ブログ移行期間 /ガスト&くら寿司

☆姫路駅前の「ガスト」と、飾磨の「くら寿司」へ初見参!!




『』






『』











『』






『』










☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日6月2日(日)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1983年・新日本・蔵前国技館
カテゴリー【事件】
見出し:『猪木舌出し失神事件』
『解説:リアルワールドチャンピオンを決める、トイウコンセプトで始まったIWGP。新日本参戦時のホーガンは猪木とタッグを組むことでそのカリスマ性やベビーフェイスとしての姿勢を間近から観察し、採り入れて自身のスタイルを確立。粗削りなパワーファイターは洗練され、猪木の前に立った。/終盤、場外戦で猪木は後頭部にアックスボンバーを食らい、頭を鉄柱に打ち付ける。なんとかエプロンに上がったものの、そこへリング場を突進したホーガンが「アックスボンバー三つ又の槍!」(by古館アナ)を炸裂させると、もんどりうってリング下へ転落。そのまま動けず、21分27秒、ホーガンのKO勝ちに。/猪木は舌を伸ばした状態で失神しており、病院へ搬送。その夜のニュース番組でも事件として報じられた。/翌年以後も毎年IWGPリーグ戦が行われ、87年の第5回を猪木が制したところで初代ヘビー級王者に認定。タイトルとしての歴史をスタートさせた。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●負け名勝負ベスト10 (12分38秒~)


イメージ 4

※これはガチで痛そうだ。。。

●闘魂注入ラインスタンプ


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※この「一寸先は・・・」ていうの、好き♪

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「死んでから、お前と別々になるのは不便だからな」――大原總一郎

【解説】
大原總一郎は、明治42年(1909)生まれ。父親の大原孫三郎は、倉敷絹織、倉敷紡績の社長をつとめ、大原美術館、倉敷中央病院、大原社会問題研究所などを創設した関西実業界の大物であった。

経済学者の大内兵衛のこんなことばが残っている。「金を儲けることにおいては大原孫三郎より偉大なる財界人はたくさんいた。しかし、金を散ずることにおいて高く自己の目標を掲げてそれに成功した人物として、日本の財界人としてこれくらい成功した人はいなかった」

美術館や研究所などが、その志高い「散財」の対象だというのであった。大原總一郎は、29歳の若さで、父・孫三郎からこれらの事業を受け継いだ。しかし、単なる継承者ではなかった。実業家として、日本独自の研究開発である新しい合成繊維のビニロンの工業化を実現した。一方で美術館には、ピカソ、ルオー、ミロ、ブラックなどの現代美術の秀逸のコレクションを加えた。のちに日本を代表する版画家となる棟方志功を逸早く見いだし、育て上げたのも大原總一郎だった。

高い識見を持って企業の責任や文化貢献の必要性を語り、それを世界的な視野で実践したという意味で、大原總一郎には父に優るとも劣らぬスケールの大きさがあった。また、生まれ故郷である倉敷を愛し、「倉敷を日本のローテンブルクにしよう」と提唱し、美しい街並みづくりにも貢献した。南ドイツの古都ローテンブルクの美しさは、世界各地を回った總一郎の目にも、とくに印象強く残っていたのである。

そんな大物の生涯は、さして長くはなかった。昭和43年(1968)、58歳での病没。亡くなる10日前、大原總一郎は入院先の病室でカトリックの洗礼を受けた。カトリックの信者である夫人の勧めによるもので、その際に呟くように言ったのが掲出の台詞であったという。告別式は、愛した倉敷の大原美術館の中庭でとりおこなわれた。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「大原總一郎」「美術館」で動画検索してみました!!)

●≪美しい経済人 大原總一郎≫ ダイジェスト版


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●倉敷の礎を築いた大原孫三郎 高梁川流域デジタルアーカイブ


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ジョニーAのつぶやき:「猪木失神舌出し退場」は、会場まで取り立てに来ていた借金取りから逃げるためであり、そのことがわかって坂口征二の「人間不信失踪事件」に繋がるんだわな~~。

ブログ移行期間 /ガスト&くら寿司

☆姫路駅前の「ガスト」と、飾磨の「くら寿司」へ初見参!!





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☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日6月2日(日)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1983年・新日本・蔵前国技館
カテゴリー【事件】
見出し:『猪木舌出し失神事件』

『解説:リアルワールドチャンピオンを決める、トイウコンセプトで始まったIWGP。新日本参戦時のホーガンは猪木とタッグを組むことでそのカリスマ性やベビーフェイスとしての姿勢を間近から観察し、採り入れて自身のスタイルを確立。粗削りなパワーファイターは洗練され、猪木の前に立った。/終盤、場外戦で猪木は後頭部にアックスボンバーを食らい、頭を鉄柱に打ち付ける。なんとかエプロンに上がったものの、そこへリング場を突進したホーガンが「アックスボンバー三つ又の槍!」(by古館アナ)を炸裂させると、もんどりうってリング下へ転落。そのまま動けず、21分27秒、ホーガンのKO勝ちに。/猪木は舌を伸ばした状態で失神しており、病院へ搬送。その夜のニュース番組でも事件として報じられた。/翌年以後も毎年IWGPリーグ戦が行われ、87年の第5回を猪木が制したところで初代ヘビー級王者に認定。タイトルとしての歴史をスタートさせた。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●負け名勝負ベスト10 (12分38秒~)



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※これはガチで痛そうだ。。。


●闘魂注入ラインスタンプ



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※この「一寸先は・・・」ていうの、好き♪


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「死んでから、お前と別々になるのは不便だからな」――大原總一郎


【解説】

大原總一郎は、明治42年(1909)生まれ。父親の大原孫三郎は、倉敷絹織、倉敷紡績の社長をつとめ、大原美術館、倉敷中央病院、大原社会問題研究所などを創設した関西実業界の大物であった。


