ブログ移行期間 /アニメ『茄子~』

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eiga.com 茄子 アンダルシアの夏
→『■解説:南スペイン、アンダルシアの酷暑の中、世界3大自転車レースに参加するぺぺの1日に、レースの駆け引きや熱狂に加え、青年の夢と焦燥をも盛り込んだ47分。「千と千尋の神隠し」で作画監督を務めた監督・脚本の高坂希太郎は、自身もアマチュアレースでトップクラスの成績を持つ自転車レーサー。原作は黒田硫黄の連作コミック「茄子」中の一編。エンディング・テーマは、やはり自転車好きで知られる忌野清志郎の「自転車ショー歌」。
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■スタッフ:/監督 高坂希太郎 /エグゼクティブプロデューサー 椎名保 /プロデューサー 丸山正雄 /原作 黒田硫黄 /脚本 高坂希太郎 /美術監督 田中直哉 /撮影監督 白井久男 岸克芳 /編集 瀬山武司 /音響監督 三間雅文 /効果 倉橋静男 /音楽 本多俊之 /エンディングテーマ 忌野清志郎 /アニメーション制作 マッドハウス
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■キャスト:大泉洋(ペペ) 小池栄子カルメン) 筧利夫アンヘル) 平野稔(エルナンデス) 緒方愛香(リベラおじさん) 平田広明(フランキー) 坂口芳貞(監督) 羽鳥慎一(実況アナウンサー) 市川雅敏(解説者)
■作品データ:/製作年 2003年 /製作国 日本 /配給 アスミック・エース /上映時間 47分』
※『若女将は小学生』の監督さんが、かつて創っていた作品を観るー。
自転車のリアルな描写に凝りまくった、趣味全開の作品だったよ~。

●予告編

※監督は「水曜どうでしょう」の大ファンで主演声優に大泉洋さんを抜擢
した模様~~~w

宇宙、日本、練馬 2018-10-08 言葉なしに弔う――『茄子 スーツケースの渡り鳥』感想
黒田硫黄の短編連作「茄子」中の一篇をアニメ化。先だってアニメ映画として制作・公開された『茄子 アンダルシアの夏』の、4年越しでの続編。舞台を日本、ジャパンカップサイクルロードレースに移し、ロードレーサーたちの悲哀と矜持を描く。「アンダルシアの夏」も、原作の描写を掘り下げディティールを補強していたが、この『スーツケースの渡り鳥』はさらに大胆に、アニメ独自の要素を加え、原作の精神性を保持しつつ、また違った印象を残す作品になっている。
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  おおよそ、小説の実写化やら漫画のアニメ化など、他メディアへのアダプテーションは、原作への批評として読まれることを宿命づけられる。そしてこの『スーツケースの渡り鳥』もまた原作へのある種の批評として読むことができる。原作における謎に、アニメ独自の答えを出した、という意味において。その謎とは即ち、「朴念仁」と形容される寡黙な名選手、ザンコーニがレースを途中で放棄した理由であり、この答えは原作のどこにも明確に描き込まれてないがために、アニメ化に際し強烈な補助線が引かれなければならなかった。その補助線とはすなわち、ある名選手の自死であり、この補助線によって、作品の纏う雰囲気は原作と一線を画している、といっても過言ではなかろう。

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黒田硫黄さんの原作漫画にも興味津々♬)

  この補助線によって、唐突な他者の死に、いかに人間は向かい合うのか、という問いを登場人物たちに付きつけ、ある種の弔いの物語の色調を帯びる。それが「プロとはなにか/プロとしていかに生きるか」という『アンダルシアの夏』でも問われた主題と絶妙に響きあい、この『スーツケースの渡り鳥』という作品の主題系を成す。

●自転車ショー歌


  とはいえ、そうした他者への弔いという主題は、作品がまさにその人物の死で幕が開くにもかかわらず、それほど前景化するわけでもない。それは一つはサイクルロードレースそれ自体の強烈な魅力によって、極めて優れたスポーツアクションアニメとして成立しているがゆえに、あくまで死者をめぐる問いはその後景に退くからでもあり、そして何より、男たちの弔いは言葉なしに行われるからでもある。ここで、なぜザンコーニという圧倒的な実力をもつ男が、中途棄権という形でレースを終えなければならなかったかという、原作の謎への回答めいたものがさしあたって与えられることになる。自死という形で人生を中途で降りた戦友に捧げる勝利は、このような形での達成されざる勝利こそ相応しい。あのまぼろしの勝利の瞬間に差す光を、死者からの応答と読むのは牽強付会のそしりを免れないかもしれないが、あのゴールの瞬間に訪れた彼岸と此岸を超越した奇妙な時間は、無言の祈りが死者と邂逅したがゆえに、そうした雰囲気を纏いえたのではなかろうか。

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  戦友の死にそうした勝利を捧げたザンコーニに対して、死者と同郷の友人同士であったチョッチは、彼とは違い、勝利を死者に手向けたりはしなかった。チョッチはザンコーニほど寡黙ではないが、死者への弔いについて、彼も多くは語らない。ただ、勝つために走り続けること、これからも死者とともに過ごした時間の厳しさの手触りを忘れず、プロであろうとすること。そうした無言の弔いによって、この弔いの物語は終わり、そして終わりのみえないプロの旅は続く。』

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※どことなく、ルパンと次元の趣きを感じる。。。




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月30日(木)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1983年・新日本】
カテゴリー【夢対決】
見出し:『超異色対決 前田×ホーガン』
『解説:5-21大分で実現したIWGPリーグ公式戦はホーガンの勝利。千葉公園体育館では特別試合として再戦が組まれテレビ中継されるも、超人が返り討ちに。9日間で2度も実現していた。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

WWF 1983 Japan - Hulk Hogan vs Akira Maeda


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ハルク・ホーガン入場テーマ(新日本版)「ギャラクティカ


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※「イチバ~~~ン!」の雄叫びがしっくりハマるレスラーでしたン。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「人はえらい人から凡俗まで曲りそうになる心をためなおして行くものであろう。それがえらい人のははたから見ればいつも真直(まっすぐ)に見える」――森鴎外

