ブログ移行期間 /ブログ移行ツール提供開始は・・・

★ブログ移行ツールの提供開始が6/4からと発表された。とりあえずホッと
はしたが・・・。いやいや、まだ安心はできない。完全移行できない何らかの
障壁がいろいろと付いてきそうで仕方ないのだ・・・。

☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月29日(水)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2016年・DDT】
カテゴリー【快挙】
見出し:『竹下幸之介が21歳の誕生日にKOーD初奪取』
『解説:12年、高校在学中にデビューし日体大へ通いつつリングに上がっていた竹下。後楽園で佐々木大輔を破り、KOーD無差別級王座を史上最年少戴冠。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●プロレス 闘魂 竹下 幸之介「2億万年に1人の逸材」


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●竹下 幸之介入場テーマ


☆いやー、なんだかんだで、「DDT」で動画検索していて、普通に
男女入り乱れて闘っているのが新鮮だった。(里村、チャンピオンになってるんだーー)

●KO-D6人タッグ 竹下&彰人&飯野 vs 里村&橋本&チサコ


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※男性の肉体に打ち克つ説得力があらぁな~~~。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「本村住民は三蔵の名を命名するを得ず」――山形県最上郡金山村村会

【解説】
滋賀県の琵琶湖の南西側に大津という町がある。明治24年(1891)5月、この大津にロシアからの賓客がやってきた。皇太子のニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、ウラジオストックでのシベリア鉄道起工式に出席する途次、7隻の軍艦を率いて極東を巡遊。日本に立ち寄り、京都から奈良への旅程の中で琵琶湖遊覧のひとときを楽しもうと、大津へ差しかかったのである。

その大津で、とんでもない事件が起きた。ロシア皇太子の警護の任に当たっていた巡査の津田三蔵が、突然に帯剣を引き抜き皇太子めがけて斬りつけたのだ。皇太子の命に別状はなかったが、頭部に負傷をおった。津田は、「ロシア皇太子の来日は日本侵略への足がかり」とする風聞を信じ込み、凶行に及んだという。周辺への権益拡大を目論むロシアを脅威と受けとめる「恐露病」は、日本全体に蔓延しはじめていた。

警察官による他国皇太子の暗殺未遂(傷害事件)という予想だにしない出来事に、日本中が大騒ぎとなった。天皇は京都に行幸してロシア皇太子を見舞い、政府は司法に対し犯人への死刑宣告を求めた。閣僚の中には、政府が刺客を放って犯人の津田を暗殺し、病死したことにせよ、と主張する者もいた。かと思えば、一命を捧げて詫びることで国家の危機を救おうと、自らの命を絶ってしまう一般女性まであらわれた。

このような混乱した世情の中で、政府の圧力にも屈することなく、司法の独立を気概をもって守り通したのが大審院長の児島惟謙(こじま・いけん)だった。児島は傷害事件をもって死刑を宣告するのは法を逸脱するとして、犯人の津田三蔵に無期懲役の判決を言い渡したのである。はじめ津田への極刑を求めていた一般世論も、法を曲げようとする政府の横暴に反発して「津田三蔵は志士。殺してはならぬ」という方向へ傾き、児島の判決を支持したという。

そうしたせめぎ合いの傍らで、的外れな動きもあった。それが、山形県最上郡金山村村会によって決議された掲出の条例。つまりは、金山村の住民は自分の子どもに「三蔵」という名をつけてはいけない、と取り決めたのである。なんととぼけた条例か。これも当時の日本の混乱ぶりの一端を示すものであろう。この事件そのものから、ただちに国家間の対立が先鋭化することはなかったが、結局、両国の戦闘は避けられなかった。事件から13年の時を経た明治37年(1904)、とうとう日露戦争が勃発するのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ニコライ」「日露戦争」で動画検索してみました!!)

日露戦争が2分で分かる動画

※肝心のとこがワカランw

日露戦争に翻弄された二人の壮大な愛の物語/映画『ソローキンの見た桜』予告編


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ジョニーAのつぶやき:動画がきちんと移行できるブログって無さそうな気がするんだが、、、どうなるのやら。