ブログ移行期間 /TV「アナザー・ストーリーズ」
→ 『2019年2月19日(火) 午後9時00分(60分):番組内容・・・少女たちは血まみれの闘いに涙を流した!女子プロレスラー「クラッシュ・ギャルズ」。1980年代、突如現れた2人の試合は、やがて五輪で金メダル続出の女子レスリングへ!女子プロブームと最強女子レスリング日本代表との知られざるつながりが明かされる!さらに元ウィンク相田翔子、お笑い山田花子をはじめ、その闘いで「人生が変わった」という普通の女の子たちが30年を経て赤裸々証言。少女たちが闘いを求めた理由とは?
/出演者ほか【司会】沢尻エリカ,濱田岳,【出演】長与千種,ライオネス飛鳥,吉村祥子,相田翔子,山田花子』
※動くかなたくさんを初めて観たよ~。
※いやー、いい番組でした!さすがNHKでございやす!
年度・団体【1983年・新日本】 |
カテゴリー【夢対決】 |
見出し:『IWGP公式戦で猪木と前田が唯一の一騎打ち』 |
※この試合は高3の時だから、家でリアルタイムで観ていたっけーーー(✿╹◡╹ )ノ
→ 『♦1997年の猪木・前田会談(週刊プレイボーイ) /猪木・前田会談は1997年で、当時の週刊プレイボーイ誌上に掲載されました。/前田「なぜシングルで戦ってくれなかったんですか?」/猪木「逃げてたから」(禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負 1997・集英社 佐々木徹・著 から引用)この猪木・前田会談は、当初から掲載目的の会談(実質的には対談)であり、お互いに久方ぶりの対面だったのもあって、口角泡を飛ばすような展開にはならなかった。
前田日明と密接な繋がりを持っている船木誠勝、柴田勝頼を、自身の新団体IGFへ引き込みたく(?)、猪木は前田と会談を持ったと思われます。しかし建設的な進展もなく、猪木・前田は、お互いの批判合戦となり決裂しました。以上概略という形でまとめましたが、2007年の猪木・前田会談が一番大荒れだったのでは?現役時代、感情を正直に露にすることで、我々ファンの支持を得てきた前田日明。その前田が「「プロレス界をめちゃくちゃにした」と猪木に噛み付いたのには、それなりの理由がいくつかあると思われます。それは主だったものでは以下のことではないだろうか?/1.前田の若手時代に猪木が「今はこうしたこと(=プロレス)をしているが、いずれスポーツとして恥ずかしくない戦いを実現させる」と言っていたにもかかわらず、実際のところ猪木は、アントン・ハイセルへの投資に没頭したり、猪木自身が目立ちすぎてしまったこと。/2.細かいところで言うと、藤田和之のリングス入団が内定していたのに、猪木が横やりを入れ、オジャンにしてしまったこと(藤田和之はその後、猪木事務所所属選手に)。/3.2001年に前田・リングスが低迷した際、当時の新日本プロレス社長・藤波が救いの手を伸ばすべく、前田・リングスへの選手派遣を検討するも、これまた裏で猪木が暗躍し、前田・リングスへの選手派遣が頓挫したこと。
これら以外にもまだ前田の猪木に対する怒りの理由はあるのかもしれない。とにかくこうした積もりに積もったことが前田日明の中にはあって、プロレス界~広義ではマット界ともとれる~を、猪木が「めちゃくちゃにしたんだ」というあの口論へと発展したのではないだろうか?お互い、まったくの平行線です。この先和解することはあるのでしょうか?私自身は、上記の対談では「逃げていたから」などと言ってますが、これは猪木特有のジョークでしょう。前田自身が怖かったのではなく、リング上以外の部分(いわゆる借金問題や団体の移籍問題等)で多忙だったため、前田だけを相手にしている余裕がなかったものと思っています。』
やったら前田を殺すから、とことんまでいったら、避けてんねや、
という読みがあったけど、僕は事実を知っているわけですよ。
田中正悟さんと前田日明がロイヤルホテルにいました。
誠 いました。
竹内 そのロビーに猪木が来ました。
誠 来ました。
竹内 その二人を猪木がこそっとロイヤルホテルの隅に呼んで、土下座して、
「頼むっ、対戦だけはやめてくれ」、と。
誠 (^。^) ププププ
竹内 「ホンマに真剣勝負やりたかったら他所行ってやってくれ」、と。
誠 (^○^) ギャハハハハハ
竹内 「他所にはいくらでもおる、ガチンコ受ける奴は」、と。
「俺は受けへんから」っつって土下座した、と。
誠 そうやんね。
竹内 そんな人ですよ。
だめでしょうけどネーー。
【今日のことば】「名寄岩ァ……に勝った、綾昇ィ……」――19代目式守伊之助 |
【解説】
明治の初年に一度、土俵にあがる相撲取りもシャツを着るよう規則が定められたという話がある。新しい時代を迎え、これからは、外国の人たちも相撲見物をするだろう。その際、日本人が裸で肌を見せるというのは失礼だから、何か着た方がいいだろう。そんなことから生まれた規則だったらしい。特別あつらえの大きな上下のシャツを着て、その上からまわしを締めたが、もみ合っているうちにびりびりに破けたりしてどうにもならず、すぐに元に戻されたとか。/落語家の故6代目三遊亭圓生が、あるときの高座のマクラの中で、この逸話を紹介している(三遊亭圓生『噺のまくら』より)。6代目三遊亭圓生は、非常に勉強熱心な人で、落語の噺の中に登場する地名や人名、歴史的背景についても綿密な研究や実地踏査を重ね、それまでなんとなく口伝えに伝えられてきたものの誤りを改めたこともあったというから、これも史実にもとづく逸話だったのだろう。
→『■大相撲初場所5日目=17日、東京・両国国技館「死んでもラッパを離しませんでした」。日清戦争で戦死した帝国陸軍のラッパ手、木口小平はラッパを吹きつつ突進し、死して口からラッパを離さなかったといわれる。こちら立行司、式守伊之助は土俵下に転落しても軍配を離さなかった。取り直しになった結びの一番。このところめきめきと力をつけている錦木の攻めにタジタジとなった横綱白鵬が、回り込みながら土俵際で左上手投げを放ち逆転勝ち。このとき、白鵬をよけようとした伊之助は俵に足をひっかけたのか、東のたまり席に真っ逆さま。しかし、ここからが行司魂の見せ所で、落ちながらも勝負はしっかり見届け、軍配を西の白鵬に上げた。
第41代の伊之助は、“ホモセクハラ”騒動で退職に追い込まれた前伊之助のあとを受け、7場所ぶりの立行司として今場所昇格したばかり。この日で3日連続結びで物言いがついたが、いきなり差し違えでは“進退伺”どころではない。「落ちながら、ちゃんと相撲は見ていた。痛いとかいう以前に、とにかく見てなきゃいけないんです」と、ほっとした表情で言った。/今年59歳で還暦目前。「トレーニングは欠かさない。体は30代だから大丈夫。でも、ご心配、ご迷惑をおかけしました。白熱した相撲の行司をさせてもらうのが一番。これからも心落ち着かせて、頑張ります」さすがに立行司らしいコメントで、報道陣を見事に裁いていた。』
ジョニーAのつぶやき:大相撲にリクエスト制度が採用される日も近い!?