経済学者の大内兵衛のこんなことばが残っている。「金を儲けることにおいては大原孫三郎より偉大なる財界人はたくさんいた。しかし、金を散ずることにおいて高く自己の目標を掲げてそれに成功した人物として、日本の財界人としてこれくらい成功した人はいなかった」


美術館や研究所などが、その志高い「散財」の対象だというのであった。大原總一郎は、29歳の若さで、父・孫三郎からこれらの事業を受け継いだ。しかし、単なる継承者ではなかった。実業家として、日本独自の研究開発である新しい合成繊維のビニロンの工業化を実現した。一方で美術館には、ピカソ、ルオー、ミロ、ブラックなどの現代美術の秀逸のコレクションを加えた。のちに日本を代表する版画家となる棟方志功を逸早く見いだし、育て上げたのも大原總一郎だった。


高い識見を持って企業の責任や文化貢献の必要性を語り、それを世界的な視野で実践したという意味で、大原總一郎には父に優るとも劣らぬスケールの大きさがあった。また、生まれ故郷である倉敷を愛し、「倉敷を日本のローテンブルクにしよう」と提唱し、美しい街並みづくりにも貢献した。南ドイツの古都ローテンブルクの美しさは、世界各地を回った總一郎の目にも、とくに印象強く残っていたのである。


そんな大物の生涯は、さして長くはなかった。昭和43年(1968)、58歳での病没。亡くなる10日前、大原總一郎は入院先の病室でカトリックの洗礼を受けた。カトリックの信者である夫人の勧めによるもので、その際に呟くように言ったのが掲出の台詞であったという。告別式は、愛した倉敷の大原美術館の中庭でとりおこなわれた。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「大原總一郎」「美術館」で動画検索してみました!!)


●≪美しい経済人 大原總一郎≫ ダイジェスト版



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●倉敷の礎を築いた大原孫三郎 高梁川流域デジタルアーカイブ



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ジョニーAのつぶやき:「猪木失神舌出し退場」は、会場まで取り立てに来ていた借金取りから逃げるためであり、そのことがわかって坂口征二の「人間不信失踪事件」に繋がるんだわな~~。

ブログ移行期間 /『ヌイグルマーZ』の八幡愛さん♪

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竹内義和氏とネット番組「コードレスで行こか」などに出演されている姫路の星!
八幡愛さんが、しょこたん主演の『ヌイグルマーZ』に出ていたという噂を聞きつけ、
さっそくかくにーーーん!

ニコニコ映画劇場 ヌイグルマーZ後編
『待たせたな!まさかの2日連続投稿だぜ!ヒーロー物の美味しいとこどりをしたB級映画ヌイグルマーZ」多少のドジは目をつぶり 癒して倒すヌイグル道!愉快な戦士ヌイグルマー参上! 姫を守るよ ボタンの瞳にかけて!』

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八幡愛オフィシャルBlog☆あいあいんしゅたいん☆ 2014年春公開『ヌイグルマーZ』出演します☆
2013-05-28 TwitterFacebookには書いてたんですが、2014年の春に全国公開される映画、井口昇監督、中川翔子さん主演、大槻ケンヂさん原作「ヌイグルマーZ」という、豪華すぎる映画に出演しています!!( ◔ ౪◔ )⊃━☆゚.*・
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私の役どころは・・・結構、衝撃wな役なので、公開されるまで、黙っておきます!グリーンバックに撮影したり、CG使いまくりですよ・・・ふふふ・・・もう、絶対、映画館のスクリーンで観てほしいです。行けば、意味がわかります。。。また、公開が近くなったら撮影秘話的なことを書きます・・・ふふふ・・・/井口組は本当に楽しくて、キャストはもちろん、スタッフさん全員が、みんなで楽しみながら、最高な作品を作ろう!と一致団結しておりました。。幸せな経験をさせていただきました。しょこたん様のかわゆさには鳥肌立ちましたよ!というわけで、来年、楽しみにしててください!!』

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※オッパイビームで町を破壊しまくっていたーww




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日6月1日(土)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2017年・DDT】
カテゴリー【大会】
見出し:『東京ドームでノーピープルマッチ・・・高木三四郎×鈴木みのる
『解説:12年8・18日本武道館で「5年後東京ドームへ進出する」と高木が宣言。通常興行ではなく無観衆の路上プロレスとして実現させた。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●路上プロレスin東京ドーム ダイジェスト版


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※「セーフってなんだよ!」かなりの茶番だけど、見ていられるな~~w

◎解説サイトから、里村明衣子チャンがピッチャーをするシ-ンを抜粋~。
KEN筆.txt 実況席から見た路上プロレスin東京ドームの一部始終
『退散した高木を鈴木がグラウンドまで追うと、2人の視線がマウンドに向けられたまま止まる。そこにいたのは不動明王のようにそびえ立つガウン姿の里村明衣子だった。野球の経験はまったくないと思われる里村なのに、その存在感は往年の伊良部や大魔神・佐々木を遥かに超えるものがあり「私と勝負しろ!」とプロレスではなく野球での勝負を2人に挑む。先頭バッターとして高木がバットを持ちバッターボックスへ立ち、ウグイス嬢・滝川あずさのアナウンス。気がつけば両サイドベンチでは、とりあえず東京ドーム内に入れるというだけで集まったような選手の皆さんが盛り上がる。これは相当のピッチングを見せるという雰囲気が充満する中、里村の投げた投球は絵に描いたような大暴投や草野球でもあり得ないような距離でボールがバウンドし、チョロチョロと転がるのみ。
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(ピッチャー里村!!ボールを拾いに走る姿がカワエエ~~♪)
普通なら、ここで思わず照れ笑いでも浮かべるところだが、やはり女子プロ界の横綱はモノが違った。眉一つ動かすことなく異様なまでの眼力で投げ続けたのだ。おびただしい数のアレやコレやがあった今回の路上プロレスにおいて、最初から最後までビタ一文表情を変えなかった人物が2名いる。一人は里村。そしてもう一人は人間の感情を忘れた男・サムライTVのマタローである。/そんな里村を攻略できぬ高木に業を煮やした天龍監督が、代打・淡口を告げる長嶋茂雄監督の向こうを張って鈴木との交替を告げる。気がつけば里村はボールが届くようにとマウンドを離れホームベース付近にまで来ているかのようだったが、村田さんいわく「いや、あれは里村さんの迫力によって前に迫ってくるように見えただけです」とのこと。まさに『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』チックな描写が現出していたのだ。ところが、里村の投げたボールが鈴木の頭をかすめたためバッターボックスから突進。ここで真っ先にベンチから鉄砲玉のごとく飛び出してきたのが征夫さんというのが、また…。』

