ただひたすらに「アンナチュラル」を貼る。。。

◎1話から10話まで、何度もリピートしてキュンキュンしている「アンナチュラル」!
本日は、余計な御託は並べず、ただひたすらに「アンナチュ」の登場人物
の画像を並べて、愛でたい。(憎たらしい宍戸の画像でさえ、愛おしいw)

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※「院内感染」を扱った第1話。何気に「これからも人がたくさん死にま
すよ!」とヤジる宍戸。こんなところですでに本音を・・・芸が細かい!

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※「絶望してる暇あったら、うまいもの食べて寝るかな」
ミコトさんらしい台詞。どんな苦しい時でも、食べることには貪欲!

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※傍聴席で、中堂の「人なんて どいつもこいつも、切り開いて皮をはげば
ただの肉の塊だ!」発言を聞いてほくそ笑む宍戸。きっと頭の中では、高瀬
と中堂を早く対決させてぇえ~~~~っ!!などと思ってるんだろうなー。
鬼畜この上ない!

●アンナチュラル オープニング (3分30秒)


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※一家心中で残された子どもの話を聞き、「絶望するには十分だ・・・」
と呟く中堂。ミコトと真逆の思想である。この二人が最後に意思疎通
するところが、最大の見所だったんだなァ~~~。脚本、神スグル!

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※「思われたいねぇ~~~~」。東海林さん、魂の叫び。可愛すぎ♪

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※刑事から逃げるために潜り込んだブティックで、一瞬ショッピングを
楽しんじゃう二人w ほんと、名コンビですなー。

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※東海林「えっ!?キスって吸う??」東海林さんのオオボケ炸裂!

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※「今日も世界はクソまみれ・・・」
 「クソ」は個人的に今年の流行語大賞に早々と決定~~~!

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※ミコトの食べるシーンは全部美味しそう~~。深夜の空腹時に観る
のはヤバイぞっ、厳禁だ!!

●アンナチュラサウンドトラック ピアノ


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※「六郎は優しいねぇ~~~~~♪」

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※頭グリグリッとされるシーンでは六郎に感情移入しまくれた。

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※また宍戸。ビットコイン詐欺の犯人の話題で、いけしゃあしゃあと、
「悪いやつは成敗しましょう」。どの口が言うてんねん!どの口がっ!!

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※(恋人に会えたらどうする、と問われて)「会って聞く。お前を殺
したクソ野郎は誰なんだ?」まさか本当に聞く展開になるとは・・・
ゾクゾクッ

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※父との絶縁など辛い状況の中、かけがえのない仲間を見つけた幸せ
を噛み締める六郎。ファーストガンダム最終回で、ホワイトベース
還り着くことができたアムロを彷彿させる感動シーンだった。。。

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※六郎がスパイだったことを知らされ、愕然とするミコトと東海林。
もう、胸が張り裂けそうになるくらい切ないシーンだったわサー。

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※シャアも真っ青の、“復讐のため”だけに生きてきた男、中堂系!
UDIラボを辞めずに済んで本当に良かった。これからは助手・坂本
と仲良くケンカしていって欲しい。案外、ムーミンスナフキンみた
いな良好な友人関係が創れるかもしれないしな♪クソ頑張れ!

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※署長と東海林さんの気付きのシーンが好きで好きで・・・!!
このあとの怒涛の解決編は、何回観ても飽きないッス♪
ぜひとも、シーズン2を。もしくは特別編を(中堂さんの絡まない、
些末な事件に右往左往するUDI奮戦記、みたいなのキボン!)。

石原さとみ アンナチュラル 最終回終了後の動画

また逢う日まで




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月19日(土)の、「元気が出る言葉」は~?

『人は人 吾(ワレ)はわれ也(ナリ) とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり』
出展:「哲学の道」にある歌碑の言葉
発言者:西田幾多郎 (哲学者 1870年5月19日~1945年6月7日)
『解説:人は人との比較で生きている。しかし、結局自分は自分であり、自分の道を行くことが大切だ。それは解っている。が、このシンプルなことが難しい。人間は厄介な生き物だ。京都に「哲学の道」という名所がある。日本の哲学の草分け・西田幾多郎が散策しながら思索にふけっていたという。そこに、この歌碑がある。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

西田幾多郎 無の哲人:禅の思想から日本哲学



ZEKKEI Japan 哲学の道 京都
哲学の道京都市左京区にある小道である。1922年より琵琶湖疏水の両岸、若王寺橋から浄土寺橋までの約2キロメートルの区間に桜の木約500本が植えられ、桜のトンネルができ上がった。桜が開花する春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。/ワンポイント:春には桜、秋には紅葉、冬には雪景色と四季によって様々な表情が見られる。』