ブログ移行期間 /TV「アナザー・ストーリーズ」
→ 『2019年2月19日(火) 午後9時00分(60分):番組内容・・・少女たちは血まみれの闘いに涙を流した!女子プロレスラー「クラッシュ・ギャルズ」。1980年代、突如現れた2人の試合は、やがて五輪で金メダル続出の女子レスリングへ!女子プロブームと最強女子レスリング日本代表との知られざるつながりが明かされる!さらに元ウィンク相田翔子、お笑い山田花子をはじめ、その闘いで「人生が変わった」という普通の女の子たちが30年を経て赤裸々証言。少女たちが闘いを求めた理由とは?
※山田花子の初々しい動画が観られた。
※動くかなたくさんを初めて観たよ~。
※いやー、いい番組でした!さすがNHKでございやす!
年度・団体【1983年・新日本】 |
カテゴリー【夢対決】 |
見出し:『IWGP公式戦で猪木と前田が唯一の一騎打ち』 |
→ 『解説:格闘王として覚醒する以前に前田は生涯一となる猪木との一騎打ちを経験。第1回IWGPリーグ戦公式戦として、高松市民文化センターで行われた。/前田はイギリス修業時代にヨーロッパヘビー級王座を獲得した実績を買われ、日本ではなく欧州代表としてエントリー。ジャーマン、ドラゴンと得意のスープレックスで追い込んだものの、直後に延髄切りを食らいピンフォール負け。UWFとして新日本にカムバックした際、再三にわたり一騎打ちを要求したが、猪木は応じなかった。』
※この試合は高3の時だから、家でリアルタイムで観ていたっけーーー(✿╹◡╹ )ノ
→ 『♦1997年の猪木・前田会談(週刊プレイボーイ) /猪木・前田会談は1997年で、当時の週刊プレイボーイ誌上に掲載されました。/前田「なぜシングルで戦ってくれなかったんですか?」/猪木「逃げてたから」(禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負 1997・集英社 佐々木徹・著 から引用)この猪木・前田会談は、当初から掲載目的の会談(実質的には対談)であり、お互いに久方ぶりの対面だったのもあって、口角泡を飛ばすような展開にはならなかった。
前田日明と密接な繋がりを持っている船木誠勝、柴田勝頼を、自身の新団体IGFへ引き込みたく(?)、猪木は前田と会談を持ったと思われます。しかし建設的な進展もなく、猪木・前田は、お互いの批判合戦となり決裂しました。以上概略という形でまとめましたが、2007年の猪木・前田会談が一番大荒れだったのでは?現役時代、感情を正直に露にすることで、我々ファンの支持を得てきた前田日明。その前田が「「プロレス界をめちゃくちゃにした」と猪木に噛み付いたのには、それなりの理由がいくつかあると思われます。それは主だったものでは以下のことではないだろうか?/1.前田の若手時代に猪木が「今はこうしたこと(=プロレス)をしているが、いずれスポーツとして恥ずかしくない戦いを実現させる」と言っていたにもかかわらず、実際のところ猪木は、アントン・ハイセルへの投資に没頭したり、猪木自身が目立ちすぎてしまったこと。/2.細かいところで言うと、藤田和之のリングス入団が内定していたのに、猪木が横やりを入れ、オジャンにしてしまったこと(藤田和之はその後、猪木事務所所属選手に)。/3.2001年に前田・リングスが低迷した際、当時の新日本プロレス社長・藤波が救いの手を伸ばすべく、前田・リングスへの選手派遣を検討するも、これまた裏で猪木が暗躍し、前田・リングスへの選手派遣が頓挫したこと。
これら以外にもまだ前田の猪木に対する怒りの理由はあるのかもしれない。とにかくこうした積もりに積もったことが前田日明の中にはあって、プロレス界~広義ではマット界ともとれる~を、猪木が「めちゃくちゃにしたんだ」というあの口論へと発展したのではないだろうか?お互い、まったくの平行線です。この先和解することはあるのでしょうか?私自身は、上記の対談では「逃げていたから」などと言ってますが、これは猪木特有のジョークでしょう。前田自身が怖かったのではなく、リング上以外の部分(いわゆる借金問題や団体の移籍問題等)で多忙だったため、前田だけを相手にしている余裕がなかったものと思っています。』