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」――夏目漱石

【解説】
上に掲げたのは、夏目漱石明治39年(1906)1月7日付で、門弟の森田草平あてに出した手紙の中の一節である。実際、漱石は無類の手紙好きだった。漱石の遺した書簡は、現在、把握されているものだけでおよそ2500通にのぼる。

全集におさめられたその1通1通をつぶさに見ていくと、手紙文の古典的な定型ともいうべき候文のほかに、漢語調のものがあり、目の前の相手に語りかけるような言文一致体があり、ときには英文や俳句が彩りを添える。相手によって、また状況によって、自在に文体を使いわけている。

漱石は幼少時から漢文や寄席に親しんだ。その後、正岡子規との交遊を通して俳句を詠み、英文学者として文部省派遣留学生に選出されイギリスへも留学、やがて作家として頂点にのぼりつめていく。そうした人生の足跡が、そのまま、漱石書簡の多様な文体の下敷きとなっているのである。そんな多様な文体を駆使しながら、漱石は真情とユーモアにあふれる手紙をせっせと書いた。

門弟のひとりで、のちに雑誌『赤い鳥』を創刊して日本の児童文学界を牽引する鈴木三重吉は、『漱石先生の書簡』と題する一文にこう綴っている。「門下のものや先生のところへ出入りしたことのある人たちが、めいめいの煩悶を訴えたり、感想や議論を述べて来た場合なぞには、しばしば長い手紙をいとわずかいて、慰撫したり訓諭したり、教導された」

漱石からの手紙を受け取ったのは、門弟や友人、家族ばかりではない。自分に手紙をくれた見知らぬ人にまで、漱石は律儀に返書をしたためた。困っているとき、悩んでいるとき、嬉しいとき、寂しいとき。その時々に、漱石は手紙で的確なことばを投げかける。そこに綴られたことばによって鼓舞されたり、心癒(いや)されたりして、自己の進むべき道筋を見いだした者も少なくないのである。

今日6月1日から、郵便葉書の料金が52円から62円へと値上がりする。封書の切手代は82円(定型25グラム以下の場合)のまま据え置かれる。たまには、漱石にならい、親しい人や離れて暮らしている家族へ、自筆で手紙をしたためてみるのもいいかもしれない。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「漱石」「手紙」で動画検索してみました!!)

漱石アンドロイド演劇「手紙」紹介映像


ジョニーAのつぶやき:Me too,Mr.Souseki!

ブログ移行期間 /『ヌイグルマーZ』の八幡愛さん♪

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竹内義和氏とネット番組「コードレスで行こか」などに出演されている姫路の星!

八幡愛さんが、しょこたん主演の『ヌイグルマーZ』に出ていたという噂を聞きつけ、

さっそくかくにーーーん!


ニコニコ映画劇場 ヌイグルマーZ後編

『待たせたな!まさかの2日連続投稿だぜ!ヒーロー物の美味しいとこどりをしたB級映画ヌイグルマーZ」多少のドジは目をつぶり 癒して倒すヌイグル道!愉快な戦士ヌイグルマー参上! 姫を守るよ ボタンの瞳にかけて!』


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八幡愛オフィシャルBlog☆あいあいんしゅたいん☆ 2014年春公開『ヌイグルマーZ』出演します☆

2013-05-28 TwitterFacebookには書いてたんですが、2014年の春に全国公開される映画、井口昇監督、中川翔子さん主演、大槻ケンヂさん原作「ヌイグルマーZ」という、豪華すぎる映画に出演しています!!( ◔ ౪◔ )⊃━☆゚.*・

イメージ 3

私の役どころは・・・結構、衝撃wな役なので、公開されるまで、黙っておきます!グリーンバックに撮影したり、CG使いまくりですよ・・・ふふふ・・・もう、絶対、映画館のスクリーンで観てほしいです。行けば、意味がわかります。。。また、公開が近くなったら撮影秘話的なことを書きます・・・ふふふ・・・/井口組は本当に楽しくて、キャストはもちろん、スタッフさん全員が、みんなで楽しみながら、最高な作品を作ろう!と一致団結しておりました。。幸せな経験をさせていただきました。しょこたん様のかわゆさには鳥肌立ちましたよ!というわけで、来年、楽しみにしててください!!』


イメージ 4

※オッパイビームで町を破壊しまくっていたーww





☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日6月1日(土)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【2017年・DDT】
カテゴリー【大会】
見出し:『東京ドームでノーピープルマッチ・・・高木三四郎×鈴木みのる

『解説:12年8・18日本武道館で「5年後東京ドームへ進出する」と高木が宣言。通常興行ではなく無観衆の路上プロレスとして実現させた。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●路上プロレスin東京ドーム ダイジェスト版



