25日~29日は「漱石祭り」③イヤタダノオウチャクキカク・・・

25日~29日は「漱石祭り」③イヤタダノオウチャクキカク・・・

☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日12月27日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『奇麗な足でいたかったら、男たちの視線に足をさらしなさい。』
出展:?
発言者:マレーネ・ディートリッヒ (ドイツ出身の女優 歌手 1901年12月27日~1992年5月6日)
『解説:映画「嘆きの天使」(1930年)で、100万ドルの脚線美を見せ、官能的・退廃的な魅力で世界中の観客を悩殺した。この言葉はドイツ出身ながら反ナチスの活動でも有名であった大女優で歌手、マレーネ・ディートリヒのものだ。「モロッコ」でハリウッドデビュー。その後ヒトラーからの帰国要請も蹴って連合軍兵士を慰問、有名な「リリー・マルレーン」を歌った。第二次世界大戦中に世界中で最も聞かれた曲だ。ヒトラーに体を張って戦った根性だ、奇麗な足を男たちの前にさらすなんて苦もないことだったろう。女も度胸だ。』

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※ちょっと、ユマ・サーマンっぽいかな?

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

ヤフー知恵袋 ボヘミアンラプソディの映画で~
『Q:2018/12 ボヘミアンラプソディの映画で、印象に残ったのは、フレディの家にマレーネ・ディートリッヒのパネルが貼られていたこと。なぜ?/A:ベストアンサーに選ばれた回答・・・1975年発表のシングル【ボヘミアン・ラプソディ】のジャケットが、まんまディートリッヒがモチーフですからね。フレディ・マーキュリーがディートリッヒのファンだった事は知られていますが、LGBTのアイコン云々は現代の視点では?』

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※フレディも魅了されてたんですなーー。

リリー・マルレーン【訳詞付】


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※「ボヘラプ」の原型なんですなー。


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“最後の引導を渡すより外に途(みち)がなくなった(『明暗』より)”

明治42年(1909)12月27日、42歳の漱石】怪しげな訪問者からの面会依頼をきっぱり断る

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)12月27日、42歳の漱石は妙な抗議を受けていた。数日前、漱石は怪しげな訪問を受けた。訪問者の名は木村秀雄。印度タンツラ僧伽イマジネーシヨン研究会長という、なんだかよくわからない肩書を有していた。取次ぎを受けた漱石は、面会を断った。

実はこの男の訪問を受けるのは初めてではなかった。4か月前にも漱石山房(東京・早稲田南町漱石の自宅)を訪れ、漱石と面談し、「観自在宗を普及させるためにお力添え願いたい」などと寄進話を持ちかけていた。新聞や雑誌を通しての布教や金集めも念頭にあるらしかった。ひと通りの話を聞いた後、賛同する気になれなかったので、漱石は断りを言って引き取ってもらった。今度の訪問も、趣旨は同じだった。玄関先で名刺を差し出し来意を告げた木村は、「ご主人の胃病も私が治して差し上げる故、ぜひご面会を」という申し出までした。

漱石はそんな言い種に毫(ごう)もなびかない。玄関に顔を出すまでもなく、取次ぎを通して面会を謝絶した。すると、男は態度を豹変させ、ひどく怒り出し、後ろ足で砂をかけんばかりにして帰っていった。かてて加えて、今日になって、漱石を責めたてるような手紙を送ってきたのである。漱石は手紙を読み終えると、この不埒な訪問者へ返事を書くことにした。《今度御足労の処(ところ)不得面接(めんせつをえず)為に御立腹の由承知致候。観自在宗御弘(おひろ)めの為機関御入用の由なれど夫(それ)は観自在宗の信徒の有したる新聞か雑誌でなければ駄目に候。然らずば金を儲けて自身に機関を設くるより外に致し方なかるべきか。胃病を癒してやるとの仰せ難有(ありがたく)候。然し御心配御無用に候。小生の胃は過去の因縁にて起りつつあるものに候。過去の因縁消滅すれば大兄の力を藉(か)らずとも自然に全快可致(いたすべく)候。小生は妄(みだ)りに人の力によりて何うかして貰う事がきらい故御厚意を顧みずわざと辞退致候。右御返事迄。草々》

文面はあくまで丁寧に、大人の余裕を見せながらも、「無駄足になるから、もう来ないように」と、はっきりと説き聞かせた恰好である。ところで、ここにいう、胃病を起こすような「過去の因縁」とは何だったか。かつての養父・塩原昌之助が昔の縁故を申し立て、漱石に交際の復活と金銭的援助を要求する事態が、数年前から続いていた。「過去の因縁」とは、ひとつは、そのことによる精神的なストレスを指したのだろう。そのごたごたは、ようやく、一応の決着がつこうとしていた。もちろん漱石の胃の持病は、もともとの体質や過敏な神経、若いころから「たら腹主義」で通し、とくに甘いものに目がないことなど、他にもさまざまな要因がからまり合っている。

精神的ストレスも、何も養父のことばかりに限らない。己の来し方があって今を生きているという現実を踏まえれば、すべての足跡が「過去の因縁」といえなくもない。だとしたら、それは誰に肩代わりしてもらえるものでもなく、生きている限り自分で背負っていくしかない。そんな漱石の覚悟も、手紙文の奥に垣間見える。

細かすぎて伝わらない関連動画など

省略

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