やったら前田を殺すから、とことんまでいったら、避けてんねや、
という読みがあったけど、僕は事実を知っているわけですよ。
田中正悟さんと前田日明がロイヤルホテルにいました。
誠 いました。
竹内 そのロビーに猪木が来ました。
誠 来ました。
竹内 その二人を猪木がこそっとロイヤルホテルの隅に呼んで、土下座して、
「頼むっ、対戦だけはやめてくれ」、と。
誠 (^。^) ププププ
竹内 「ホンマに真剣勝負やりたかったら他所行ってやってくれ」、と。
誠 (^○^) ギャハハハハハ
竹内 「他所にはいくらでもおる、ガチンコ受ける奴は」、と。
「俺は受けへんから」っつって土下座した、と。
誠 そうやんね。
竹内 そんな人ですよ。
だめでしょうけどネーー。
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「名寄岩ァ……に勝った、綾昇ィ……」――19代目式守伊之助 |
【解説】
明治の初年に一度、土俵にあがる相撲取りもシャツを着るよう規則が定められたという話がある。新しい時代を迎え、これからは、外国の人たちも相撲見物をするだろう。その際、日本人が裸で肌を見せるというのは失礼だから、何か着た方がいいだろう。そんなことから生まれた規則だったらしい。特別あつらえの大きな上下のシャツを着て、その上からまわしを締めたが、もみ合っているうちにびりびりに破けたりしてどうにもならず、すぐに元に戻されたとか。/落語家の故6代目三遊亭圓生が、あるときの高座のマクラの中で、この逸話を紹介している(三遊亭圓生『噺のまくら』より)。6代目三遊亭圓生は、非常に勉強熱心な人で、落語の噺の中に登場する地名や人名、歴史的背景についても綿密な研究や実地踏査を重ね、それまでなんとなく口伝えに伝えられてきたものの誤りを改めたこともあったというから、これも史実にもとづく逸話だったのだろう。
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「19代目式守伊之助」で動画検索してみました!!)
→『■大相撲初場所5日目=17日、東京・両国国技館「死んでもラッパを離しませんでした」。日清戦争で戦死した帝国陸軍のラッパ手、木口小平はラッパを吹きつつ突進し、死して口からラッパを離さなかったといわれる。こちら立行司、式守伊之助は土俵下に転落しても軍配を離さなかった。取り直しになった結びの一番。このところめきめきと力をつけている錦木の攻めにタジタジとなった横綱白鵬が、回り込みながら土俵際で左上手投げを放ち逆転勝ち。このとき、白鵬をよけようとした伊之助は俵に足をひっかけたのか、東のたまり席に真っ逆さま。しかし、ここからが行司魂の見せ所で、落ちながらも勝負はしっかり見届け、軍配を西の白鵬に上げた。
第41代の伊之助は、“ホモセクハラ”騒動で退職に追い込まれた前伊之助のあとを受け、7場所ぶりの立行司として今場所昇格したばかり。この日で3日連続結びで物言いがついたが、いきなり差し違えでは“進退伺”どころではない。「落ちながら、ちゃんと相撲は見ていた。痛いとかいう以前に、とにかく見てなきゃいけないんです」と、ほっとした表情で言った。/今年59歳で還暦目前。「トレーニングは欠かさない。体は30代だから大丈夫。でも、ご心配、ご迷惑をおかけしました。白熱した相撲の行司をさせてもらうのが一番。これからも心落ち着かせて、頑張ります」さすがに立行司らしいコメントで、報道陣を見事に裁いていた。』
ジョニーAのつぶやき:大相撲にリクエスト制度が採用される日も近い!?
ブログ移行期間 /「金村義明チャンネル」タノシィ♬
※まっちゃんはオモロイなぁーー。「星野さんのはそんなに似てないわ!」と
ガチで駄目だしするところも含めて、金村義明さんのトークと相性がいい。
時には松竹芸人の上條たけしが出ることもあって、なんじゃかんじゃで、いま
いっちゃんオモロいと思う「ユーチューブ・コンテンツ」である!