【解説】
明治の文豪としてしばしば夏目漱石と並び称される森鴎外が、大正10年(1921)11月15日付で、妻のしげ子あてに出した手紙の中の一節である。

人間というのは、いつもなんの迷いもなく、正しくあるべき姿を貫けるものではない。さまざまな欲望や損得勘定にとらわれたり、外からの誘惑もあったりして、ふと過ちをおかしてしまう恐れも、往々にしてある。あるいは、逆風を受けつづけていると、知らず知らずのうちに、性格や生き方が、いじけたり、ねじ曲がったりしてしまうこともあり得るだろう。そういう自己の姿勢を、ことあるごとに自分自身で意識して正していく。人生とはその繰り返しであると、鴎外は述べている。周囲からは、そんなこととは無縁のように見える偉い人でも、同じことをしているというのである。

念のため付け加えておくと、掲出のことばの「ためなおす」は「矯め直す」であり「矯正する」の意。この手紙を書いたとき、鴎外は齢59。軍医総監にまでのぼりつめた陸軍はすでに辞したものの、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任ぜられ、数年前から毎秋、正倉院曝涼のため奈良へ出張するのが習わしとなっていた。その奈良から、18歳年下の妻へと手紙をしたためたわけなのだ。鴎外は、こうも書いている。「大臣になるような世わたり上手はその真直に見える外かわだけに骨を折る。真直に見えるように心からしあげるのが真の人物であろう」

外側のお体裁だけを整えて要領よく出世し嬉々としているような世渡り上手は、鴎外の目から見ればお笑い種でしかない。まして、昨今は、その「外かわ」さえまっすぐに見せることができず、スキャンダルを巻き起こす大臣や国会議員が少なくないのだから困る。さて、同じ手紙の中で、鴎外は、どうやって自分を立て直せばいいかというところにも言及している。すなわち、「曲るものをためなおす定木(じょうぎ)は仏法でも西洋哲学でもなんでも好い、ただ香をたいて安坐していても好い」

要は、ひとつの基準のようなものを持って、自分自身で自分をしっかりと見つめ直すことしかないということであろう。鴎外はこの翌年、60歳で病没した。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「鴎外」「世渡り」で動画検索してみました!!)

●読書の秋 文豪・森鴎外を考える



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ジョニーAのつぶやき:「乃木坂浪漫」はいいコンテンツっすよなぁーーーー。

ブログ移行期間 /アニメ『茄子~』

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eiga.com 茄子 アンダルシアの夏

→『■解説:南スペイン、アンダルシアの酷暑の中、世界3大自転車レースに参加するぺぺの1日に、レースの駆け引きや熱狂に加え、青年の夢と焦燥をも盛り込んだ47分。「千と千尋の神隠し」で作画監督を務めた監督・脚本の高坂希太郎は、自身もアマチュアレースでトップクラスの成績を持つ自転車レーサー。原作は黒田硫黄の連作コミック「茄子」中の一編。エンディング・テーマは、やはり自転車好きで知られる忌野清志郎の「自転車ショー歌」。

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■スタッフ:/監督 高坂希太郎 /エグゼクティブプロデューサー 椎名保 /プロデューサー 丸山正雄 /原作 黒田硫黄 /脚本 高坂希太郎 /美術監督 田中直哉 /撮影監督 白井久男 岸克芳 /編集 瀬山武司 /音響監督 三間雅文 /効果 倉橋静男 /音楽 本多俊之 /エンディングテーマ 忌野清志郎 /アニメーション制作 マッドハウス

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■キャスト:大泉洋(ペペ) 小池栄子カルメン) 筧利夫アンヘル) 平野稔(エルナンデス) 緒方愛香(リベラおじさん) 平田広明(フランキー) 坂口芳貞(監督) 羽鳥慎一(実況アナウンサー) 市川雅敏(解説者)

■作品データ:/製作年 2003年 /製作国 日本 /配給 アスミック・エース /上映時間 47分』

※『若女将は小学生』の監督さんが、かつて創っていた作品を観るー。

自転車のリアルな描写に凝りまくった、趣味全開の作品だったよ~。


●予告編


※監督は「水曜どうでしょう」の大ファンで主演声優に大泉洋さんを抜擢

した模様~~~w


宇宙、日本、練馬 2018-10-08 言葉なしに弔う――『茄子 スーツケースの渡り鳥』感想

黒田硫黄の短編連作「茄子」中の一篇をアニメ化。先だってアニメ映画として制作・公開された『茄子 アンダルシアの夏』の、4年越しでの続編。舞台を日本、ジャパンカップサイクルロードレースに移し、ロードレーサーたちの悲哀と矜持を描く。「アンダルシアの夏」も、原作の描写を掘り下げディティールを補強していたが、この『スーツケースの渡り鳥』はさらに大胆に、アニメ独自の要素を加え、原作の精神性を保持しつつ、また違った印象を残す作品になっている。

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  おおよそ、小説の実写化やら漫画のアニメ化など、他メディアへのアダプテーションは、原作への批評として読まれることを宿命づけられる。そしてこの『スーツケースの渡り鳥』もまた原作へのある種の批評として読むことができる。原作における謎に、アニメ独自の答えを出した、という意味において。その謎とは即ち、「朴念仁」と形容される寡黙な名選手、ザンコーニがレースを途中で放棄した理由であり、この答えは原作のどこにも明確に描き込まれてないがために、アニメ化に際し強烈な補助線が引かれなければならなかった。その補助線とはすなわち、ある名選手の自死であり、この補助線によって、作品の纏う雰囲気は原作と一線を画している、といっても過言ではなかろう。


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黒田硫黄さんの原作漫画にも興味津々♬)


  この補助線によって、唐突な他者の死に、いかに人間は向かい合うのか、という問いを登場人物たちに付きつけ、ある種の弔いの物語の色調を帯びる。それが「プロとはなにか/プロとしていかに生きるか」という『アンダルシアの夏』でも問われた主題と絶妙に響きあい、この『スーツケースの渡り鳥』という作品の主題系を成す。


●自転車ショー歌



  とはいえ、そうした他者への弔いという主題は、作品がまさにその人物の死で幕が開くにもかかわらず、それほど前景化するわけでもない。それは一つはサイクルロードレースそれ自体の強烈な魅力によって、極めて優れたスポーツアクションアニメとして成立しているがゆえに、あくまで死者をめぐる問いはその後景に退くからでもあり、そして何より、男たちの弔いは言葉なしに行われるからでもある。ここで、なぜザンコーニという圧倒的な実力をもつ男が、中途棄権という形でレースを終えなければならなかったかという、原作の謎への回答めいたものがさしあたって与えられることになる。自死という形で人生を中途で降りた戦友に捧げる勝利は、このような形での達成されざる勝利こそ相応しい。あのまぼろしの勝利の瞬間に差す光を、死者からの応答と読むのは牽強付会のそしりを免れないかもしれないが、あのゴールの瞬間に訪れた彼岸と此岸を超越した奇妙な時間は、無言の祈りが死者と邂逅したがゆえに、そうした雰囲気を纏いえたのではなかろうか。