イメージ 5

※「セーフってなんだよ!」かなりの茶番だけど、見ていられるな~~w


◎解説サイトから、里村明衣子チャンがピッチャーをするシ-ンを抜粋~。

KEN筆.txt 実況席から見た路上プロレスin東京ドームの一部始終

『退散した高木を鈴木がグラウンドまで追うと、2人の視線がマウンドに向けられたまま止まる。そこにいたのは不動明王のようにそびえ立つガウン姿の里村明衣子だった。野球の経験はまったくないと思われる里村なのに、その存在感は往年の伊良部や大魔神・佐々木を遥かに超えるものがあり「私と勝負しろ!」とプロレスではなく野球での勝負を2人に挑む。先頭バッターとして高木がバットを持ちバッターボックスへ立ち、ウグイス嬢・滝川あずさのアナウンス。気がつけば両サイドベンチでは、とりあえず東京ドーム内に入れるというだけで集まったような選手の皆さんが盛り上がる。これは相当のピッチングを見せるという雰囲気が充満する中、里村の投げた投球は絵に描いたような大暴投や草野球でもあり得ないような距離でボールがバウンドし、チョロチョロと転がるのみ。

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(ピッチャー里村!!ボールを拾いに走る姿がカワエエ~~♪)

普通なら、ここで思わず照れ笑いでも浮かべるところだが、やはり女子プロ界の横綱はモノが違った。眉一つ動かすことなく異様なまでの眼力で投げ続けたのだ。おびただしい数のアレやコレやがあった今回の路上プロレスにおいて、最初から最後までビタ一文表情を変えなかった人物が2名いる。一人は里村。そしてもう一人は人間の感情を忘れた男・サムライTVのマタローである。/そんな里村を攻略できぬ高木に業を煮やした天龍監督が、代打・淡口を告げる長嶋茂雄監督の向こうを張って鈴木との交替を告げる。気がつけば里村はボールが届くようにとマウンドを離れホームベース付近にまで来ているかのようだったが、村田さんいわく「いや、あれは里村さんの迫力によって前に迫ってくるように見えただけです」とのこと。まさに『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』チックな描写が現出していたのだ。ところが、里村の投げたボールが鈴木の頭をかすめたためバッターボックスから突進。ここで真っ先にベンチから鉄砲玉のごとく飛び出してきたのが征夫さんというのが、また…。』


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」――夏目漱石


【解説】

上に掲げたのは、夏目漱石明治39年(1906)1月7日付で、門弟の森田草平あてに出した手紙の中の一節である。実際、漱石は無類の手紙好きだった。漱石の遺した書簡は、現在、把握されているものだけでおよそ2500通にのぼる。


全集におさめられたその1通1通をつぶさに見ていくと、手紙文の古典的な定型ともいうべき候文のほかに、漢語調のものがあり、目の前の相手に語りかけるような言文一致体があり、ときには英文や俳句が彩りを添える。相手によって、また状況によって、自在に文体を使いわけている。


漱石は幼少時から漢文や寄席に親しんだ。その後、正岡子規との交遊を通して俳句を詠み、英文学者として文部省派遣留学生に選出されイギリスへも留学、やがて作家として頂点にのぼりつめていく。そうした人生の足跡が、そのまま、漱石書簡の多様な文体の下敷きとなっているのである。そんな多様な文体を駆使しながら、漱石は真情とユーモアにあふれる手紙をせっせと書いた。


門弟のひとりで、のちに雑誌『赤い鳥』を創刊して日本の児童文学界を牽引する鈴木三重吉は、『漱石先生の書簡』と題する一文にこう綴っている。「門下のものや先生のところへ出入りしたことのある人たちが、めいめいの煩悶を訴えたり、感想や議論を述べて来た場合なぞには、しばしば長い手紙をいとわずかいて、慰撫したり訓諭したり、教導された」


漱石からの手紙を受け取ったのは、門弟や友人、家族ばかりではない。自分に手紙をくれた見知らぬ人にまで、漱石は律儀に返書をしたためた。困っているとき、悩んでいるとき、嬉しいとき、寂しいとき。その時々に、漱石は手紙で的確なことばを投げかける。そこに綴られたことばによって鼓舞されたり、心癒(いや)されたりして、自己の進むべき道筋を見いだした者も少なくないのである。


今日6月1日から、郵便葉書の料金が52円から62円へと値上がりする。封書の切手代は82円(定型25グラム以下の場合)のまま据え置かれる。たまには、漱石にならい、親しい人や離れて暮らしている家族へ、自筆で手紙をしたためてみるのもいいかもしれない。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「漱石」「手紙」で動画検索してみました!!)


漱石アンドロイド演劇「手紙」紹介映像



ジョニーAのつぶやき:Me too,Mr.Souseki!

ブログ移行期間 /コンフィデンスマンJPヒット記念

クランクイン! 美女発見! 『コンフィデンスマンJP』織田梨沙に熱視線 長澤まさみの“弟子”
『本作は、2018年4月期に放送されたフジテレビ月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』の映画版。今月17日より公開され、興行通信社発表の18~19日の全国映画動員ランキングでは、初週土日動員28万4000人、興収3億8600万円を記録し、初登場1位を獲得している。/織田が演じるモナコは、長澤扮するダー子をだまそうとするのだが、あっさりと見抜かれてしまう。そんなダー子の腕にほれ込み、“弟子”としてダー子、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)たちの仲間に加わるのだ。ダー子のことを“師匠”と尊敬し、憧れるという役どころ。
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  劇中では、竹内結子演じる香港マフィア、ラン・リウに近づくため、長澤と共に美人占い師姉妹の妹役を演じ、憧れのダー子のために甲斐甲斐しく働くさまを好演。アジアンビューティーで神秘的な顔立ちの織田に、占い師という役がぴったりとハマっている。そんな織田は現在23歳、千葉県出身の若手女優。2016公開の映画『秘密 THE TOP SECRET』でスクリーンデビューを飾り、翌2017年公開の映画『STAR SAND ‐星砂物語‐』では主演に抜てきされた。昨年は『生きてるだけで、愛。』などに出演した。/「コンフィデンスマンJP」で織田のことを知ったという人も多いようで、SNS上には「綺麗すぎる」「可愛くて好きになった」「モナコちゃん役の織田梨沙ちゃんいいね!」「存在感ありました」といった好評の声が多数寄せられている。』