年度・団体【2000年・東京ドーム】 |
カテゴリー【引退】 |
見出し:『ヒクソンに敗れ、船木が引退。』 |
・前田氏の後輩の高田延彦と船木誠勝が、ヒクソン・グレイシーに総合格闘技で負けたことについての質問が飛んだ。前田氏は高田の実力を認めた上で、ヒクソン戦では精神的に負けていたことや、非情になり切れなかった船木の詰めの甘さを指摘。そして「あのままUWFが分裂せずに続いていたら、もっと研究を重ねて、ヒクソンを攻略できていたでしょうね」とつぶやいた。1991年に三派に分裂したUWF。前田、高田、船木、そして“組長”藤原喜明の知恵と技術を結集させていたなら…などと幻想してしまえるのも、プロレスファンならではのロマンだろう。
フライデー ヒクソン・グレイシー(400戦無敗の男)告白「私の次に強かった奴」
→『私は6人の日本人格闘家と戦ったが、日本のファンの間では、髙田延彦との戦いが印象に残っているようだね。しかし、私がファイターとして尊敬しているのは、中井祐樹であり船木誠勝だ。髙田延彦とは'97年と'98年の2度戦い、いずれも腕ひしぎ十字固めで勝利。日本格闘界の威信をへし折った。いまだから明かせるが、私は船木との試合中に、負けることはもちろん、殺されることも覚悟していた。実は、私はグラウンドでの攻防の際に船木のパンチを顔面に受けて、左の眼窩底を骨折してしまい、眼がまったく見えなくなってしまったんだ。幸い船木はこのアクシデントに気付かず、私から離れてくれた。そこで攻撃に転じ、船木を倒してチョークスリーパーで仕留めたが、あれは最大のピンチだったと言っても過言ではない。スリーパーを決めたときも、彼はギブアップしなかった。失神したために試合が終わったが、彼はギブアップするぐらいなら死を選んだに違いない。船木は間違いなく戦士であり、サムライだった。日本が誇るべき人物だよ。/2000年の船木戦を最後にリングを降りた「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシー。引退の真相、日本人選手との試合の裏側を聞いた。
船木と戦った8ヵ月後の'01年2月、私は長男を交通事故で失ったんだ。この事故で大変なショックを受けたことが、引退の大きな理由だ。その後、一度は復帰を考えた。実は(エメリヤーエンコ・)ヒョードルと戦わないか、というオファーがあり、この実現に向けて動いていた。ところが、試合の直前に足を痛めてしまった。結局ヒョードル戦は白紙となり、同時に肉体的な限界を感じるようになった。それで、引退を決意したんだ。いまは戦いの舞台からは身を引いて、世界中を回って講演活動を行っているよ。私は柔術を通じて、勝負論、精神論、心をコントロールする技術を身につけた。その経験やテクニックを一人でも多くの人に伝えたいと思っているんだ。/日本の格闘技のいまについても話しておこうか。残念ながらいまの総合格闘技の環境は、日本人格闘家にとっていいものとは言えない。UFC(アメリカを中心に流行している格闘技の大会)をはじめ、格闘技の主流は階級が細かく分類され、ラウンド毎の時間が短くなっている。
こうした試合では、技術よりフィジカルの強さがモノを言うんだ。日本の格闘家は、グラウンドなどの技術は優れているが、相手のミスをきっかけに勝負を仕掛けて勝つという傾向がある。それには長い時間が必要で、いまの3分や5分という短いラウンドでは不利なんだよ。注目している選手かい?私の次男のクロン・グレイシーだ。彼は技術面でも精神面でも優秀なファイターだ。間もなく総合格闘技の試合でもデビューすると思うが、グレイシーの名に恥じない戦いを見せてくれるはずだ。グレイシー伝説はまだまだ続くよ。』
【今日のことば】「大胆というのもいいけれど、大胆は堅実の上にはじめて成り立つものだ」――安藤百福 |
【解説】
日清食品の創業者・安藤百福が即席めんの開発に挑んだのは、終戦直後の昭和20年(1945)冬、大阪で出くわした光景が原点だったという。寒風吹きすさぶ夜、大阪駅のそばを通りかかると、屋台のラーメン屋に行列ができていた。1杯のラーメンをすするために、皆がじっと寒さに耐えて並んでいたのだった。
※まさに、「文化」を売った人でした。。。
小学館 小学館版 学習まんが人物館 「安藤百福」 まんが/田中 顕 シナリオ/水野光博
→『「平成最後の朝ドラ」となり、平均視聴率21.4%の好成績を残した『まんぷく』。実際のインスタントラーメンの生みの親として注目が集まっている安藤百福が学習まんがで登場します!
百福はなぜインスタントラーメンを発明したのでしょう?きっかけは若い頃に空腹で死にかけた経験でした。その後生涯を通じて「食」で人々を幸せにしたいと願うようになり、数々の事業を興しては失敗し、何度失敗を重ねても前を向いて進み続けました。そして辿り着いたラーメンという答え。妻の揚げる天ぷらがきっかけで、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が誕生しました。その後百福はインスタントラーメンのグローバル化を目指して「カップヌードル」を発明します。今ではインスタントラーメンは、世界で年間1000億食以上が消費されており、20世紀最大の発明ともいわれています。人生の後半に数々の偉大な発明をした百福は、「転んでもただでは起きるな」「人生に遅すぎるということはない」などの名言を残しています。考えて考えて、考え抜け――!食文化の革命に執念を燃やした男の哲学は、現代を生きる我々に前向きな希望をもたらしてくれます。』
※なるみさん、出てるやーーん。
ジョニーAのつぶやき:「まんぷく」、、、観てみよっかなぁーーーー。
ブログ移行期間 /「金村義明チャンネル」タノシィ♬
※まっちゃんはオモロイなぁーー。「星野さんのはそんなに似てないわ!」と
ガチで駄目だしするところも含めて、金村義明さんのトークと相性がいい。
時には松竹芸人の上條たけしが出ることもあって、なんじゃかんじゃで、いま
いっちゃんオモロいと思う「ユーチューブ・コンテンツ」である!