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  戦友の死にそうした勝利を捧げたザンコーニに対して、死者と同郷の友人同士であったチョッチは、彼とは違い、勝利を死者に手向けたりはしなかった。チョッチはザンコーニほど寡黙ではないが、死者への弔いについて、彼も多くは語らない。ただ、勝つために走り続けること、これからも死者とともに過ごした時間の厳しさの手触りを忘れず、プロであろうとすること。そうした無言の弔いによって、この弔いの物語は終わり、そして終わりのみえないプロの旅は続く。』


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※どことなく、ルパンと次元の趣きを感じる。。。





☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日5月30日(木)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1983年・新日本】
カテゴリー【夢対決】
見出し:『超異色対決 前田×ホーガン』

『解説:5-21大分で実現したIWGPリーグ公式戦はホーガンの勝利。千葉公園体育館では特別試合として再戦が組まれテレビ中継されるも、超人が返り討ちに。9日間で2度も実現していた。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


WWF 1983 Japan - Hulk Hogan vs Akira Maeda



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ハルク・ホーガン入場テーマ(新日本版)「ギャラクティカ



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※「イチバ~~~ン!」の雄叫びがしっくりハマるレスラーでしたン。


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「人はえらい人から凡俗まで曲りそうになる心をためなおして行くものであろう。それがえらい人のははたから見ればいつも真直(まっすぐ)に見える」――森鴎外


【解説】

明治の文豪としてしばしば夏目漱石と並び称される森鴎外が、大正10年(1921)11月15日付で、妻のしげ子あてに出した手紙の中の一節である。


人間というのは、いつもなんの迷いもなく、正しくあるべき姿を貫けるものではない。さまざまな欲望や損得勘定にとらわれたり、外からの誘惑もあったりして、ふと過ちをおかしてしまう恐れも、往々にしてある。あるいは、逆風を受けつづけていると、知らず知らずのうちに、性格や生き方が、いじけたり、ねじ曲がったりしてしまうこともあり得るだろう。そういう自己の姿勢を、ことあるごとに自分自身で意識して正していく。人生とはその繰り返しであると、鴎外は述べている。周囲からは、そんなこととは無縁のように見える偉い人でも、同じことをしているというのである。


念のため付け加えておくと、掲出のことばの「ためなおす」は「矯め直す」であり「矯正する」の意。この手紙を書いたとき、鴎外は齢59。軍医総監にまでのぼりつめた陸軍はすでに辞したものの、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任ぜられ、数年前から毎秋、正倉院曝涼のため奈良へ出張するのが習わしとなっていた。その奈良から、18歳年下の妻へと手紙をしたためたわけなのだ。鴎外は、こうも書いている。「大臣になるような世わたり上手はその真直に見える外かわだけに骨を折る。真直に見えるように心からしあげるのが真の人物であろう」


外側のお体裁だけを整えて要領よく出世し嬉々としているような世渡り上手は、鴎外の目から見ればお笑い種でしかない。まして、昨今は、その「外かわ」さえまっすぐに見せることができず、スキャンダルを巻き起こす大臣や国会議員が少なくないのだから困る。さて、同じ手紙の中で、鴎外は、どうやって自分を立て直せばいいかというところにも言及している。すなわち、「曲るものをためなおす定木(じょうぎ)は仏法でも西洋哲学でもなんでも好い、ただ香をたいて安坐していても好い」


要は、ひとつの基準のようなものを持って、自分自身で自分をしっかりと見つめ直すことしかないということであろう。鴎外はこの翌年、60歳で病没した。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「鴎外」「世渡り」で動画検索してみました!!)


●読書の秋 文豪・森鴎外を考える




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ジョニーAのつぶやき:「乃木坂浪漫」はいいコンテンツっすよなぁーーーー。

ブログ移行期間 /ブログ移行ツール提供開始は・・・

★ブログ移行ツールの提供開始が6/4からと発表された。とりあえずホッと
はしたが・・・。いやいや、まだ安心はできない。完全移行できない何らかの
障壁がいろいろと付いてきそうで仕方ないのだ・・・。

☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月29日(水)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2016年・DDT】
カテゴリー【快挙】
見出し:『竹下幸之介が21歳の誕生日にKOーD初奪取』
『解説:12年、高校在学中にデビューし日体大へ通いつつリングに上がっていた竹下。後楽園で佐々木大輔を破り、KOーD無差別級王座を史上最年少戴冠。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●プロレス 闘魂 竹下 幸之介「2億万年に1人の逸材」


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●竹下 幸之介入場テーマ


☆いやー、なんだかんだで、「DDT」で動画検索していて、普通に
男女入り乱れて闘っているのが新鮮だった。(里村、チャンピオンになってるんだーー)

●KO-D6人タッグ 竹下&彰人&飯野 vs 里村&橋本&チサコ


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※男性の肉体に打ち克つ説得力があらぁな~~~。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「本村住民は三蔵の名を命名するを得ず」――山形県最上郡金山村村会

【解説】
滋賀県の琵琶湖の南西側に大津という町がある。明治24年(1891)5月、この大津にロシアからの賓客がやってきた。皇太子のニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、ウラジオストックでのシベリア鉄道起工式に出席する途次、7隻の軍艦を率いて極東を巡遊。日本に立ち寄り、京都から奈良への旅程の中で琵琶湖遊覧のひとときを楽しもうと、大津へ差しかかったのである。

その大津で、とんでもない事件が起きた。ロシア皇太子の警護の任に当たっていた巡査の津田三蔵が、突然に帯剣を引き抜き皇太子めがけて斬りつけたのだ。皇太子の命に別状はなかったが、頭部に負傷をおった。津田は、「ロシア皇太子の来日は日本侵略への足がかり」とする風聞を信じ込み、凶行に及んだという。周辺への権益拡大を目論むロシアを脅威と受けとめる「恐露病」は、日本全体に蔓延しはじめていた。

