社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4796657134 ISBN-13: 978-4796657136 /発売日 2007/07 /梱包サイズ 21.2 x 14.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.0 /■カスタマーレビュー:rururu39 5つ星のうち4.0 「久石譲 35mm日記」2011年12月12日・・・久石さんの本は何冊か読んでいるけど月1で記された4年間分の日記は、いち作曲家が日々どのような生活をし、どのような心情で作曲やコンサートを行っているのかが本人の言葉で綴られているから面白い。昨年の「崖の上のポニョ」のテーマ曲はまだ耳に新しい。久石さんが手がける楽曲ではジブリ作品、北野武作品はもう定番。耳に残るフレーズと作品を盛り立てる壮大な音楽は日本人の心に響きやすいんじゃないかな。』


●久石 譲 - 「ジブリ・ベストストーリーズ」ダイジェスト

※アニメの風景が脳裏に広がりますぅ~~~~~♪

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“世の中はいかさま師ばかりで、お互に乗せっこをしているのかも知れない(『坊っちゃん』より)”

明治44年(1911)12月6日の漱石】診療所の顕微鏡で細菌を覗き見て感動する

今から115年前の今日、すなわち明治44年(1911)12月6日の東京は晴れていたが、風が強く、冬の訪れが感じられた。漱石が朝、自宅(早稲田南町)の庭に出てみると、濃い露が降りたために、一面が微雨のあとのように濡れていた。痔疾の治療のために訪れた佐藤診療所で、漱石はこの日、顕微鏡を見せられた。850倍の倍率という顕微鏡で覗き見た葡萄状の細菌は、蚕の種のようにかたまっていて、なんだかカラー図鑑でも眺めているようであった。

世間話をするうち、小説家の真山青果が院長の佐藤恒祐と仙台二高の医科で同級だったということがわかった。佐藤は、漱石にこんなふうに言った。「真山は、順天堂に自分の弟子を入院させて亡くなったとき、『医者の言いつけを間違えて、看護婦がアトロピンを注射器に入れたから死んだんだ』と言い張って、『あの看護婦を殴らせろ。そうすれば我慢する』と病院に掛け合ったそうですよ」極端な癇癪持ちと伝えられる真山青果らしい逸話だった。

仙台での学生時代、学校で泥棒騒ぎがあり、佐藤が人から聞いた話として、真山成果に嫌疑があるということを言ったら、誣告罪で訴えるとさんざん言い募られたこともあったという。山師まがいの医者の中には、金を出して、広告の代わりに新聞の雑報記事を利用している者もいる。そんな話も、佐藤は漱石に聞かせた。

たとえば、こんな記事が出たこともあるという。ある者が、10年前に足の裏に針を刺し体内に入ってしまったのが、今日に至って、某医学博士のX線の力で所在を発見し、肩からその針を取り出すことに成功した、云々。新聞業界も医学界も、まだまだ未成熟な時代であった。佐藤は言う。「いま報知新聞に、ドクトルなんとかという人が、新ツベルクリンの効能を書き立てているのも、その類です。うちも開業当時は、通信社の人間などがやってきて、医学の素人である読者には面白い話もあるでしょうから、ぜひ新聞にお出しなさいと、盛んに勧められたもんです」

顕微鏡で覗く細菌の姿以上に興味深く、漱石先生、半ば感心し、半ば呆れて、これらの話を聞いていた。それでも、真山成果の逸話を、のちに小説『明暗』の中にさりげなく素材として取り入れてしまう辺りは、さすが小説家・夏目漱石なのだった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「世の中」「いかさま」で動画検索してみました!!)

●『インサイダーズ/内部者たち』予告編


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※長髪のイ・ビョンホンは、又吉直樹みたいだぁーーーw

●「いかさま師 神の手」予告編


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ジョニーAのつぶやき:「イカサマ師」といえば、劇場版『コンフィデンスマン』が楽しみだヨーーーーーン♪