年度・団体【2000年・東京ドーム】 |
カテゴリー【引退】 |
見出し:『ヒクソンに敗れ、船木が引退。』 |
→ 『解説:“400戦無敗”のヒクソン・グレイシーを倒すUWF最後の砦とみられていたパンクラスの船木誠勝が対戦。闘うリングとして「コロシアム2000」というイベントが起ち上げられた。着流し姿で入場した船木は、日本刀を携えて決戦のリングに上がる。/パンチで左眼窩底を骨折しながらも、ヒクソンは動ぜず。チョークスリーパーで絞めると、船木はカッと目を見開いたまま失神。1ラウンド11分46秒で終戦となった。センター花道を引き揚げた船木は最後に振り返ると、「15年間ありがとうございました」と叫び、引退を表明した。』
・前田氏の後輩の高田延彦と船木誠勝が、ヒクソン・グレイシーに総合格闘技で負けたことについての質問が飛んだ。前田氏は高田の実力を認めた上で、ヒクソン戦では精神的に負けていたことや、非情になり切れなかった船木の詰めの甘さを指摘。そして「あのままUWFが分裂せずに続いていたら、もっと研究を重ねて、ヒクソンを攻略できていたでしょうね」とつぶやいた。1991年に三派に分裂したUWF。前田、高田、船木、そして“組長”藤原喜明の知恵と技術を結集させていたなら…などと幻想してしまえるのも、プロレスファンならではのロマンだろう。
フライデー ヒクソン・グレイシー(400戦無敗の男)告白「私の次に強かった奴」
→『私は6人の日本人格闘家と戦ったが、日本のファンの間では、郄田延彦との戦いが印象に残っているようだね。しかし、私がファイターとして尊敬しているのは、中井祐樹であり船木誠勝だ。郄田延彦とは'97年と'98年の2度戦い、いずれも腕ひしぎ十字固めで勝利。日本格闘界の威信をへし折った。いまだから明かせるが、私は船木との試合中に、負けることはもちろん、殺されることも覚悟していた。実は、私はグラウンドでの攻防の際に船木のパンチを顔面に受けて、左の眼窩底を骨折してしまい、眼がまったく見えなくなってしまったんだ。幸い船木はこのアクシデントに気付かず、私から離れてくれた。そこで攻撃に転じ、船木を倒してチョークスリーパーで仕留めたが、あれは最大のピンチだったと言っても過言ではない。スリーパーを決めたときも、彼はギブアップしなかった。失神したために試合が終わったが、彼はギブアップするぐらいなら死を選んだに違いない。船木は間違いなく戦士であり、サムライだった。日本が誇るべき人物だよ。/2000年の船木戦を最後にリングを降りた「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシー。引退の真相、日本人選手との試合の裏側を聞いた。
船木と戦った8ヵ月後の'01年2月、私は長男を交通事故で失ったんだ。この事故で大変なショックを受けたことが、引退の大きな理由だ。その後、一度は復帰を考えた。実は(エメリヤーエンコ・)ヒョードルと戦わないか、というオファーがあり、この実現に向けて動いていた。ところが、試合の直前に足を痛めてしまった。結局ヒョードル戦は白紙となり、同時に肉体的な限界を感じるようになった。それで、引退を決意したんだ。いまは戦いの舞台からは身を引いて、世界中を回って講演活動を行っているよ。私は柔術を通じて、勝負論、精神論、心をコントロールする技術を身につけた。その経験やテクニックを一人でも多くの人に伝えたいと思っているんだ。/日本の格闘技のいまについても話しておこうか。残念ながらいまの総合格闘技の環境は、日本人格闘家にとっていいものとは言えない。UFC(アメリカを中心に流行している格闘技の大会)をはじめ、格闘技の主流は階級が細かく分類され、ラウンド毎の時間が短くなっている。
こうした試合では、技術よりフィジカルの強さがモノを言うんだ。日本の格闘家は、グラウンドなどの技術は優れているが、相手のミスをきっかけに勝負を仕掛けて勝つという傾向がある。それには長い時間が必要で、いまの3分や5分という短いラウンドでは不利なんだよ。注目している選手かい?私の次男のクロン・グレイシーだ。彼は技術面でも精神面でも優秀なファイターだ。間もなく総合格闘技の試合でもデビューすると思うが、グレイシーの名に恥じない戦いを見せてくれるはずだ。グレイシー伝説はまだまだ続くよ。』
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「大胆というのもいいけれど、大胆は堅実の上にはじめて成り立つものだ」――安藤百福 |
【解説】
日清食品の創業者・安藤百福が即席めんの開発に挑んだのは、終戦直後の昭和20年(1945)冬、大阪で出くわした光景が原点だったという。寒風吹きすさぶ夜、大阪駅のそばを通りかかると、屋台のラーメン屋に行列ができていた。1杯のラーメンをすするために、皆がじっと寒さに耐えて並んでいたのだった。
※まさに、「文化」を売った人でした。。。
小学館 小学館版 学習まんが人物館 「安藤百福」 まんが/田中 顕 シナリオ/水野光博
→『「平成最後の朝ドラ」となり、平均視聴率21.4%の好成績を残した『まんぷく』。実際のインスタントラーメンの生みの親として注目が集まっている安藤百福が学習まんがで登場します!