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モナコ織田梨沙)の棒演技のおかげで、ボクちゃん(東出昌大)の棒演技が、
“良い棒演技”だったことが再認識される結果に。。

●コンフィデンスマンJPドッキリ


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☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月31日(金)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1999年・新日本】
カテゴリー【事件】
見出し:『T2000結成。蝶野と大仁田結託。』
『解説:4・10東京ドームで電流爆破デスマッチを闘った蝶野と大仁田が大阪府立体育会館で合体。nWoジャパンを脱退し、TEAM2000(チームツーサウザンド)が結成された。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●日本を席巻する蝶野正洋とTEAM 2000


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※無理やり言わせてる感がつっよぉ~~~~~~!

●【蝶野正洋AKIRA + 大仁田厚】入場とマイク


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カクトウログ 東京ドームに蝶野正洋率いるTEAM2000が再結集! ももいろクローバーZのライブ『桃響導夢』で40代モノノフが歓喜BY T.SAKAI · 公開 2018-05-24
『23日のももいろクローバーZさんのライブに、プロレス界伝説のユニット「TEAM2000」が勢揃い。タイトルの『桃響導夢』が、かつての新日本プロレスのドーム大会名『闘強導夢』と同テイスト。普段からのライブがプロレス流の演出でもあることから、プロレスファンはモノノフ(ももいろクローバーZさんのファン)になりやすいとされる。年齢層として40代も多いのだとか。盛り上がったことでしょう!
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TEAM2000からのエールを受け、ももいろクローバーZのメンバーたちは15周年、20周年に向けての決意を新たにしたのだった。/「”TEAM”を名乗るならば、それなりの覚悟があるはずだ」。蝶野、いい仕事してるなぁ!』

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「ゆうべ風呂で顔はあらった」――大宅壮一

【解説】
東京・世田谷区の大宅壮一文庫の運営が資金難から厳しくなっているということで、クラウドファンディングで寄付を募っている。大宅文庫といえば、明治・大正から平成までの、さまざまなジャンルの雑誌を所蔵し、ことこまかな索引を作成。調べたい項目や人物名から過去の雑誌記事を探してもらって閲覧することができる、雑誌の図書館。

私が編集や原稿書きの仕事をはじめた30余年前は、パソコンやスマートホンなどという便利なグッズは存在していないから、簡単に机上でキーワードを入力して何かを検索するなどということは誰も考えもしない。マスコミの世界で働く人間のひとりとして、大宅文庫には繰り返し足を運び、お世話になったものだ。文庫での調べものは、当初はキーワードごとに分類されたカードを1枚1枚手でめくって進めた。そこに行けば確実に、何らかの収穫やヒントがえられた。

この大宅文庫のもとになる17万冊にもおよぶ膨大な雑誌資料を収集したのは、評論家の大宅壮一だった。明治33年(1900)大阪の生まれ。東京大学社会学科中退。『文壇ギルドの解体期』で論壇に登場し、『モダン層とモダン相』で評論家としての地位を確立した。テレビの低俗番組氾濫の風潮を「一億総白痴化」という言い回しで批判するなど、造語の名手としても知られ、「マスコミ界の帝王」ともいわれた。

大宅は若い頃から、反骨精神に裏打ちされたジャーナリスティックな感性を身につけていた。大阪府立茨木中学(旧制)に在学中、教育勅語の言葉づかいの文法的誤謬を指摘して校長に詰め寄ったり、アジ演説をしたりして、放校処分になったという逸話もある。一方で、同中の3年上級には川端康成がいて、雑誌投稿の懸賞メダルの数を競っていたという。

大宅は評論家として大成したのちも、酒も煙草もやらず、これといった道楽もしなかった。それどころか、家では昼も夜もドテラ姿で、朝の洗顔さえしない。それをなぜかと問われたとき、大宅の返した答えが掲出のことば。前夜の入浴時に顔は洗ったから、朝もう一度洗い直す必要などない、というのである。そうやって節約したエネルギーを、大宅はすべて仕事に注ぎ込んだ。とぼけた味わいの返答の底に、熱い意気込みがにじむ。

大宅はいつも膨大な資料を収集分析してメモを積み上げ、現場へ繰り出した。高所恐怖症のくせに飛行機だけは大好きで、日本国内はもちろん世界のあちこちを精力的に歩き、筆で両断した。『世界の裏街道を行く』という著書もものした。思えば、彼は、太平洋戦争の只中にも、外国語習得の重要性を子どもに説いた先見の国際人であった。そんな大宅の遺品のパスポートを、取材で見せてもらったことがある。その数8冊。中には、東西冷戦の最中、昭和36年(1961)発行のソ連取材用という稀少なものもあった。旺盛にして偉大な野次馬根性の持ち主だった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「大宅壮一」「帝王」で動画検索してみました!!)