警察官による他国皇太子の暗殺未遂(傷害事件)という予想だにしない出来事に、日本中が大騒ぎとなった。天皇は京都に行幸してロシア皇太子を見舞い、政府は司法に対し犯人への死刑宣告を求めた。閣僚の中には、政府が刺客を放って犯人の津田を暗殺し、病死したことにせよ、と主張する者もいた。かと思えば、一命を捧げて詫びることで国家の危機を救おうと、自らの命を絶ってしまう一般女性まであらわれた。

このような混乱した世情の中で、政府の圧力にも屈することなく、司法の独立を気概をもって守り通したのが大審院長の児島惟謙(こじま・いけん)だった。児島は傷害事件をもって死刑を宣告するのは法を逸脱するとして、犯人の津田三蔵に無期懲役の判決を言い渡したのである。はじめ津田への極刑を求めていた一般世論も、法を曲げようとする政府の横暴に反発して「津田三蔵は志士。殺してはならぬ」という方向へ傾き、児島の判決を支持したという。

そうしたせめぎ合いの傍らで、的外れな動きもあった。それが、山形県最上郡金山村村会によって決議された掲出の条例。つまりは、金山村の住民は自分の子どもに「三蔵」という名をつけてはいけない、と取り決めたのである。なんととぼけた条例か。これも当時の日本の混乱ぶりの一端を示すものであろう。この事件そのものから、ただちに国家間の対立が先鋭化することはなかったが、結局、両国の戦闘は避けられなかった。事件から13年の時を経た明治37年(1904)、とうとう日露戦争が勃発するのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ニコライ」「日露戦争」で動画検索してみました!!)

日露戦争が2分で分かる動画

※肝心のとこがワカランw

日露戦争に翻弄された二人の壮大な愛の物語/映画『ソローキンの見た桜』予告編


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ジョニーAのつぶやき:動画がきちんと移行できるブログって無さそうな気がするんだが、、、どうなるのやら。

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はしたが・・・。いやいや、まだ安心はできない。完全移行できない何らかの

障壁がいろいろと付いてきそうで仕方ないのだ・・・。


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年度・団体【2016年・DDT】
カテゴリー【快挙】
見出し:『竹下幸之介が21歳の誕生日にKOーD初奪取』

『解説:12年、高校在学中にデビューし日体大へ通いつつリングに上がっていた竹下。後楽園で佐々木大輔を破り、KOーD無差別級王座を史上最年少戴冠。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●プロレス 闘魂 竹下 幸之介「2億万年に1人の逸材」



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●竹下 幸之介入場テーマ



☆いやー、なんだかんだで、「DDT」で動画検索していて、普通に

男女入り乱れて闘っているのが新鮮だった。(里村、チャンピオンになってるんだーー)


●KO-D6人タッグ 竹下&彰人&飯野 vs 里村&橋本&チサコ



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※男性の肉体に打ち克つ説得力があらぁな~~~。


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「本村住民は三蔵の名を命名するを得ず」――山形県最上郡金山村村会


【解説】

滋賀県の琵琶湖の南西側に大津という町がある。明治24年(1891)5月、この大津にロシアからの賓客がやってきた。皇太子のニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、ウラジオストックでのシベリア鉄道起工式に出席する途次、7隻の軍艦を率いて極東を巡遊。日本に立ち寄り、京都から奈良への旅程の中で琵琶湖遊覧のひとときを楽しもうと、大津へ差しかかったのである。


その大津で、とんでもない事件が起きた。ロシア皇太子の警護の任に当たっていた巡査の津田三蔵が、突然に帯剣を引き抜き皇太子めがけて斬りつけたのだ。皇太子の命に別状はなかったが、頭部に負傷をおった。津田は、「ロシア皇太子の来日は日本侵略への足がかり」とする風聞を信じ込み、凶行に及んだという。周辺への権益拡大を目論むロシアを脅威と受けとめる「恐露病」は、日本全体に蔓延しはじめていた。


警察官による他国皇太子の暗殺未遂(傷害事件)という予想だにしない出来事に、日本中が大騒ぎとなった。天皇は京都に行幸してロシア皇太子を見舞い、政府は司法に対し犯人への死刑宣告を求めた。閣僚の中には、政府が刺客を放って犯人の津田を暗殺し、病死したことにせよ、と主張する者もいた。かと思えば、一命を捧げて詫びることで国家の危機を救おうと、自らの命を絶ってしまう一般女性まであらわれた。


このような混乱した世情の中で、政府の圧力にも屈することなく、司法の独立を気概をもって守り通したのが大審院長の児島惟謙(こじま・いけん)だった。児島は傷害事件をもって死刑を宣告するのは法を逸脱するとして、犯人の津田三蔵に無期懲役の判決を言い渡したのである。はじめ津田への極刑を求めていた一般世論も、法を曲げようとする政府の横暴に反発して「津田三蔵は志士。殺してはならぬ」という方向へ傾き、児島の判決を支持したという。


そうしたせめぎ合いの傍らで、的外れな動きもあった。それが、山形県最上郡金山村村会によって決議された掲出の条例。つまりは、金山村の住民は自分の子どもに「三蔵」という名をつけてはいけない、と取り決めたのである。なんととぼけた条例か。これも当時の日本の混乱ぶりの一端を示すものであろう。この事件そのものから、ただちに国家間の対立が先鋭化することはなかったが、結局、両国の戦闘は避けられなかった。事件から13年の時を経た明治37年(1904)、とうとう日露戦争が勃発するのである。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ニコライ」「日露戦争」で動画検索してみました!!)