百福はなぜインスタントラーメンを発明したのでしょう?きっかけは若い頃に空腹で死にかけた経験でした。その後生涯を通じて「食」で人々を幸せにしたいと願うようになり、数々の事業を興しては失敗し、何度失敗を重ねても前を向いて進み続けました。そして辿り着いたラーメンという答え。妻の揚げる天ぷらがきっかけで、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が誕生しました。その後百福はインスタントラーメンのグローバル化を目指して「カップヌードル」を発明します。今ではインスタントラーメンは、世界で年間1000億食以上が消費されており、20世紀最大の発明ともいわれています。人生の後半に数々の偉大な発明をした百福は、「転んでもただでは起きるな」「人生に遅すぎるということはない」などの名言を残しています。考えて考えて、考え抜け――!食文化の革命に執念を燃やした男の哲学は、現代を生きる我々に前向きな希望をもたらしてくれます。』
※なるみさん、出てるやーーん。
ジョニーAのつぶやき:「まんぷく」、、、観てみよっかなぁーーーー。
ブログ移行期間 /また「アンナチュラル」を観ている・・・
お腹いっぱい。ミコトさんじゃないけれど、「食べたくない時ほど、しっかり
食べなきゃ」の精神が嬉しい。どことなく木皿泉さんのドラマと同じような
テーマも感じるや~~。
→ 『女優の石原さとみ(30)が主演するTBS系連続ドラマ『アンナチュラル』(毎週金曜 後10:00)では第4話までの放送で平均視聴率2桁を維持(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、オリコンが発行する週刊エンタテインメントビジネス誌『コンフィデンス』による1月ドラマの『初回満足度ランキング』では1位になるなど支持を得ている。新井順子プロデューサー(P)いわく、その鍵を握っていたのは“M3”層(50歳以上の男性)で「こんなに観てくれているのか」と意外な客層に驚いている。新井Pと脚本の野木亜紀子氏に話を聞きながら人気の理由を探った。
■石原さとみがほぼ“すっぴん”で挑むナチュラルなキャラクター・・・同ドラマは法医解剖医の主人公・三澄ミコト(石原)ら死因究明のスペシャリストが集う「不自然死究明研究所(UDIラボ)」で働く人々の葛藤や衝突を描く人間ドラマと、ラボに運び込まれた遺体にまつわる謎解きが複合した、1話完結ミステリー。/視聴率のデータを分析すると、「ドラマを観る層は、F2(35歳~49歳の女性)、F3(50歳以上の女性)といわれる女性が中心。しかし、10%を越えるには、F1(20~34歳の女性)や男性にも観てもらえるかどうかが鍵。テンポが良く50代以上の方も観て分かりやすい作品にしようと思っていました。蓋を開けたらF1がかなり観てくれていることに加え、M3=50代男性がものすごく高い。こんなに観てくれているのかと驚くらいの高さ。F1からF3、そしてM3の4つの層に支持されている」と新井P。 支持されている理由として考えられるのは、やはり女優・石原さとみが演じる主人公・ミコトの存在だろう。「今までにない石原さとみを目指していた」という野木氏の言葉どおり、石原がこれまで演じてきたような女の子らしさを極力抑え、メイクはほぼ“すっぴん”で演技もとにかく“ナチュラル”を求めた結果、新たな魅力の開花につながった。
新井Pは「すっぴんでも色気がある。石原さんは『肩の力を抜いてやっている』と言っていましたが、ふとした時の言い方にドキッとする。あえて、クールなキャラクターを“演っている”感が出てしまうと逆効果なんですが、彼女はナチュラルですよね。石原さんのイメージといえばキラキラした笑顔が印象的な女性らしいイメージでしたが、実際にお会いしたらサバサバしたかっこいい人でした。その印象のままミコトを演じてもらっていますが、視聴者の皆さんの中でも石原さんのイメージが変わったのではないでしょうか。うまくハマったと思っています」と自信を込める。破天荒で風変わりなキャラクターは井浦新演じる中堂系が引き受け、ミコトはあくまで常識的な人間として描かれているが、無理心中で自分以外の家族を亡くした過去という影を背負った危うさも垣間見せる。そんな石原の演じるミコトに野木も「ミコトを実在するかのように自然に演じてくださっていて、想像以上に素敵で、毎話毎話すごいなと思います」と感嘆しきりだ。
■社会問題を反映させたオリジナルストーリーに隠された苦労・・・これまで『逃げるは恥だが役に立つ』や『図書館戦争』シリーズなど、原作モノの脚本化に定評のあった野木氏が紡ぐ、院内感染、集団自殺、過労死などのリアルな社会問題と、テンポの良い会話劇を織り込んだオリジナルストーリーにも引き込まれる。 野木氏は昨年中に最終話までの脚本を書き終えていたのだが、「書いたことが現実の事件として起きてしまう」という偶然も。「ヒヤヒヤする。実際に人が亡くなっている事件もあるので、複雑な心境です」(野木氏)とデリケートな部分だけに頭を悩ませることもある。 /綿密に練られたストーリーを裏付けるべく法医学のみならず、回によって例えば感染症、弁護士、物理学などさまざまな専門家に取材や相談をして整合性が保たれるように努めた。野木氏は「一回書いては専門家に見せて返事を待ち、その間に『こっちの先生はこういってるけどこっちの先生は…』みたいなことも。すべてを成立させつつドラマとして面白い着地点を探すのが大変です」。/生みの苦しみは計り知れないが、野木氏の向上心には新井Pも脱帽するばかり。「野木さんはあきらめない。時間がなくてもそれに負けない。『なにかあるはずだ!』と考え続ける。例えば2つ、3つある展開で、さらにもう1つひっくり返したい、と粘って、粘り勝ちすることもある。初稿の段階で完成度が高いのですが、それで納得しないところもあって。どこまで上を目指す人なんだと…(笑)」(新井P)。 /派手な手術や事故のシーンはないが、これまでの“医療モノ”の枠にとどまらない新しいジャンルのドラマとしてどのような結末を迎えるのか…後半の展開にも期待したい。』
年度・団体【1989年・新日本】 |
カテゴリー【大会】 |
見出し:『猪木がチョチョシビリに雪辱。ハシミコフがIWGP王者に。』 |
※猪木VSチョチョシビリ、猪木の負けた初戦の動画はあれど、勝った試合の
動画は見つかんなかったよ~~~~ぅ。
【今日のことば】「栗子てふ山の岩根を一すじに 貫きてこそ道となりけり」――三島通庸(ミシマミチツネ) |
【解説】
「善は急げ」というが「急がば回れ」ともいう。「初志貫徹」というけれど、「臨機応変」や「君子豹変す」ということばもある。そんな言い方で、子どもの私に、ものごとには多様な見方があり、考え方次第で裏表両面があることを教えてくれたのは、小学校教師の父であった。はじめ真意がよくわからなかったが、次第にその意味するところが理解できるようになった。
→『■内容紹介:神か鬼か―幕末から明治への時代、この国の近代を力業で切りひらいた≪薩摩隼人≫の生涯を描く。薩摩での少青年期を幕末の変革の中で生き、維新とともに東北・関東にかけて道路をひらき市街地をつくり、その一方で自由民権運動を徹底して弾圧した。その男の描く国の姿は?