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Amazon.co.jp 夏目漱石と西田幾多郎――共鳴する明治の精神 (岩波新書) 小林敏明(著)
『■内容(「BOOK」データベースより):「同窓生」であり、ベストセラーの著者であり、禅に打ち込んだ。―これまで論じられることはなかったが、日本を代表する二人の知性の間には、多くの共通点がある。綿密な考証にもとづいて、かれらを包みこんでいた時代環境や知的ネットワークを解きほぐし、近代日本の思想課題を明らかにする、精神史的評伝。/■登録情報:/新書 256ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4004316677 ISBN-13: 978-4004316671 /発売日 2017/6/21 /梱包サイズ 17 x 10.8 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5
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/■カスタマーレビュー:ソコツ ベスト1000レビュアーVINEメンバー 5つ星のうち4.0 「近代日本の哲学と文学をつなぐ具象と抽象」2017年7月11日・・・西田幾多郎に続き夏目漱石についても論じてきた哲学研究者が、両者の接点や共通点を改めて考えてみると、いろいろと発見があって面白い、といったような趣旨の本です。この両者をつなぐ、ごく具体的な人物やネットワークが取り上げられているところと、同時代の特徴的な精神状況や課題を、両者がどう受けとめ、そこから彼らの独創的な仕事をものしたのかを論じているところの、大きく2つに、全体の文章が分かれます。/前者については、彼らが学生時代にその講義を受けたであろう、心理学者の元良勇次郎の存在意義について論じている部分が、まず興味深かったです。西田も漱石もウィリアム・ジェームズから大きな示唆を得ていますが、そのきっかけは元良にあったようで、これは重要な指摘かと思います。また、両者の禅とのつながりについて、北条時敬らを軸にその人脈の広がりを改めて検証した上で、彼らの文学と哲学における禅の影響を検討し直した部分も、学びどころが多いです。/後者については、近代日本の戦争に対する両者の向き合い方や、個人による内省と自己の心境の言語化という、これも実に近代的な営みへの、哲学と文学それぞれの挑戦の仕方について論じられています。このあたりも、セクションごとの評論から得るものは少なくなかったですが、ただ、通しで読むとやや散漫な印象を受けたというのが、正直な感想です。これらは、本来的に西田と漱石に限定して論じるようなテーマではないから、という事情があるからかもしれません。いずれにせよ、このあまりにも有名すぎる両者のうち、どちらか一方にでも知的好奇心のある読者であれば、何かしら新たな発見が必ずある作品であることは、間違いないように思います。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“戦争は悲惨です。(『書簡』大正3年10月17日より)”

【1911年5月19日の漱石】幼い娘の同級生の言葉に絶句する

今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)5月19日、漱石の三女の栄子が、家に同級生の女の子を連れてきた。栄子は当時、満年齢で七歳半の小学生だった。栄子の同級生は、漱石を見て、ぺこりとお辞儀をした。44歳の漱石は、ちょっとおどけて表情を崩し、「へい、いらっしゃい」と、まるで魚屋か八百屋のオヤジのように挨拶(あいさつ)を返した。しばらくして、漱石は、ふたりが遊んでいるそばへ寄って、その娘に向かってこんな問いかけをした。「あなたのお父さんは、何をしていらっしゃるの?」/なにげなく発した言葉だった。相手の娘もさらりと、ただ一言で答えた。「お父さんは日露戦争に出て死んだの」/漱石は絶句してしまった。すぐには二の句を継げない。痛ましい思いが、胸にこみ上げていた。ようやくのこと口を開き、「ゆっくり遊んでいらっしゃい」それだけ言って、漱石は娘たちのそばを離れた。

日露戦争が始まったのは、この7年前の明治37年(1904)2月8日。ポーツマス条約の調印で終結を見たのは翌明治38年(1905)9月5日。時期からして、漱石の三女の同級生は、まだほんの赤ん坊のときに父親を亡くしたわけだ。1年7か月に及ぶ戦闘の中で、日本軍の戦没者数は8万8000人以上にのぼっていた。/茶の間で妻の鏡子と顔を合わせると、漱石は自然と、この三女の同級生のことを話題にしただろう。話は、少女の言葉を聞いて胸のつまる思いをしたことから、戦争の悲惨さや、学生時代に徴兵制とのからみで、父親の配慮で北海道に転籍したことにも及んでいく。漱石と鏡子の、このときの戦争に関する会話を、12歳になる長女の筆子が聞くともなく聞いていたらしく、数日後、思わぬ出来事が起こった。

その日、筆子の通う小学校の先生が、生徒たちの前でたまたまこんなことを言った。「徴兵忌避というようなことがありますが、これは国民として恥ずかしいことです。この国民の義務を遂行しなくては、忠良の日本国民とはいわれないでしょう」すると、筆子がすっと立ち上がって、質問をした。「先生、私のお父さんは北海道へ行って徴兵を逃れたというのですが、お父さんは日本国民ではないのでしょうか?」/子供だけに深い意味もなく、ただ素朴に問いかけているのだった。これには教師の方が言葉につまった。しばらく黙っていたが、ようやく思いつき、諭すように言った。「いえ、あなたのお父さんは、ほかのことで国家のおためになりなさる方だから、それでいいのです。けれども、もし、今後、よその方がそんなことをなさるようであったら、必ず諫(いさ)めておあげなさい」

こんなやりとりが学校であったことは、めぐりめぐって漱石の耳にも入った。漱石は複雑な思いでこれを受けとめた。その翌月、漱石は、新潟県の高田を訪れた折、長女と先生とのこの学校でのやりとりを、正直に『高田日報』の記者に打ち明けている。その一方で、豪雨が屋根を叩く高田中学の講堂で行なわれた現地の中学生向けの講演の中では、こんなことを語った。「諸君らは、狭い高田気質を脱して、日本的となり、さらには世界的になったらよいと思います。狭い郷臭を去って、立派な日本人に適するような人格をつくり、さらに一歩進んで世界的人物になるような人格をつくったらよいと思います」/次代を担う若者たちが、偏狭な郷土意識やナショナリズムにとらわれず、もっと視野を広げ、世界的人物となるような人格をつくりあげていけば、やがては悲惨な戦争もなくなっていくのではないか。そんな、遥かな希望を心の奥に抱いていた漱石先生なのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「戦争」「悲惨」で動画検索してみました!!)

●戦争の悲惨さが分かる15枚

・絶対に戦争は起きてはならない出来事という事が分かる15枚の写真を集めました。

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●兵士たちが撮影した戦争動画集


ジョニーAのつぶやき:「悲しいけど、これ戦争なのよね」