●「男の顔は履歴書である」-鎌倉瑞泉寺にあるマスコミ帝王「大宅壮一」の石碑


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マスコミ帝王 裸の大宅壮一 単行本 大隅秀夫(著)
→『■内容(「MARC」データベースより):戦前・戦後を通じ、日本のジャーナリズムをリードしつづけた巨人、大宅壮一初の評伝。その独特の社会批評・人物批評の秘密を、長年師事した著者がエピソードをまじえ生き生きと描く。
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■登録情報:単行本 605ページ /出版社 三省堂 /言語 日本語 /ISBN-10: 4385357536 ISBN-13: 978-4385357539 /発売日 1996/10 /梱包サイズ 20 x 14 x 4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:青木星斗 5つ星のうち4.0 「バイタリティ」2013年12月23日・・・大宅壮一という人は積極的でバイタリティあふれる人だったようである。世界中行っている。特に戦前戦中に中国などアジア方面を取材しているところはわりと面白かった。随分昔の日本のマスコミ文化が捉えられているあたりは何かの参考になるかもしれない。』

ジョニーAのつぶやき:古沢良一さんのインタビュー記事もあったんだが、、、今は簡略系で。また機会があれば載せよう。ブログ移行作業が落ち着いてから・・・。

ブログ移行期間 /コンフィデンスマンJPヒット記念

クランクイン! 美女発見! 『コンフィデンスマンJP』織田梨沙に熱視線 長澤まさみの“弟子”

『本作は、2018年4月期に放送されたフジテレビ月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』の映画版。今月17日より公開され、興行通信社発表の18~19日の全国映画動員ランキングでは、初週土日動員28万4000人、興収3億8600万円を記録し、初登場1位を獲得している。/織田が演じるモナコは、長澤扮するダー子をだまそうとするのだが、あっさりと見抜かれてしまう。そんなダー子の腕にほれ込み、“弟子”としてダー子、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)たちの仲間に加わるのだ。ダー子のことを“師匠”と尊敬し、憧れるという役どころ。

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  劇中では、竹内結子演じる香港マフィア、ラン・リウに近づくため、長澤と共に美人占い師姉妹の妹役を演じ、憧れのダー子のために甲斐甲斐しく働くさまを好演。アジアンビューティーで神秘的な顔立ちの織田に、占い師という役がぴったりとハマっている。そんな織田は現在23歳、千葉県出身の若手女優。2016公開の映画『秘密 THE TOP SECRET』でスクリーンデビューを飾り、翌2017年公開の映画『STAR SAND ‐星砂物語‐』では主演に抜てきされた。昨年は『生きてるだけで、愛。』などに出演した。/「コンフィデンスマンJP」で織田のことを知ったという人も多いようで、SNS上には「綺麗すぎる」「可愛くて好きになった」「モナコちゃん役の織田梨沙ちゃんいいね!」「存在感ありました」といった好評の声が多数寄せられている。』


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モナコ織田梨沙)の棒演技のおかげで、ボクちゃん(東出昌大)の棒演技が、

“良い棒演技”だったことが再認識される結果に。。


●コンフィデンスマンJPドッキリ



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☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日5月31日(金)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1999年・新日本】
カテゴリー【事件】
見出し:『T2000結成。蝶野と大仁田結託。』

『解説:4・10東京ドームで電流爆破デスマッチを闘った蝶野と大仁田が大阪府立体育会館で合体。nWoジャパンを脱退し、TEAM2000(チームツーサウザンド)が結成された。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●日本を席巻する蝶野正洋とTEAM 2000



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※無理やり言わせてる感がつっよぉ~~~~~~!


●【蝶野正洋AKIRA + 大仁田厚】入場とマイク



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カクトウログ 東京ドームに蝶野正洋率いるTEAM2000が再結集! ももいろクローバーZのライブ『桃響導夢』で40代モノノフが歓喜BY T.SAKAI · 公開 2018-05-24

『23日のももいろクローバーZさんのライブに、プロレス界伝説のユニット「TEAM2000」が勢揃い。タイトルの『桃響導夢』が、かつての新日本プロレスのドーム大会名『闘強導夢』と同テイスト。普段からのライブがプロレス流の演出でもあることから、プロレスファンはモノノフ(ももいろクローバーZさんのファン)になりやすいとされる。年齢層として40代も多いのだとか。盛り上がったことでしょう!

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TEAM2000からのエールを受け、ももいろクローバーZのメンバーたちは15周年、20周年に向けての決意を新たにしたのだった。/「”TEAM”を名乗るならば、それなりの覚悟があるはずだ」。蝶野、いい仕事してるなぁ!』


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「ゆうべ風呂で顔はあらった」――大宅壮一


【解説】

東京・世田谷区の大宅壮一文庫の運営が資金難から厳しくなっているということで、クラウドファンディングで寄付を募っている。大宅文庫といえば、明治・大正から平成までの、さまざまなジャンルの雑誌を所蔵し、ことこまかな索引を作成。調べたい項目や人物名から過去の雑誌記事を探してもらって閲覧することができる、雑誌の図書館。


私が編集や原稿書きの仕事をはじめた30余年前は、パソコンやスマートホンなどという便利なグッズは存在していないから、簡単に机上でキーワードを入力して何かを検索するなどということは誰も考えもしない。マスコミの世界で働く人間のひとりとして、大宅文庫には繰り返し足を運び、お世話になったものだ。文庫での調べものは、当初はキーワードごとに分類されたカードを1枚1枚手でめくって進めた。そこに行けば確実に、何らかの収穫やヒントがえられた。


この大宅文庫のもとになる17万冊にもおよぶ膨大な雑誌資料を収集したのは、評論家の大宅壮一だった。明治33年(1900)大阪の生まれ。東京大学社会学科中退。『文壇ギルドの解体期』で論壇に登場し、『モダン層とモダン相』で評論家としての地位を確立した。テレビの低俗番組氾濫の風潮を「一億総白痴化」という言い回しで批判するなど、造語の名手としても知られ、「マスコミ界の帝王」ともいわれた。