■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 307ページ /出版社 鉱脈社 /言語 日本語 /SBN-10: 4860615344 ISBN-13: 978-4860615345 /発売日 2014/3/31 /梱包サイズ 18.8 x 12.8 x 2.2 cm /おすすめ度:記載なし』
ブログ移行期間 /また「アンナチュラル」を観ている・・・
お腹いっぱい。ミコトさんじゃないけれど、「食べたくない時ほど、しっかり
食べなきゃ」の精神が嬉しい。どことなく木皿泉さんのドラマと同じような
テーマも感じるや~~。
→ 『女優の石原さとみ(30)が主演するTBS系連続ドラマ『アンナチュラル』(毎週金曜 後10:00)では第4話までの放送で平均視聴率2桁を維持(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、オリコンが発行する週刊エンタテインメントビジネス誌『コンフィデンス』による1月ドラマの『初回満足度ランキング』では1位になるなど支持を得ている。新井順子プロデューサー(P)いわく、その鍵を握っていたのは“M3”層(50歳以上の男性)で「こんなに観てくれているのか」と意外な客層に驚いている。新井Pと脚本の野木亜紀子氏に話を聞きながら人気の理由を探った。
■石原さとみがほぼ“すっぴん”で挑むナチュラルなキャラクター・・・同ドラマは法医解剖医の主人公・三澄ミコト(石原)ら死因究明のスペシャリストが集う「不自然死究明研究所(UDIラボ)」で働く人々の葛藤や衝突を描く人間ドラマと、ラボに運び込まれた遺体にまつわる謎解きが複合した、1話完結ミステリー。/視聴率のデータを分析すると、「ドラマを観る層は、F2(35歳~49歳の女性)、F3(50歳以上の女性)といわれる女性が中心。しかし、10%を越えるには、F1(20~34歳の女性)や男性にも観てもらえるかどうかが鍵。テンポが良く50代以上の方も観て分かりやすい作品にしようと思っていました。蓋を開けたらF1がかなり観てくれていることに加え、M3=50代男性がものすごく高い。こんなに観てくれているのかと驚くらいの高さ。F1からF3、そしてM3の4つの層に支持されている」と新井P。 支持されている理由として考えられるのは、やはり女優・石原さとみが演じる主人公・ミコトの存在だろう。「今までにない石原さとみを目指していた」という野木氏の言葉どおり、石原がこれまで演じてきたような女の子らしさを極力抑え、メイクはほぼ“すっぴん”で演技もとにかく“ナチュラル”を求めた結果、新たな魅力の開花につながった。
新井Pは「すっぴんでも色気がある。石原さんは『肩の力を抜いてやっている』と言っていましたが、ふとした時の言い方にドキッとする。あえて、クールなキャラクターを“演っている”感が出てしまうと逆効果なんですが、彼女はナチュラルですよね。石原さんのイメージといえばキラキラした笑顔が印象的な女性らしいイメージでしたが、実際にお会いしたらサバサバしたかっこいい人でした。その印象のままミコトを演じてもらっていますが、視聴者の皆さんの中でも石原さんのイメージが変わったのではないでしょうか。うまくハマったと思っています」と自信を込める。破天荒で風変わりなキャラクターは井浦新演じる中堂系が引き受け、ミコトはあくまで常識的な人間として描かれているが、無理心中で自分以外の家族を亡くした過去という影を背負った危うさも垣間見せる。そんな石原の演じるミコトに野木も「ミコトを実在するかのように自然に演じてくださっていて、想像以上に素敵で、毎話毎話すごいなと思います」と感嘆しきりだ。
■社会問題を反映させたオリジナルストーリーに隠された苦労・・・これまで『逃げるは恥だが役に立つ』や『図書館戦争』シリーズなど、原作モノの脚本化に定評のあった野木氏が紡ぐ、院内感染、集団自殺、過労死などのリアルな社会問題と、テンポの良い会話劇を織り込んだオリジナルストーリーにも引き込まれる。 野木氏は昨年中に最終話までの脚本を書き終えていたのだが、「書いたことが現実の事件として起きてしまう」という偶然も。「ヒヤヒヤする。実際に人が亡くなっている事件もあるので、複雑な心境です」(野木氏)とデリケートな部分だけに頭を悩ませることもある。 /綿密に練られたストーリーを裏付けるべく法医学のみならず、回によって例えば感染症、弁護士、物理学などさまざまな専門家に取材や相談をして整合性が保たれるように努めた。野木氏は「一回書いては専門家に見せて返事を待ち、その間に『こっちの先生はこういってるけどこっちの先生は…』みたいなことも。すべてを成立させつつドラマとして面白い着地点を探すのが大変です」。/生みの苦しみは計り知れないが、野木氏の向上心には新井Pも脱帽するばかり。「野木さんはあきらめない。時間がなくてもそれに負けない。『なにかあるはずだ!』と考え続ける。例えば2つ、3つある展開で、さらにもう1つひっくり返したい、と粘って、粘り勝ちすることもある。初稿の段階で完成度が高いのですが、それで納得しないところもあって。どこまで上を目指す人なんだと…(笑)」(新井P)。 /派手な手術や事故のシーンはないが、これまでの“医療モノ”の枠にとどまらない新しいジャンルのドラマとしてどのような結末を迎えるのか…後半の展開にも期待したい。』
※石原さとみ劇場、、、。いや、三澄ミコトさん劇場、だな。
年度・団体【1989年・新日本】 |
カテゴリー【大会】 |
見出し:『猪木がチョチョシビリに雪辱。ハシミコフがIWGP王者に。』 |
→ 『解説:一か月前の東京ドームで異種格闘技戦初黒星を喫した猪木が、大阪城ホールにてチョチョシビリへ雪辱。サルマン・ハシミコフはベイダーからベルト奪取。』
※猪木VSチョチョシビリ、猪木の負けた初戦の動画はあれど、勝った試合の
動画は見つかんなかったよ~~~~ぅ。
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「栗子てふ山の岩根を一すじに 貫きてこそ道となりけり」――三島通庸(ミシマミチツネ) |
【解説】
「善は急げ」というが「急がば回れ」ともいう。「初志貫徹」というけれど、「臨機応変」や「君子豹変す」ということばもある。そんな言い方で、子どもの私に、ものごとには多様な見方があり、考え方次第で裏表両面があることを教えてくれたのは、小学校教師の父であった。はじめ真意がよくわからなかったが、次第にその意味するところが理解できるようになった。
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「三島通庸」で動画検索してみました!!)