日露戦争が2分で分かる動画


※肝心のとこがワカランw


日露戦争に翻弄された二人の壮大な愛の物語/映画『ソローキンの見た桜』予告編



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ブログ移行期間 /人間椅子「無情のスキャット」

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海外反応
『日本のロックバンド「人間椅子」が世界で話題に! 海外の反応。活動歴30年以上を誇る日本の伝説のバンド『人間椅子』に世界から賞賛の声が殺到していました。海外「日本にこんな凄いバンドがいたなんて知らなかったよ!」』

・これはオッサンメタルだ!彼らはサムライロッカーだよ、最高だ!
・私は偶然彼らの動画を発見してしまったんだけど、すっかり嵌ってしまって
他の動画を見るのを忘れて彼らの音楽を聴きまくってしまったよ。
・凄い人達だ、まさに才能の塊だよ!彼らはマジで凄い!
・彼らはスーパークールだ!マジで最高!
・この日本の伝統的と美学、そしてブラックサバスのスタイルが融合した感じ
が堪らなく好きだわ。
・オーマイガッ、こんな凄い奴らがいたなんて!
・上質な物は全てメイド・イン・ジャパンなんだよな。
・こういうのが本当のメタルって言うんだよ!彼らは日本以外でライブはやら
ないの?是非ポーランドでもライブをやって欲しいよ!
・自分はイギリス人だけど彼らの曲は本当に最高だ。
私は彼らが大好きだし、非常にリスペクトしているよ。
・素晴らしい音楽を聴かせてくれてありがとう人間椅子
彼らには是非アルゼンチンに来てライブをやって欲しい!!!!
・インド人だけど、彼らの音楽はマジで最高だと思う!
・メタルというのは言語が分からなくても通じ合える国際的言語だと思うね
・ベースの人が恐すぎる!

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・↑彼は幽霊だからな。
・これはホラー・ゴシック・ロックってジャンルなのかな
・彼らにはもっとアメリカのファンが必要だと思うね。
・↑だよな、このバンドの大ファンだけどそう思うよ。
でもこっちの周りの奴らはメタルに興味のない人間が多すぎる・・・
・私は筋肉少女隊から彼らのことを知ったんだけど、彼らの音楽は本当に
凄い!私は彼らの音楽が大好き!
・彼らの音楽はキング・クリムゾンをさらにヘヴィーにしたようだ。
・しかし日本の天皇裕仁(ひろひと)はいつからメタルをやり始めたのさ?

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・↑活動を始めたのは第二次世界大戦が終了してからだろうな。
・↑(笑)
・↑たわけ!気安くその名前だすんじゃねぇよ!
にしてもかっこええだろ!30年前から活動しとるんだぞ!
(日本コメ)

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※わっちゃぁ~~、ついに外国の人たちに本格的に見っかっちゃったかー?




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月28日(火)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1976年・新日本】
カテゴリー【デビュー】
見出し:『佐山聡がデビュー戦』
『解説:172cmという当時としても決して大きくはない体ながら、並外れた根性で鍛錬を積み、後楽園の魁勝司北沢幹之)戦でデビュー。4年11か月後、タイガーマスクとして生まれ変わる。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

大竹まことのゴールデンラジオ ゲスト:佐山聡


Amazon 真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男 単行本 田崎健太(著)
→''' 『■内容紹介:プロレス界最大のアンタッチャブル―― 総合格闘技を創ったタイガーマスクの真実! 1980年代前半、全国のちびっ子を魅了し、アントニオ猪木を凌ぐ新日本プロレスのドル箱レスラーとなったタイガーマスクは、なぜ人気絶頂のまま2年4ヵ月で引退したのか?
UWFにおける前田日明との“不穏試合"では何が起きていたのか? 自身が創設した総合格闘技修斗」と訣別した理由は? '''
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現在も「21世紀の精神武道」へのあくなき追求を続ける佐山サトルは、その先進性ゆえに周囲との軋轢を生み、誤解されることも多かった。謎多きその素顔に『真説・長州力』の田崎健太が迫る。佐山サトル本人への長期取材に加え、前田日明長州力藤原喜明中井祐樹朝日昇ら多数のプロレスラー、格闘家、関係者の証言で綴る超重厚ノンフィクション。 “孤高の虎"の真実が今、明かされる! /■登録情報:/単行本 520ページ /出版社 集英社インターナショナル /言語 日本語 /ISBN-10: 4797673567 ISBN-13: 978-4797673562 /発売日: 2018/7/26 /商品パッケージの寸法 13.4 x 3 x 19.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:Amazon カスタマー 5つ星のうち5.0 「ヒクソンが」 2019年1月16日・・・91年に猪木との対戦を求めて来日していたとは…。文章が心地よく読みやすくボリュームも気にならないくらいサクサク読めた。ただ、私的に一番の衝撃を受けたのが「ヒクソンが91年に猪木との対戦を求めて来日していた」との記述。自称猪木信者の私には凄い事実でありこれからのプロレスファン人生にも大きな影響を与えてくれる2行でした。想像するだけでシビれます。』
※猪木は前田の時同様に、対戦を避けたんだろうなぁーーーーー(遠い目)

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったとはじめて悟りながら、しかもその悟りを利用することができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った」――夏目漱石

【解説】
いま、東京・世田谷区の世田谷文学館で、『ムットーニ・パラダイス』というユニークな企画展が開催されている(~2017年6 月 25 日まで)。自動からくり人形作家の武藤政彦さん(ムットーニ)がつくり出す、不思議で独得の世界。電動式の人形と装置の動きに、音楽や光、そして本人の語りなどが重ね合わされながら、どこかノスタルジックな香りのする物語が目の前の小さな箱の中に展開されていく。

展覧会のパンフレットには、ムットーニ自身による、こんなメッセージが掲載されている。「ここに散りばめられた物語。それらは次々と光を投げ掛け、幾つもの時間を織り重ねる。それは一瞬世界を照らし、またすぐに静寂の闇を呼び戻す。でもその刹那的な瞬きは、永遠を夢みているのかもしれない。ここは享楽と静寂が入り交じる物語の楽園。ようこそ、MUTTONI PARADISEへ」

ちなみに、私は、SF作家レイ・ブラッドベリの小説『万華鏡』から連想してつくられたという『アローン・ランデブー』という作品がとても好きだ。ムットーニの作品には、芥川龍之介中原中也萩原朔太郎村上春樹ら日本の文学作品も題材に取り上げられていて、夏目漱石の『夢十夜』第7話も作品化されている(作品名は『漂流者』)。

上に掲げたのは、その『夢十夜』第7話の結びの一節。「何でも大きな船に乗っている」の一行で書き起こされるこの小説、掲出のことばの少し前には「自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ」とあるように、作中の「自分」は航海中の大きな船から海に向かって身を投げてしまっている。ムットーニ作品では、仕掛け細工の人形が船の上から波の中へ、ゆっくりゆっくり落ちていく姿に、『夢十夜』第7話の朗読と、めぐる太陽の光や船の汽笛の音が重なる。

夢十夜』第7話は、話の全体が、どこか漱石自身の洋行体験と重なっているように見える。とはいえ、そこにはもう少し大きなテーマが隠されているだろう。海上をひた走る船は、やみくもに欧化政策を進めようとする日本そのものの象徴とも受け取れるし、否応なくその船に乗せられている個々人は、何かやりきれないものを抱えながらも飛び降りてしまうわけにはいかない。どこへ行くかわからない船でも、乗りつづけていくしか方途はないのであろう。

いやいや、行き着く先もさだかでない航海は、ままならぬ人生航路そのものの比喩であるのかもしれない。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「夢十夜」「第7話」で動画検索してみました!!)