大宅は若い頃から、反骨精神に裏打ちされたジャーナリスティックな感性を身につけていた。大阪府立茨木中学(旧制)に在学中、教育勅語の言葉づかいの文法的誤謬を指摘して校長に詰め寄ったり、アジ演説をしたりして、放校処分になったという逸話もある。一方で、同中の3年上級には川端康成がいて、雑誌投稿の懸賞メダルの数を競っていたという。


大宅は評論家として大成したのちも、酒も煙草もやらず、これといった道楽もしなかった。それどころか、家では昼も夜もドテラ姿で、朝の洗顔さえしない。それをなぜかと問われたとき、大宅の返した答えが掲出のことば。前夜の入浴時に顔は洗ったから、朝もう一度洗い直す必要などない、というのである。そうやって節約したエネルギーを、大宅はすべて仕事に注ぎ込んだ。とぼけた味わいの返答の底に、熱い意気込みがにじむ。


大宅はいつも膨大な資料を収集分析してメモを積み上げ、現場へ繰り出した。高所恐怖症のくせに飛行機だけは大好きで、日本国内はもちろん世界のあちこちを精力的に歩き、筆で両断した。『世界の裏街道を行く』という著書もものした。思えば、彼は、太平洋戦争の只中にも、外国語習得の重要性を子どもに説いた先見の国際人であった。そんな大宅の遺品のパスポートを、取材で見せてもらったことがある。その数8冊。中には、東西冷戦の最中、昭和36年(1961)発行のソ連取材用という稀少なものもあった。旺盛にして偉大な野次馬根性の持ち主だった。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「大宅壮一」「帝王」で動画検索してみました!!)


●「男の顔は履歴書である」-鎌倉瑞泉寺にあるマスコミ帝王「大宅壮一」の石碑



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マスコミ帝王 裸の大宅壮一 単行本 大隅秀夫(著)

→『■内容(「MARC」データベースより):戦前・戦後を通じ、日本のジャーナリズムをリードしつづけた巨人、大宅壮一初の評伝。その独特の社会批評・人物批評の秘密を、長年師事した著者がエピソードをまじえ生き生きと描く。

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■登録情報:単行本 605ページ /出版社 三省堂 /言語 日本語 /ISBN-10: 4385357536 ISBN-13: 978-4385357539 /発売日 1996/10 /梱包サイズ 20 x 14 x 4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:青木星斗 5つ星のうち4.0 「バイタリティ」2013年12月23日・・・大宅壮一という人は積極的でバイタリティあふれる人だったようである。世界中行っている。特に戦前戦中に中国などアジア方面を取材しているところはわりと面白かった。随分昔の日本のマスコミ文化が捉えられているあたりは何かの参考になるかもしれない。』


ジョニーAのつぶやき:古沢良一さんのインタビュー記事もあったんだが、、、今は簡略系で。また機会があれば載せよう。ブログ移行作業が落ち着いてから・・・。

ブログ移行期間 /アニメ『茄子~』

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eiga.com 茄子 アンダルシアの夏
→『■解説:南スペイン、アンダルシアの酷暑の中、世界3大自転車レースに参加するぺぺの1日に、レースの駆け引きや熱狂に加え、青年の夢と焦燥をも盛り込んだ47分。「千と千尋の神隠し」で作画監督を務めた監督・脚本の高坂希太郎は、自身もアマチュアレースでトップクラスの成績を持つ自転車レーサー。原作は黒田硫黄の連作コミック「茄子」中の一編。エンディング・テーマは、やはり自転車好きで知られる忌野清志郎の「自転車ショー歌」。
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■スタッフ:/監督 高坂希太郎 /エグゼクティブプロデューサー 椎名保 /プロデューサー 丸山正雄 /原作 黒田硫黄 /脚本 高坂希太郎 /美術監督 田中直哉 /撮影監督 白井久男 岸克芳 /編集 瀬山武司 /音響監督 三間雅文 /効果 倉橋静男 /音楽 本多俊之 /エンディングテーマ 忌野清志郎 /アニメーション制作 マッドハウス
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■キャスト:大泉洋(ペペ) 小池栄子カルメン) 筧利夫アンヘル) 平野稔(エルナンデス) 緒方愛香(リベラおじさん) 平田広明(フランキー) 坂口芳貞(監督) 羽鳥慎一(実況アナウンサー) 市川雅敏(解説者)
■作品データ:/製作年 2003年 /製作国 日本 /配給 アスミック・エース /上映時間 47分』
※『若女将は小学生』の監督さんが、かつて創っていた作品を観るー。
自転車のリアルな描写に凝りまくった、趣味全開の作品だったよ~。

●予告編

※監督は「水曜どうでしょう」の大ファンで主演声優に大泉洋さんを抜擢
した模様~~~w

宇宙、日本、練馬 2018-10-08 言葉なしに弔う――『茄子 スーツケースの渡り鳥』感想
黒田硫黄の短編連作「茄子」中の一篇をアニメ化。先だってアニメ映画として制作・公開された『茄子 アンダルシアの夏』の、4年越しでの続編。舞台を日本、ジャパンカップサイクルロードレースに移し、ロードレーサーたちの悲哀と矜持を描く。「アンダルシアの夏」も、原作の描写を掘り下げディティールを補強していたが、この『スーツケースの渡り鳥』はさらに大胆に、アニメ独自の要素を加え、原作の精神性を保持しつつ、また違った印象を残す作品になっている。
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  おおよそ、小説の実写化やら漫画のアニメ化など、他メディアへのアダプテーションは、原作への批評として読まれることを宿命づけられる。そしてこの『スーツケースの渡り鳥』もまた原作へのある種の批評として読むことができる。原作における謎に、アニメ独自の答えを出した、という意味において。その謎とは即ち、「朴念仁」と形容される寡黙な名選手、ザンコーニがレースを途中で放棄した理由であり、この答えは原作のどこにも明確に描き込まれてないがために、アニメ化に際し強烈な補助線が引かれなければならなかった。その補助線とはすなわち、ある名選手の自死であり、この補助線によって、作品の纏う雰囲気は原作と一線を画している、といっても過言ではなかろう。