→『■内容紹介:神か鬼か―幕末から明治への時代、この国の近代を力業で切りひらいた≪薩摩隼人≫の生涯を描く。薩摩での少青年期を幕末の変革の中で生き、維新とともに東北・関東にかけて道路をひらき市街地をつくり、その一方で自由民権運動を徹底して弾圧した。その男の描く国の姿は?
■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 307ページ /出版社 鉱脈社 /言語 日本語 /SBN-10: 4860615344 ISBN-13: 978-4860615345 /発売日 2014/3/31 /梱包サイズ 18.8 x 12.8 x 2.2 cm /おすすめ度:記載なし』
ブログ移行期間 /タラちゃん最新映画予告Σ('◉⌓◉’)
→ 『レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが初共演を果たしたクエンティン・タランティーノ監督最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の最新予告編が公開された。/フランスで開催中の第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、タランティーノ作品としては「パルプ・フィクション」(1994)以来の最高賞パルム・ドールも期待されている本作。監督が育った1969年のロサンゼルスを舞台に、いまや失われた黄金期時代の匂いが残るハリウッドへの郷愁とリスペクトを込め、5年の歳月を費やして脚本を執筆したという。
主人公は、ハリウッドで俳優として再び栄光を取り戻そうとしているテレビの西部劇俳優リック・ダルトン(ディカプリオ)と、長年彼のスタントマンを務めているクリフ・ブース(ピット)。予告編では、「演技」を求められても応えられずに追い詰められる落ち目のダルトンと、その傍らスタントマンとして軽口をたたきながらもリックを励ますクリフの姿が映し出される。かつて「ファイト・クラブ」(1999)でも披露していたピットの肉体美は、55歳の今も健在。まさにそ「ファイト・クラブ」でもコピーしていた、伝説のアクションスター、ブルース・リーとのファイトシーンにも注目だ。リー役を務めるマイク・モーの再現度にも期待がかかる。
さらに「スーサイド・スクワッド」のマーゴット・ロビーが演じる女優シャロン・テートや、実際にシャロン・テート殺害事件を起こしたカルト集団とそのリーダーであるチャールズ・マンソン(デイモン・ヘリマン)など、あのころのハリウッドにいた人々が次々に登場。「この街では─何もかもが一瞬で変わってしまう」という意味深なリックのセリフは、華やかな世界を生む出す一方、惨劇も生まれ得る、ハリウッドの光と影を暗示しているかのようだ。現代に撮影されたとは思えない1969年のハリウッド大通りなど、豪華俳優のアンサンブル、物語、そして美術や衣装にいたるまで、まさに当時の空気を詰め込んだ新作となりそうだ。(編集部・入倉功一)』
※ワクワクするなぁー。これ観るまでは死ねまっしぇ~~~ん。
年度・団体【1963年・日プロ】 |
カテゴリー【快挙】 |
見出し:『力道山×デストロイヤーでプロレス史上最高視聴率64%』 |
→ 『ザ・デストロイヤーの必殺技「4の字固め」を天井裏から撮影に成功したのがスポニチ写真部の宮崎仁一郎カメラマン(当時)。プロレス中継のリングサイドからの映像を見てもその形がはっきり分からない。
宮崎氏は「4の字がはっきり分かる位置はないか」と天井裏に忍び込み撮影に成功。照明器具の放つ熱でリングに大粒の汗を落としながらにシャッターを切った。』
※いやぁー、実に味わい深い一枚の写真である!
【今日のことば】「それでもな、この写真は見えるんじゃ。な、ほら、まん中のこれが先生じゃろ、その前にうらと竹一と仁太が並んどる。先生の右のこれがマアちゃんで、こっちが富士子じゃ。マッちゃんが左の小指を一本にぎり残して、手をくんどる」――壺井栄 |
【解説】
瀬戸内の海べりの一寒村を舞台に、新任の女性教師・大石先生と12人の教え子たちとのふれあいを描きながら、戦争の悲惨さを訴えた壺井栄の名作『二十四の瞳』。
ザ・テレビジョン 「二十四の瞳」放送当日! 松下奈緒が語る平成版“おなご先生”の魅力とは?2013/08/04
→『8月4日(日)、松下奈緒が戦時下の香川・小豆島で強く生きた“おなご先生”大石久子を演じるドラマスペシャル「二十四の瞳」(テレビ朝日系)が放送される。
同ドラマは、壺井栄の同名小説が原作で、'54年に公開された木下惠介監督による映画版をはじめ、これまでさまざまな監督やスタッフの手によって映像化されてきた傑作。昭和初期の香川・小豆島を舞台に、師範学校を卒業したばかりの女性教師・久子(松下)と12人の生徒たちの“心の交流”を描く。松下が、22歳の明るく朗らかな新任教師時代から夫や娘を亡くし再び教壇に立つ40歳まで、ヒロインの激動の半生を演じる。共演は玉山鉄二、桜庭ななみ、中村梅雀、濱田岳、吉行和子、柄本明ら。また、'80年にフジテレビ系で放送されたテレビアニメ版「二十四の瞳」で、久子の声を担当した倍賞千恵子がナレーションを務める。』