●《朗読》夏目漱石夢十夜』第七夜


ユメ十夜(字幕版)冒頭部分


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ジョニーAのつぶやき:『夢十夜』は、一度全編通して観てみなければ、と思ってゐる。

ブログ移行期間 /人間椅子「無情のスキャット」

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海外反応

『日本のロックバンド「人間椅子」が世界で話題に! 海外の反応。活動歴30年以上を誇る日本の伝説のバンド『人間椅子』に世界から賞賛の声が殺到していました。海外「日本にこんな凄いバンドがいたなんて知らなかったよ!」』


・これはオッサンメタルだ!彼らはサムライロッカーだよ、最高だ!

・私は偶然彼らの動画を発見してしまったんだけど、すっかり嵌ってしまって

他の動画を見るのを忘れて彼らの音楽を聴きまくってしまったよ。

・凄い人達だ、まさに才能の塊だよ!彼らはマジで凄い!

・彼らはスーパークールだ!マジで最高!

・この日本の伝統的と美学、そしてブラックサバスのスタイルが融合した感じ

が堪らなく好きだわ。

・オーマイガッ、こんな凄い奴らがいたなんて!

・上質な物は全てメイド・イン・ジャパンなんだよな。

・こういうのが本当のメタルって言うんだよ!彼らは日本以外でライブはやら

ないの?是非ポーランドでもライブをやって欲しいよ!

・自分はイギリス人だけど彼らの曲は本当に最高だ。

私は彼らが大好きだし、非常にリスペクトしているよ。

・素晴らしい音楽を聴かせてくれてありがとう人間椅子

彼らには是非アルゼンチンに来てライブをやって欲しい!!!!

・インド人だけど、彼らの音楽はマジで最高だと思う!

・メタルというのは言語が分からなくても通じ合える国際的言語だと思うね

・ベースの人が恐すぎる!


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・↑彼は幽霊だからな。

・これはホラー・ゴシック・ロックってジャンルなのかな

・彼らにはもっとアメリカのファンが必要だと思うね。

・↑だよな、このバンドの大ファンだけどそう思うよ。

でもこっちの周りの奴らはメタルに興味のない人間が多すぎる・・・

・私は筋肉少女隊から彼らのことを知ったんだけど、彼らの音楽は本当に

凄い!私は彼らの音楽が大好き!

・彼らの音楽はキング・クリムゾンをさらにヘヴィーにしたようだ。

・しかし日本の天皇裕仁(ひろひと)はいつからメタルをやり始めたのさ?


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・↑活動を始めたのは第二次世界大戦が終了してからだろうな。

・↑(笑)

・↑たわけ!気安くその名前だすんじゃねぇよ!

にしてもかっこええだろ!30年前から活動しとるんだぞ!

(日本コメ)


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※わっちゃぁ~~、ついに外国の人たちに本格的に見っかっちゃったかー?





☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日5月28日(火)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1976年・新日本】
カテゴリー【デビュー】
見出し:『佐山聡がデビュー戦』

『解説:172cmという当時としても決して大きくはない体ながら、並外れた根性で鍛錬を積み、後楽園の魁勝司北沢幹之)戦でデビュー。4年11か月後、タイガーマスクとして生まれ変わる。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


大竹まことのゴールデンラジオ ゲスト:佐山聡



Amazon 真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男 単行本 田崎健太(著)

→''' 『■内容紹介:プロレス界最大のアンタッチャブル―― 総合格闘技を創ったタイガーマスクの真実! 1980年代前半、全国のちびっ子を魅了し、アントニオ猪木を凌ぐ新日本プロレスのドル箱レスラーとなったタイガーマスクは、なぜ人気絶頂のまま2年4ヵ月で引退したのか?

UWFにおける前田日明との“不穏試合"では何が起きていたのか? 自身が創設した総合格闘技修斗」と訣別した理由は? '''

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現在も「21世紀の精神武道」へのあくなき追求を続ける佐山サトルは、その先進性ゆえに周囲との軋轢を生み、誤解されることも多かった。謎多きその素顔に『真説・長州力』の田崎健太が迫る。佐山サトル本人への長期取材に加え、前田日明長州力藤原喜明中井祐樹朝日昇ら多数のプロレスラー、格闘家、関係者の証言で綴る超重厚ノンフィクション。 “孤高の虎"の真実が今、明かされる! /■登録情報:/単行本 520ページ /出版社 集英社インターナショナル /言語 日本語 /ISBN-10: 4797673567 ISBN-13: 978-4797673562 /発売日: 2018/7/26 /商品パッケージの寸法 13.4 x 3 x 19.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:Amazon カスタマー 5つ星のうち5.0 「ヒクソンが」 2019年1月16日・・・91年に猪木との対戦を求めて来日していたとは…。文章が心地よく読みやすくボリュームも気にならないくらいサクサク読めた。ただ、私的に一番の衝撃を受けたのが「ヒクソンが91年に猪木との対戦を求めて来日していた」との記述。自称猪木信者の私には凄い事実でありこれからのプロレスファン人生にも大きな影響を与えてくれる2行でした。想像するだけでシビれます。』

※猪木は前田の時同様に、対戦を避けたんだろうなぁーーーーー(遠い目)


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったとはじめて悟りながら、しかもその悟りを利用することができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った」――夏目漱石


【解説】

いま、東京・世田谷区の世田谷文学館で、『ムットーニ・パラダイス』というユニークな企画展が開催されている(~2017年6 月 25 日まで)。自動からくり人形作家の武藤政彦さん(ムットーニ)がつくり出す、不思議で独得の世界。電動式の人形と装置の動きに、音楽や光、そして本人の語りなどが重ね合わされながら、どこかノスタルジックな香りのする物語が目の前の小さな箱の中に展開されていく。