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黒田硫黄さんの原作漫画にも興味津々♬)

  この補助線によって、唐突な他者の死に、いかに人間は向かい合うのか、という問いを登場人物たちに付きつけ、ある種の弔いの物語の色調を帯びる。それが「プロとはなにか/プロとしていかに生きるか」という『アンダルシアの夏』でも問われた主題と絶妙に響きあい、この『スーツケースの渡り鳥』という作品の主題系を成す。

●自転車ショー歌


  とはいえ、そうした他者への弔いという主題は、作品がまさにその人物の死で幕が開くにもかかわらず、それほど前景化するわけでもない。それは一つはサイクルロードレースそれ自体の強烈な魅力によって、極めて優れたスポーツアクションアニメとして成立しているがゆえに、あくまで死者をめぐる問いはその後景に退くからでもあり、そして何より、男たちの弔いは言葉なしに行われるからでもある。ここで、なぜザンコーニという圧倒的な実力をもつ男が、中途棄権という形でレースを終えなければならなかったかという、原作の謎への回答めいたものがさしあたって与えられることになる。自死という形で人生を中途で降りた戦友に捧げる勝利は、このような形での達成されざる勝利こそ相応しい。あのまぼろしの勝利の瞬間に差す光を、死者からの応答と読むのは牽強付会のそしりを免れないかもしれないが、あのゴールの瞬間に訪れた彼岸と此岸を超越した奇妙な時間は、無言の祈りが死者と邂逅したがゆえに、そうした雰囲気を纏いえたのではなかろうか。

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  戦友の死にそうした勝利を捧げたザンコーニに対して、死者と同郷の友人同士であったチョッチは、彼とは違い、勝利を死者に手向けたりはしなかった。チョッチはザンコーニほど寡黙ではないが、死者への弔いについて、彼も多くは語らない。ただ、勝つために走り続けること、これからも死者とともに過ごした時間の厳しさの手触りを忘れず、プロであろうとすること。そうした無言の弔いによって、この弔いの物語は終わり、そして終わりのみえないプロの旅は続く。』

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※どことなく、ルパンと次元の趣きを感じる。。。




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月30日(木)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1983年・新日本】
カテゴリー【夢対決】
見出し:『超異色対決 前田×ホーガン』
『解説:5-21大分で実現したIWGPリーグ公式戦はホーガンの勝利。千葉公園体育館では特別試合として再戦が組まれテレビ中継されるも、超人が返り討ちに。9日間で2度も実現していた。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

WWF 1983 Japan - Hulk Hogan vs Akira Maeda


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ハルク・ホーガン入場テーマ(新日本版)「ギャラクティカ


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※「イチバ~~~ン!」の雄叫びがしっくりハマるレスラーでしたン。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「人はえらい人から凡俗まで曲りそうになる心をためなおして行くものであろう。それがえらい人のははたから見ればいつも真直(まっすぐ)に見える」――森鴎外

【解説】
明治の文豪としてしばしば夏目漱石と並び称される森鴎外が、大正10年(1921)11月15日付で、妻のしげ子あてに出した手紙の中の一節である。

人間というのは、いつもなんの迷いもなく、正しくあるべき姿を貫けるものではない。さまざまな欲望や損得勘定にとらわれたり、外からの誘惑もあったりして、ふと過ちをおかしてしまう恐れも、往々にしてある。あるいは、逆風を受けつづけていると、知らず知らずのうちに、性格や生き方が、いじけたり、ねじ曲がったりしてしまうこともあり得るだろう。そういう自己の姿勢を、ことあるごとに自分自身で意識して正していく。人生とはその繰り返しであると、鴎外は述べている。周囲からは、そんなこととは無縁のように見える偉い人でも、同じことをしているというのである。

念のため付け加えておくと、掲出のことばの「ためなおす」は「矯め直す」であり「矯正する」の意。この手紙を書いたとき、鴎外は齢59。軍医総監にまでのぼりつめた陸軍はすでに辞したものの、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任ぜられ、数年前から毎秋、正倉院曝涼のため奈良へ出張するのが習わしとなっていた。その奈良から、18歳年下の妻へと手紙をしたためたわけなのだ。鴎外は、こうも書いている。「大臣になるような世わたり上手はその真直に見える外かわだけに骨を折る。真直に見えるように心からしあげるのが真の人物であろう」

外側のお体裁だけを整えて要領よく出世し嬉々としているような世渡り上手は、鴎外の目から見ればお笑い種でしかない。まして、昨今は、その「外かわ」さえまっすぐに見せることができず、スキャンダルを巻き起こす大臣や国会議員が少なくないのだから困る。さて、同じ手紙の中で、鴎外は、どうやって自分を立て直せばいいかというところにも言及している。すなわち、「曲るものをためなおす定木(じょうぎ)は仏法でも西洋哲学でもなんでも好い、ただ香をたいて安坐していても好い」

要は、ひとつの基準のようなものを持って、自分自身で自分をしっかりと見つめ直すことしかないということであろう。鴎外はこの翌年、60歳で病没した。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「鴎外」「世渡り」で動画検索してみました!!)

●読書の秋 文豪・森鴎外を考える



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ジョニーAのつぶやき:「乃木坂浪漫」はいいコンテンツっすよなぁーーーー。