展覧会のパンフレットには、ムットーニ自身による、こんなメッセージが掲載されている。「ここに散りばめられた物語。それらは次々と光を投げ掛け、幾つもの時間を織り重ねる。それは一瞬世界を照らし、またすぐに静寂の闇を呼び戻す。でもその刹那的な瞬きは、永遠を夢みているのかもしれない。ここは享楽と静寂が入り交じる物語の楽園。ようこそ、MUTTONI PARADISEへ」


ちなみに、私は、SF作家レイ・ブラッドベリの小説『万華鏡』から連想してつくられたという『アローン・ランデブー』という作品がとても好きだ。ムットーニの作品には、芥川龍之介中原中也萩原朔太郎村上春樹ら日本の文学作品も題材に取り上げられていて、夏目漱石の『夢十夜』第7話も作品化されている(作品名は『漂流者』)。


上に掲げたのは、その『夢十夜』第7話の結びの一節。「何でも大きな船に乗っている」の一行で書き起こされるこの小説、掲出のことばの少し前には「自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ」とあるように、作中の「自分」は航海中の大きな船から海に向かって身を投げてしまっている。ムットーニ作品では、仕掛け細工の人形が船の上から波の中へ、ゆっくりゆっくり落ちていく姿に、『夢十夜』第7話の朗読と、めぐる太陽の光や船の汽笛の音が重なる。


夢十夜』第7話は、話の全体が、どこか漱石自身の洋行体験と重なっているように見える。とはいえ、そこにはもう少し大きなテーマが隠されているだろう。海上をひた走る船は、やみくもに欧化政策を進めようとする日本そのものの象徴とも受け取れるし、否応なくその船に乗せられている個々人は、何かやりきれないものを抱えながらも飛び降りてしまうわけにはいかない。どこへ行くかわからない船でも、乗りつづけていくしか方途はないのであろう。


いやいや、行き着く先もさだかでない航海は、ままならぬ人生航路そのものの比喩であるのかもしれない。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「夢十夜」「第7話」で動画検索してみました!!)


●《朗読》夏目漱石夢十夜』第七夜



ユメ十夜(字幕版)冒頭部分



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ジョニーAのつぶやき:『夢十夜』は、一度全編通して観てみなければ、と思ってゐる。

ブログ移行期間 /TV「アナザー・ストーリーズ」

◎「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 女子プロレス
 熱狂の頂点 クラッシュギャルズを求めた少女たち」を観た。

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もっとNHKドキュメンタリー
『2019年2月19日(火) 午後9時00分(60分):番組内容・・・少女たちは血まみれの闘いに涙を流した!女子プロレスラークラッシュ・ギャルズ」。1980年代、突如現れた2人の試合は、やがて五輪で金メダル続出の女子レスリングへ!女子プロブームと最強女子レスリング日本代表との知られざるつながりが明かされる!さらに元ウィンク相田翔子、お笑い山田花子をはじめ、その闘いで「人生が変わった」という普通の女の子たちが30年を経て赤裸々証言。少女たちが闘いを求めた理由とは?
/出演者ほか【司会】沢尻エリカ濱田岳,【出演】長与千種ライオネス飛鳥,吉村祥子,相田翔子山田花子

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山田花子の初々しい動画が観られた。

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※動くかなたくさんを初めて観たよ~。

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※いやー、いい番組でした!さすがNHKでございやす!




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月27日(月)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1983年・新日本】
カテゴリー【夢対決】
見出し:『IWGP公式戦で猪木と前田が唯一の一騎打ち』
『解説:格闘王として覚醒する以前に前田は生涯一となる猪木との一騎打ちを経験。第1回IWGPリーグ戦公式戦として、高松市民文化センターで行われた。/前田はイギリス修業時代にヨーロッパヘビー級王座を獲得した実績を買われ、日本ではなく欧州代表としてエントリー。ジャーマン、ドラゴンと得意のスープレックスで追い込んだものの、直後に延髄切りを食らいピンフォール負け。UWFとして新日本にカムバックした際、再三にわたり一騎打ちを要求したが、猪木は応じなかった。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●猪木闘魂勝負 前田日明 vs アントニオ猪木


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※この試合は高3の時だから、家でリアルタイムで観ていたっけーーー(✿╹◡╹ )ノ

ヤフー知恵袋 アントニオ猪木が前田日明を恐れていたという噂は本当でしょうか?
『♦1997年の猪木・前田会談(週刊プレイボーイ) /猪木・前田会談は1997年で、当時の週刊プレイボーイ誌上に掲載されました。/前田「なぜシングルで戦ってくれなかったんですか?」/猪木「逃げてたから」(禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負 1997・集英社 佐々木徹・著 から引用)この猪木・前田会談は、当初から掲載目的の会談(実質的には対談)であり、お互いに久方ぶりの対面だったのもあって、口角泡を飛ばすような展開にはならなかった。
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前田日明と密接な繋がりを持っている船木誠勝柴田勝頼を、自身の新団体IGFへ引き込みたく(?)、猪木は前田と会談を持ったと思われます。しかし建設的な進展もなく、猪木・前田は、お互いの批判合戦となり決裂しました。以上概略という形でまとめましたが、2007年の猪木・前田会談が一番大荒れだったのでは?現役時代、感情を正直に露にすることで、我々ファンの支持を得てきた前田日明。その前田が「「プロレス界をめちゃくちゃにした」と猪木に噛み付いたのには、それなりの理由がいくつかあると思われます。それは主だったものでは以下のことではないだろうか?/1.前田の若手時代に猪木が「今はこうしたこと(=プロレス)をしているが、いずれスポーツとして恥ずかしくない戦いを実現させる」と言っていたにもかかわらず、実際のところ猪木は、アントン・ハイセルへの投資に没頭したり、猪木自身が目立ちすぎてしまったこと。/2.細かいところで言うと、藤田和之のリングス入団が内定していたのに、猪木が横やりを入れ、オジャンにしてしまったこと(藤田和之はその後、猪木事務所所属選手に)。/3.2001年に前田・リングスが低迷した際、当時の新日本プロレス社長・藤波が救いの手を伸ばすべく、前田・リングスへの選手派遣を検討するも、これまた裏で猪木が暗躍し、前田・リングスへの選手派遣が頓挫したこと。
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これら以外にもまだ前田の猪木に対する怒りの理由はあるのかもしれない。とにかくこうした積もりに積もったことが前田日明の中にはあって、プロレス界~広義ではマット界ともとれる~を、猪木が「めちゃくちゃにしたんだ」というあの口論へと発展したのではないだろうか?お互い、まったくの平行線です。この先和解することはあるのでしょうか?私自身は、上記の対談では「逃げていたから」などと言ってますが、これは猪木特有のジョークでしょう。前田自身が怖かったのではなく、リング上以外の部分(いわゆる借金問題や団体の移籍問題等)で多忙だったため、前田だけを相手にしている余裕がなかったものと思っています。』

★サイキックでは、猪木が前田に土下座したというような話も・・・
まとめるスポーツ 前田に土下座した猪木

竹内  で、もう猪木ファンは、やっぱ猪木は大人や、と。
やったら前田を殺すから、とことんまでいったら、避けてんねや、
という読みがあったけど、僕は事実を知っているわけですよ。
田中正悟さんと前田日明がロイヤルホテルにいました。
誠   いました。
竹内  そのロビーに猪木が来ました。
誠   来ました。
竹内  その二人を猪木がこそっとロイヤルホテルの隅に呼んで、土下座して、
「頼むっ、対戦だけはやめてくれ」、と。
誠   (^。^) ププププ
竹内  「ホンマに真剣勝負やりたかったら他所行ってやってくれ」、と。
誠   (^○^) ギャハハハハハ
竹内  「他所にはいくらでもおる、ガチンコ受ける奴は」、と。
「俺は受けへんから」っつって土下座した、と。
誠   そうやんね。
竹内  そんな人ですよ。

※まぁ、アニキ(竹内さん)の発言は話半分、ならぬ話3割くらいで聞かなきゃ
だめでしょうけどネーー。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「名寄岩ァ……に勝った、綾昇ィ……」――19代目式守伊之助

【解説】
明治の初年に一度、土俵にあがる相撲取りもシャツを着るよう規則が定められたという話がある。新しい時代を迎え、これからは、外国の人たちも相撲見物をするだろう。その際、日本人が裸で肌を見せるというのは失礼だから、何か着た方がいいだろう。そんなことから生まれた規則だったらしい。特別あつらえの大きな上下のシャツを着て、その上からまわしを締めたが、もみ合っているうちにびりびりに破けたりしてどうにもならず、すぐに元に戻されたとか。/落語家の故6代目三遊亭圓生が、あるときの高座のマクラの中で、この逸話を紹介している(三遊亭圓生『噺のまくら』より)。6代目三遊亭圓生は、非常に勉強熱心な人で、落語の噺の中に登場する地名や人名、歴史的背景についても綿密な研究や実地踏査を重ね、それまでなんとなく口伝えに伝えられてきたものの誤りを改めたこともあったというから、これも史実にもとづく逸話だったのだろう。

上に掲げたのは、同じマクラの中で圓生が紹介している、大相撲の立行司19代目式守伊之助本場所の土俵上で口にしたという勝ち名乗りである。19代目式守伊之助明治19年(1886)生まれ。明治33年(1900)5月に初土俵で、72歳まで現役で土俵に立った。長く白い髭がトレードマークで「髭の伊之助」とも呼ばれた。相撲好きの夏目漱石は、明治から大正にかけて何度も相撲見物に出かけているから、若き日のこの人の行司姿も、目にしているだろう。さて、掲出の勝ち名乗りの話。当時、名寄岩は強く、両者の対戦はたいていが名寄岩の勝ち。それが伊之助の頭の中にあった。この日は珍しく綾昇の方が勝って、たわらのところでしゃがんで勝ち名乗りを待っている。その前に行った伊之助の口を、うっかりついて出たのが、「名寄岩ァ……」ということば。びっくりした綾昇が伊之助の顔を見上げる。伊之助もここで、「あっ、いけねえ、間違えた」と気がついたが、すでにはっきりと名寄岩の名前を口にしてしまっているから、取り消しようもない。仕方がないから、咄嗟に機転をきかせ、「に勝った、綾昇ィ……」とつづけたという。圓生師匠のこのマクラには、こんなサゲがつく。「あんなに長い勝ち名乗りてえのははじめてでございましょう」

先入観を持つことの危うさと、危機に臨んで機知を働かせることの妙味を読み取る、などと堅苦しい意味づけをするより、ここは単に面白がっていればいい。人間誰しも失敗はあるけど、まあ、なんとか切り抜けましょうよ。(この椿事は、名寄岩・綾昇戦でなく玉ノ海鏡里戦での出来事とする説もあるが、ここは前記『噺のまくら』の記述によった)

5月場所の取り組みも、今日を含めいよいよ残りあと2日。優勝争いをめぐる、勝ち名乗りの行方が気になるところ。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「19代目式守伊之助」で動画検索してみました!!)

●大相撲・昔の行司詰め合わせ


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zakzak 転落しても軍配は離さず 59歳伊之助が見せた行司魂
→『■大相撲初場所5日目=17日、東京・両国国技館「死んでもラッパを離しませんでした」。日清戦争で戦死した帝国陸軍のラッパ手、木口小平はラッパを吹きつつ突進し、死して口からラッパを離さなかったといわれる。こちら立行司式守伊之助は土俵下に転落しても軍配を離さなかった。取り直しになった結びの一番。このところめきめきと力をつけている錦木の攻めにタジタジとなった横綱白鵬が、回り込みながら土俵際で左上手投げを放ち逆転勝ち。このとき、白鵬をよけようとした伊之助は俵に足をひっかけたのか、東のたまり席に真っ逆さま。しかし、ここからが行司魂の見せ所で、落ちながらも勝負はしっかり見届け、軍配を西の白鵬に上げた。
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  第41代の伊之助は、“ホモセクハラ”騒動で退職に追い込まれた前伊之助のあとを受け、7場所ぶりの立行司として今場所昇格したばかり。この日で3日連続結びで物言いがついたが、いきなり差し違えでは“進退伺”どころではない。「落ちながら、ちゃんと相撲は見ていた。痛いとかいう以前に、とにかく見てなきゃいけないんです」と、ほっとした表情で言った。/今年59歳で還暦目前。「トレーニングは欠かさない。体は30代だから大丈夫。でも、ご心配、ご迷惑をおかけしました。白熱した相撲の行司をさせてもらうのが一番。これからも心落ち着かせて、頑張ります」さすがに立行司らしいコメントで、報道陣を見事に裁いていた。』

ジョニーAのつぶやき:大相撲にリクエスト制度が採用される日も近い!?